-




「訓練中のところ悪かったな、呼び出して」


 親しみやすい笑顔で迎えられた篠塚は実にいい気分だった。

 訓練途中に呼び出しがかかり、STRP本部で待っていた蒼斗に案内された時は無性に腹が立った。

 ――何故一度も自分は踏み入れたことがない地に、憎き男が慣れたように歩いているのか。

 だが亜紀との対面で態度は一変。

 作られた皮の下で亜紀が鬼のような顔をしているとも知らない彼は、取調室のプレートに気づくことなく部屋に通された。


「あれ、ここって……?」


 ようやく気付いた時には既に遅く、次振り返り見た亜紀は善人の皮を剥いだ狩人に変貌していた。


「ボス……?」

「座れ」

「一体これは……」

「いいから座れって言ってんだろうが。お前の耳は飾りか」


 顎でイスを指され、飛ぶように腰を下ろす。向かいにどっかりと座る亜紀は人が変わったように手に持っていたファイルを机の上に置いて口を開いた。


「十岐川大付近のバーで殺人が起きたことは知っているな?」

「は、はい……」

「被害者はとある科学研究所に所属している研究者だった。この顔に見覚えがあるだろう?」


 本山の写真を差し出して見せれば、篠塚は一瞬息を呑んだ。亜紀が何を訊ねたいのか察しがついたのだろう。

 彼の予想は的中。防犯カメラをプリントアウトした写真が机の上を滑り、手元でピタリと止まる。写真に映る己の醜態を捉えると、滑稽なくらいに血の気が引いていく。


「STRPが扱うこの事件にウチが、この俺が出てきた。その理由はお前が一番理解できているだろう?」

「あ、あの……っ、せ、説明をさせてください!」

「勿論だ。いくらでも弁解しろ、言い訳をしろ。その数だけ俺は問いを投げてやる」


 言い訳なんざ、十でも二十でも作れる。

 防犯ビデオを取調室に持ち込み、亜紀は冷や汗で服をびっしょりと濡らしている篠塚の弁解に耳を傾けた。

 本山が殺害された日、確かに訓練を終えたあと、同期の佐伯らと現場のバーに行った。この日の訓練は体術を主に行い、そのせいもあって虫の居所が悪かった。


「ストレスが溜まると晴らしたくなるのは当然のことだ。お前の場合、それが酒ということか。――虫の居所が悪かった理由は?」

「じ、事件とは関係がないのでは?」

「それを決めるのは俺であってお前じゃない」


 マジックミラー越しに見える肉食獣と捕食者。蒼斗は、彼のストレスの原因が自分であることをよく知っていた。なんせ、体術訓練の相手は蒼斗だったのだから。


 元々特機隊で長年鍛えてきたこともあり、蒼斗にとって体術は容易いものだった。もっとも、亜紀や幹部らを相手にすると赤子の手を捻るように負けてしまうが。

 篠塚も武道の心得があったようで、訓練相手に不服はあったがこれを機に蒼斗を痛めつけてやろうと図ったようだ。


 だが一見頼りない人間に見えようとも、蒼斗は特機隊――それも隊長クラスに上がるほどの実力を持っている。

 それを知らず甘く見ていた篠塚はものの見事に返り討ちにあった……ただ、それだけのことだった。

 篠塚としては亜紀に知られたくないのだろう。屈辱で唇を噛む姿が、彼の感情をよく表していた。

 亜紀の様子を見る限り、口角を上げ彼が話すのを躊躇っているのを愉快そうに見ていることから既に分かっているのだろう。

 何故知っているのか不明だが、それを承知で本人の口から言わせようとしているのだとしたら、つくづく性格が歪んでいるとしか言いようがない。


 バーテンの証言によると、本山は酔った学生に突然絡まれ、喧嘩になった。その後裏口に移動し、彼の後を追うように学生も向かった。それ以降見かけていないとのこと。


「何処の馬鹿かと思えば、まさかAPOCの訓練生だったとは……情けない」


 地震が机上のペンをカタカタと小刻みに揺らす――のではなく、煙管を指先で弄ばせる亜紀を目の前に完全に萎縮しきってしまった篠塚の震え。

 第一皇帝でもあり、APOCの総帥が直々に取調べをしているのだから無理もなかった。


 バーにやってきた篠塚は酒を飲んですっかりいい気分になった。

 その内訓練の愚痴や不満を漏らし合い、酔いの勢いもあり次第に悪酔いして騒ぎ始め、エリート臭のする本山に絡んだ。


「彼のやることなすことは、どれもありがちで実に低レベルな話ですね。特殊ではあっても国を守る人間になろうとしているというのに、自覚が足りないです」

「君ほど愛国心が強いのもかなり珍しいよね。でも、大抵国に仕える人間は、彼のような性格が多いと思うよ」


 君には納得いかないことかもしれないけれどね――そう捕捉する千葉の言葉を受け止め、蒼斗は八つ当たりの被害に遭ってしまった本山の気持ちがよく理解できた。


「自分は未来の救済をするものだなんて恥ずかしいことを口走っていたようだが、お前らの存在はそこらに転がる生ゴミと同じだ。十岐川及びAPOCの評価を脅かすだけでなく、皆の努力をも汚した」

「……っ」

「お前らの存在が俺の耳に入っていないとでも思ったか? 公務で忙しい、APOCの仕事が手についていないとでも思ったか? 馬鹿が。大した成績も残せないくせに粋がり、他人を下等と見下し嫌がらせをする――何より、俺の私物を傷つけ殺そうともした。これほど腹が煮えくり返ることはない」

「……え?」


 今度は蒼斗が息を呑む番だった。


 大学に通わせている間、蒼斗のことは監視を頼んだ部下に逐一報告するよう指示しておいた。

 勿論、訓練中に彼が受けてきた嫌がらせの数々は全て把握している。


「蒼斗は帰宅してもお前らのことを告げ口することなく、平然としていた――いや、平然を装っていた。本当は辛いにも拘らずな。アイツが虐げられてきた日々はなにも今回が初めてじゃない」


 もう蒼斗は子どもではない。物事をよく考え、理解し、何が最善かを常に考える慎重さを持ち合わせている。

 蒼斗が何も言わないから、頼まれてもいないのに手を貸すことはしない。


 人の心を変えるのは、人の行動でしか変えることはできない。命令や力で無理に変えることができても、それは真に変えたことにはならない。


「蒼斗は自分の力で、自分の行動で認めてもらおうとしていた。だから、俺はただ知らないふりをしていた」


 ――それなのに。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る