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「また泣いていたのか」


 陽がまだ昇らない、凍えるような夜の中、ひんやりと冷めた声が蒼斗の耳に届く。


 帰還後、祥吾は規格外一般人として扱われ、APOCの管理する医療施設に搬送されることになった。

 初めはペンタグラムやAPOCの存在に戸惑いを隠せなかったが、以前読んでいた『忘却の国』と酷似していることから飲み込みが早く、不安半分で受け入れた。


 ――もっとも、彼に選択の余地など何処にもなかったのだが。


 東崎家に戻った蒼斗は屋根に上り、一人膝を抱えて蹲っていた。

 頬を伝う涙を悟られ、ギュッと袖口で拭う。こんな情けないところを誰にも……まして亜紀には見られたくなかった。

 そんな蒼斗の心情を汲み取ったのか、亜紀は笑った。


「あれだけ泣き叫んでおいて、今更泣きっ面を見られたくないとか……おかしな奴」

「っ、誰も泣き叫んでなんて――!」

「お前の心が叫んでいた。――誰かに認めてもらいたい、受け入れて欲しい。居場所が欲しいと」


 亜紀には全て筒抜けだった。

 双方合意の元ではないが契約したことで互いの気持ちがリンクしている。

 本来は信頼し合っているからこそ互いの心が悟れるようになるが、蒼斗は知らぬうちに契約者の亜紀を求め訴えかけていたのだろう。



 ――俺と契約をしたことで、お前は自由になった。お前の居場所は、主人のこの俺が保障してやる。



 自信に満ちた亜紀の姿が忘れられない。信憑性は微塵も感じられなかった。

 ――なのに、過信でも何でもいい。亜紀の言葉に縋りたいと思った。仲間を目の前で殺した張本人を信じてしまった。悪魔に魂を売ってしまった気分だった。


「僕は人として、一個体の人間として存在したかった」


 鼻を啜りながら、蒼斗は口を開いた。まだ空は暗い。


「人は誰しも意味があってこの世に生を受ける。例え、その存在が人間としての常識を逸脱していたとしてもな」


 ふぅ、と白い息が広がり、闇に溶けた。


「世界は今や培われてきた常識を破って回っている。さっきお前が見た異形がその証拠だ。全ては御影の暴挙によって変動してしまった――天地がくらいにな」


 正義だと認識していたものが、その実何もかもが全て偽りだった。悪魔が世界を救済する世の中になってしまった。


「だから自分を卑下する必要は何処にもない」

「え?」

「一般の人間よりも備わったものがある。世間に飲まれることのない、お前らしさが主張できる恵まれた力がある――ただ、それだけのことだ」


 東の空に光が差した。有明の空が姿を現し、蒼斗は伸ばされた亜紀の手によって髪をぐしゃぐしゃと乱された。


「お前は十分、人として存在しているだろ」


 ――人として、存在している。


「誰かのために力を尽くしたいと望むのはお前の勝手だ。けれど、誰かのために存在しようとは思うな。絶対に」


 お前の存在意義は他人ではなく、自分自身のためにある。

 その備わった力を持つことには必ず意味がある。他人のために力を使用するのは、あくまで自身の意味の延長戦あるいはその過程にしか過ぎない。


 亜紀は今回の一件で一つの仮説を立てた。

 蒼斗の夢に出てくる人間を辿り、片っ端から潰していくことで最終的に御影を引きずり落とすことができるのではないかと。


 だが今回の一件が偶然だとしたら――と、口にしかけたところで蒼斗は慌ててつぐんだ。少し自信があるのか、拳を握って語る亜紀の話に水を刺すような真似をしてしまえば、九割五分殺されることはないだろうが、バチカルの餌食になりかねない。

 あんな恐ろしい悪魔に矛先を向けられたらひとたまりもない。


「改めて訊こう」


 亜紀は問うた。


「お前はどうしたい?」

「僕は……」


 本当は仲間を殺した人間に従うなんて御免だった。

 けれど、桐島を手にかけたことで同類となった今、亜紀を恨むことも責めることもできない――その資格すらもない。

 全ての元凶が御影の死神の闘いならば、決着をつけなければならない。そのために採る選択肢は一つしかなかった。


「あなたについていきます、亜紀さん」


 記憶を取り戻す手段が他にない今、御影を潰すという利害が一致している亜紀率いる裏治安組織を利用するしかない。

 無駄な労力を使わず、御影を追い詰めることが最速かつ、最善策だ。

 蒼斗の葛藤が入り混じった瞳を見据え、亜紀は愉快そうに口角をあげた。初めからこうなることを組んでいたかのような確信に満ちたその表情は、まさに悪魔のようだった。


「これからよろしく頼むぞ、桐島……いや、葛城蒼斗」


 スッと差し出された亜紀の手を見つめ、本当は素直じゃないだけで実は優しい人なのではと期待。その手を握ろうと倣う。




「――なんてな」

「へ?」


 すい、と手を引き戻され、思わず拍子抜けした。出されたはずの手は上着ポケットに消え、自分の手が空虚に彷徨う。


「俺が握手するなんて思ったのかよ。馬鹿だなお前」

「なっ!?」

「お前は俺と契約をしたんだ。主人の俺に従うのは当たり前のことだろう」

「最初から拒否権なんてなかったんですか!?」

「選択権もな」


 亜紀は内ポケットから一枚の紙を取り出して見せた。紙面には、保護収容された祥吾の現在の検査報告が綴られている。


「水魔鏡でも確認したが、桐島祥吾の体内からは狂蟲の姿は全く見つからず、普通の人間そのものだった。本来であれば保護すべきである……が、特別機動隊隊長という奴の肩書きと立場が廃棄処分対象に該当している」

「は、廃棄って……!」


 御影に関わる者は情報を搾り取り尽くしたのち、直ちに処分しなければならない。

 それを執行するのは言わずもがなAPOC――つまり、亜紀の指示一つで祥吾の命は左右されるのだ。


「義理とはいえ、自分をただ一人信じてくれた尊敬する兄を失うのは惜しいだろう?」

「……祥吾を助けて欲しければ、僕があなたに従えばいいということですか」

「いや、お前には前も後ろも抜け道も与えられていないということを認識させたかった。それだけだ」


 前言撤回。この人は細胞の一つ一つまで悪魔に染まり切っている!

 蒼斗は自分の甘い考えに悔んだ。

 そしてこれから先の生活に、ただひたすら不安を募らせた。


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