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「それにしても珍しいですね、血が通っているのかと疑いたくなるくらいの亜紀さんが他人のお見舞いだなんて」
「お前もだんだん言うようになったな。ここが病院じゃなかったらオリエンスの狂魔発生地に簀巻きにして放り込んでいた」
亜紀は貼り付けた笑みを向けると、自分が持って来た花を奈島が置いて逃げたプレゼントの上に乗せた。花は卯衣に言われて渋々持って来たらしい。
「そういえば、一つ気になっていたことがあったんです。亜紀さんって、辰宮太一の銃弾を受けた時、防弾チョッキ着ていたんですよね? どうして血が?」
「あれは血糊だ」
さらりと言ってのけった亜紀。蒼斗は目を剥いて真意を訊ねた。
亜紀曰く、自分が倒れたことで狂魔を狩ることを躊躇する蒼斗の心を煽り、さらに蒼斗の中に眠る死神の力を引き出そうとした、とのこと。
あの時亜紀の頬が赤かったのは、それを知らず泣き叫んでいた卯衣に紛らわしいと平手を食らったかららしい。
いい気味だ、という感想は静かに胸にとどめておこう。
「ボスであり、飼い主であり、お前の言う相棒が危険に晒されればと思ったんだよ。一種の賭けのようなものだ」
亜紀の口から相棒という言葉を耳にした蒼斗は、瞬時に嫌な汗をかいた。
きっと奈島から話を聞いたのだろう、口が軽い人だと既にいない彼を恨めしく思った。これで罵倒の嵐が襲うのは目に見えていた。
「俺の相棒になるなら、血反吐が出るくらい働くことだな」
「え?」
てっきり拳骨一発でも食らうだろうと覚悟を決めていた蒼斗は、予想外の返答に拍子抜けし、気の抜けた声が出た。それが気に入らなかったのか、亜紀は嫌悪感たっぷりの顔で得意の罵倒をぶつけた。
「だらしない面をするな、気持ち悪い」
「す、すいません。……でも、相棒って言葉、満更でもないんじゃ――」
「本当に死にたいような」
「ひぃぃぃぃ! ぼ、僕はまだ死にたくありません!」
獲物を見つけた捕食者のような目を向けられて平気でいられる性格ではない蒼斗は、目に涙を浮かべ、両手を天井に向けて挙げた。
亜紀は鼻を一つ鳴らし、ポケットに手を入れた。
「辰宮について処分が出たことをお前に伝えに来た」
「処分……」
「今回の一件は、やはりお前が予知を視たように御影が直接ではないが深く関わっていた。お前が境界線を見つけられないくらいの狂蟲の進行もあり、早々に決断を下すことは出来ない。よって、核は一定期間の監視をつけることでアイツの始末を保留にした」
「本当ですか!」
花が咲いたように明るくなる蒼斗。
だが、蒼斗は核が出した監視が普通の監視ではないことを知らない。
こちらに気付いた祐樹が満面の笑みで手を振ってきた。亜紀は片手を挙げながら気になっていたことを訊ねた。
「狂魔を斬る前、何かを言っていたな――あの言葉は?」
「死神の言い伝えです。……少しですけど、思い出してきました」
それはすんなりと頭の中に入り込み、暗示のように反響する。
「僕……僕たちは本当に、死神の力を持ち――全ては御影を滅ぼす為に生まれた一族のようです」
他人事のように話す蒼斗に、亜紀はその、何もない表情の裏に憂いを見た気がした。
それが何処か、いつぞやの『彼』と重なって見えた。
◆
「何を考えている」
縁側の柱に背を預け、空を仰ぐ男の横顔に向かって亜紀は口を開いた。
良く晴れた昼の空。
陽の光に照らされ咲き誇る花々が一面に生える庭は、男が手塩にかけて育てたもの。心地よい香りが鼻を掠めると、男は亜紀の方を見ることなく言葉を発する。
「空が綺麗だね、と思っただけだよ」
「それだけじゃないだろう」
「どうしたんだい、藪から棒に」
色白い顔が苦笑をたたえて亜紀を振り返る。病的なまでに、それは白い。
「最近のお前は考えていることが理解できない」
「悪魔と謳われた君がそんなことを言うだなんてね。全てを把握できないことが気に入らないのかい?」
「そうじゃない。そうじゃない、が……」
亜紀はそこで言葉が途切れた。
雲間から差し込む日差しを浴びた時、一瞬だけ男の姿が亜紀の知る男ではないような錯覚を起こさせ、その威圧に息を呑んだ。
細めた瞳の奥が、これ以上踏み込むことを牽制しているようだった。
「時間が無くなってきた……ただ、それだけだよ」
「どういうことだ? 病でも患っているのか?」
「そういう意味じゃない。自分に用意された時間が無くなってきたというだけだよ」
解せぬ――そう言わんばかりの亜紀の視線。男は困ったように眉を下げ、空を飛ぶ蝶を目で追った。
「近い内、君の前から姿を消すかもしれない。いや、確実に消える」
「……唐突に何だ。笑えない冗談はよせ」
「冗談で皇帝という地位を捨て、君の前から姿を消すなんて予告はしないよ。それは君が一番分かっているはずだ」
五賢帝が生まれてから十年。互いのことはそれなりに理解している。故に男の言っていることがただの戯言だと片づけられない。
亜紀は戸惑いを隠せずにいた。
裏切り行為が予告されたのだ――ならば、しかるべき手段は拘束か? だが裏切り行為が実際にされていなければ男を縛ることはできない。それを分かっていて告げたのなら、酷い性格をしている。
「私がこんなことを告げたのには理由がある。唯一、私が認めたお前に頼みがあるからだ」
「頼み?」
「ある青年を私の代わりに守って欲しい」
その青年はもうじき避けようのない現実を迎え、命の危険に晒される。それを何としてもでも阻止して欲しい。
男は言った。どんな手を使ってもいい、亜紀なりの方法で青年を危機から遠ざけて欲しい、と。
亜紀は男の頼みをはい分かりました、と素直に頷けなかった。
当然のことだ、状況を把握するだけでも手一杯だというのに、その根源の男の言うことなどありえない話だ。
「頼んだよ、亜紀」
「おい待て! 俺は一言も了承した覚えは……!」
「亜紀は受けてくれるよ」
断定的な声に亜紀は言葉を飲み込んだ。
「これまでなかった最初で最期の私の頼みを、拒むわけがない」
そう話を続ける男に、図星だったのか亜紀は視線を逸らす。男は口元に今度は笑みをたたえて近くに咲いている花に手を伸ばした。
「名前は蒼斗――現在は桐島の姓を名乗り、治安維持局特別機動部隊に所属している。彼は自分のことを理解していない。厳密には、意図的に抑え込まれているかな。けれど、彼が全てを思い出した時、全てが変わってしまう。その前に私は世界を終焉に導きたい」
男は一輪のバラを手折った。可憐に咲き誇るその花は、海のような青色だった。
その棘で切ったのか、白い指先が自身の傷口から滲む赤で微かに濡れていた。
男の行動全てに目を奪われ、亜紀ははっきりとした声を出せない。いや、出させてくれない。
「世界の終焉とは……どういう、ことだ……亥角?」
「全てに決着をつけるのさ」
男――亥角愁は、やっとのことで絞り出された亜紀の問いに目を細め、穏やかに笑んだ。
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