第125話 教養は本当に必要だろうか?個性こそが文化だ。

はたして、教養は本当に必要だろうか?個性こそが文化だ。


教育は必要だろう、例えば、アメリカでの国籍を得るには、高校卒業の資格がいる。

ただ、義務教育でほぼ、学べるだろう。例えば、社会で生きるために言語活動、貨幣経済での数学は欠かせない。

格差是正には、学歴が大きな要素と言われるが、日本では、二人に一人は高卒以下になる。

それでも、本当に、教養とか、文化は、人として、必要なのだろうか?


教養とか、その学問体系を否定しているわけではない、ただ、基本的に大切なところは、そこではないだろう。


最下位は必ずいる、誰でもがだ、その最下位から、上昇すれば、「よかったね」、と言うことになるだろう、しかしだ、必ず、また、最下位は発生する。

そして、大切なことは、何をしてもだ、ヒトは、生きてゆかなければならない。と言うことだ。

そのギリギリの状況で、教養の前に、必要なことがあるだろう。

とにかく、何をしてもだ、生き抜くこと、そして、それが人として、大切な、その人の、そ人らしさを形成する。

どんなに、ダメなやつでも、どんなに、失敗してても、生きてゆかなかればならないからだ。


ダメなやつ、それは、教育制度が作り出した、相対的な評価でしかない。

しかし、その人の個性、身振り、重心こそが、文化なのだ。

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