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 ◆


「間違いない、DNAが新條慶介ものと一致した」


 零号館での仕事を放り出してすっ飛んできた千葉は、やれやれと首を横に振って検査結果のデータファイルを閉じた。

 発見当時、殺されて間もなかったらしい。切断面から、鋭利なものが凶器と考えられる。ただし、付着した酸化の進み具合から鑑みて、凶器の状態は決して良いものとは言えないとのこと。

 目と鼻の先にいて、直ぐ近くでまだ生きていたと考えると何もしてやれなかったことに歯痒さを感じる。


「一体どうしたらこんな風に人を殺せるのか疑問だな。身の毛がよだつよ」

「頭部は見つかっていないのか?」

「今、ウチの部下が捜索しているからすぐに見つかるだろうっス」


 新條の死体が見つかってから、亜紀も奈島も漸く覚悟を決めたようで、合同捜査に合意した。

 あれだけ部下を説得することに頭を悩ませていた奈島も、白井の関係者が死んだのに嫌もクソもあるかと喝を飛ばし、圧倒的な気迫で部方たちの首を縦に振らせてしまった。

「千葉さん、辰宮の方はどうですか?」

「腹部に一発以外は軽傷だ、恐らく不意打ちで最初に受けた弾だろう。少し休めば直ぐに良くなる」

「そうですか……」

「蒼斗君、彼女の右手の怪我は知っているかい?」

「右手?」


 きょとんとさせた蒼斗は右手という言葉に引っ掛かりを覚え、顎に手を当て記憶の糸を手繰り寄せる。


「……そういえば、本山さんの遺体が発見された日、辰宮と握手をしようと右手を出したんです。でも、彼女は左手を出していました。もしかしたら、怪我をしていたのかもしれませんね……それがどうかしたんですか?」

「いや、血が滲んでいたから取り替えようと解いたんだけど、何かで手の甲を切ったような傷があったんだ。けどその手当が彼女にしては雑で、化膿しきっていたんだ」


 負傷すれば自分で的確に治す――前線に立ち、訓練を積んだ辰宮がこんなおざなりな処置を施すのが意外でしかなかった。


「まともに手当てをしていられる状況じゃなくて、応急処置以降放置してしまったんじゃないでしょうか? きっと何か事情があったんですよ」

「そんな事情になる任務は彼女にはなかったはずだけど……しくじったなら、話は変わるね」

「亜紀さん、辰宮は今どんな任務を請け負っていたんですか?」

「今回は治安維持局の上層部に潜入して御影の動向を探る簡単なものだ」

「か、簡単って……敵のほぼ本拠地じゃないですか。一人で行かせて大丈夫だったんですか?」

「一週間かそこらの期間だったからな。二、三日前にはこっちに戻って彦に報告書を提出する予定だったはずだ」

「じゃあ丁度僕と初めて会った日に帰ってきたんですかね? 彼女に会うまでは、一度も大学で見かけたことありませんから」


 あれだけ目立てば流石の蒼斗も辰宮の存在にはとうの昔に気づいている。

 食堂でのことや一緒に歩いている時の視線や飛び交う噂を耳にしていればなおさらのこと。


「彦も報告書を受け取ったと言っていたな。だが報告書の内容は御影の動向しか記載されていなかった」

「そう、ですか……」

「辰宮のこともあるが、並行して今回の事件捜査を進めていくとしよう」

「あと! ……こ、近衛さんからその後連絡はありましたか?」


 辰宮の予知を視たことで拍車がかかり、近衛の予知を頭の隅に留めて気にかけていた蒼斗は有耶無耶にされてきたことに我慢できず挙手した。

 近衛の名は奈島も勿論のこと耳にしており、ここで何故彼女が話題に上がるのか理解できず、訝しげに眉が歪む。


「近衛って、あの近衛っスか? それなら――痛っ!」

「近衛はもう大丈夫だ。ちゃんとお前に言われた通り、早期帰還後待機している」

「ほ、本当ですか?」

「俺がお前に嘘をつく理由が何処にある?」


 バインダーで顔を殴られる奈島を横目に、蒼斗は亜紀に問いを問いで返され一瞬不服そうに口を尖らせた。

 だが蒼斗には、亜紀が嘘をつく理由など見当もつかない。

 もし予知通りに近衛の身に何かが起こったとしたら、APOC全体が黙ってはいない。近衛のような名を馳せた存在に関わることなら組織上自然と蒼斗の耳に入ってくるはず。


「分かりました、亜紀さんがそういうなら、大丈夫ですよね」

「おお、当たり前だ」

「事件が終わったら、連絡してみます」

「それがいい。――じゃあ、近衛の件はよしとして、本山の捜査はどうなっている?」


 安堵の表情をようやく見せた蒼斗の額をパチリと指先で弾いた亜紀。反抗する余裕も与えず次の話に移せば、奈島が事件ファイルに目を通しながら答えた。


「目撃者探しと、店から借りた防犯カメラを調べているっス」

「結果はいつ頃?」

「すぐにでも……っと、丁度来たっスね」


 奈島の端末に被害者と殺害前に接触していた人物をピックアップした写真が転送された。

 オフィスに戻り、モニターとリンクさせ、映し出された複数の男女に目を通す。

 バーテンと、隣に座り酒を奢ってもらおうと期待の眼差しを投げる女、そして――。


「これは……」

「……どうするんスか、東崎?」


 瞠目する蒼斗と、白い目を向ける奈島。

 目に留まるのは、上着の袖につけられた最も身近なエンブレム。それを身に纏い、本山の胸ぐらを掴み今にも殴り掛かりそうな男。

 腕を組み、にっこりと笑む亜紀の額には青筋がくっきりと、立っている。


「男の名前は篠塚亮しのづかりょう、十岐川大学に通う訓練生っス。他に同期を二、三人連れてここに来ていたのを確認済みっス」


 篠塚の隣に一緒に映っていた同期らの写真が映し出された。――誰も彼も、みな蒼斗を大学で迫害している面子ばかりだった。

 以前黙ったままの亜紀の圧力が痛いくらいに派生し、蒼斗は涙目になった。


「どうするんスか? STRPこっちが対処するっスか?」

「……いや、その必要はない」


 ゆらゆらと立ち込めるオーラ。目に見えるはずがないにも拘らず、黒い風がぐるぐると渦を巻いているように錯覚してしまう。


APOCウチの不始末は、APOCウチでつけるさ――この俺直々にな」


 まさか裏とはいえ統治機関が殺人の容疑者にあげられてしまうとは。

 蒼斗は顔を真っ赤にし、焦点が合わない、完全に出来上がってしまっている同期を見上げ、哀れみすら感じない己の薄情さに人知れず笑ってしまった。


 ただ、彼にできたことは――。


「すぐに準備しますね、亜紀さん」


 聴取の準備を整えながら、これから起こる悪魔の鉄槌が下されることを心なしか待ち望んでいる自分がいたと気づき、蒼斗は辟易した。

 それが今までの仕打ちに対する鬱憤晴らしや復讐心が元となっているのなら、自分は篠塚らよりも性格が悪いのかもしれない。


 ざま見ろと心の中で嘲笑う自分がいることに恐ろしくも感じた。――最もなりたくない自分が、当然のように胸中に鎮座していることに絶望さえも感じた。



 ――こんな人間になど、なりたくない。



 蒼斗は拳を握りしめ、頭を振って思考から追い出すことでこの場を乗り切ることを選択した。



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