ベニング侯爵家没落の日
なつき
プロローグ 世界最悪の商品『ども』
小さな少年が二人、幌馬車の隅に押し込まれていた。まるで荷物のようなとは言い難いだろう。大事な荷物だったらもっと丁寧に入れておくものだからだ。ごとごとと道に合わせて揺れ動く幌馬車の中で、彼らはあちこちの木箱や大きな袋に木樽等にその小さな身体をぶつけている。
その揺れに合わせて、じゃらじゃらっ……と鉄が擦れ合う不愉快極まりない音が小さく染み込んでゆく。幌の影が濃くて判りにくいが……少年達の腕には無骨な手枷が填められていた。あちこち赤錆が浮かぶ年季の入った鎖の手枷……まるで色々な奴隷を運んできたのだと言わんばかりである。
そう、その手枷が全てを物語る通り。彼ら二人は今からとある
「なぁおい、ルゥ」
……不意に影から声が出てきた。話す言葉の隅々まで疲労感が滲むものの、まだまだ元気の良い瑞々しい少年の声だった。
……ただ一つ気になるのは。彼の声音に売られてゆく悲壮感がまるで無い事だけだ。
「なぁに? レイ?」
少年が話しかけたもう一人の少年が答える――年はまだ八歳ぐらいだろうか? 光を溶かしたような白い髪に夜よりも深く透き通った闇色の双眸。天使のように中性的な顔立ちをした少年だった。
彼の名前は『白魔導士ルーティス・アブサラスト』。とても腕の良い旅の白魔導士だ。
そしてルーティスが答えた先にはもう一人少年がいた。ざっと見た限りルーティスと同い年だろう。こちらもまだ八歳ぐらいの青い髪に
彼の名前は『黒魔道士レイ・グレック』。こちらも同じく旅の黒魔道士だ。
「……言っていいか?」
レイ少年、じゃらりと手枷を鳴らす。その時彼の右手の甲に『翼ある太陽のアザ』が見えた。
「うん」
ルーティス少年、頷く。
「暇、退屈。何か面白い事してくれ」
……。
「ねぇレイ。僕は
ルーティス少年、呆れたと嘆息した。
「じゃあルゥ、ポーカーとかチンチロとかしようぜ? お前は強いから楽しみだ」
「悪いけどトランプもサイコロも無いよ」
自分の名前を短くしたあだ名で呼んでくれるレイに、ルーティスはますますため息を吐いて返した。このあだ名で呼んでくれるのは親しい人達だけで――事実彼は親友……もとい『悪友』の一人だった。
「なら旨い飯ないか?」
「残念だけどチーズも干し肉も干し果物も無いよ」
「なら――」
「ねぇレイ、ちょっと静かにしなよ。オグマさんやオニヘビに迷惑だよ」
幌馬車の御者台をちらりと見やりつつ、ルーティスは双眸を細めてレイを制した。レイ少年は「むー」っと不満げに頬を膨らませていた。
「おいこらお前らぁ‼ ちょっとは静かに出来ないのかっっ?!」
御者台から罵声が飛んでくる。もういい加減うんざりだと言わんばかりの声だった。
「いいかおい‼ お前らこれから趣味の最悪なクソジジイ共の主宰する
御者台から顔を突っ込んで来たのは短く色落ちした黒髪にくたびれた皺があちこち入り、無精髭をした中年の男性だった。
「ごめんなさいオグマさん」
ルーティスは素直に謝り、
「悪ィおっちゃん退屈で!」
……レイはやんちゃな返答だ。
「ったく、ホントに大丈夫なんだろうな俺はよ……」とぶつぶつぼやきながら中年男性――オグマが前に向き直る。
「すみませんねぇ。こんな作戦しかありませんで……」
オグマの傍らからねちっこい声が絡み付いてくる。……この油汚れと風呂の
「なぁオニヘビよ。おれァホンっっトに大丈夫なんだろうな?」
はぁああと底無し沼より深いため息を吐きながら、オグマは隣に居る『奴』に話しかける。
そいつを一言で表すなら『グラサン装備のやたらと怪しい巨大コブラ』だろう。終始にまにまとした厭らしい笑みを浮かべ、話す側の神経を逆撫でする事に長けた、まさに『存在そのものが嫌み』な生命体――『オニヘビ』である。多分世界が滅んでも、こいつらだけは「ただ何となく」で生きていきそうな気がしてならない……。
「だぁいじょぉぶでございますぞ‼」
オニヘビは尻尾で器用に――ホント、器用に――グラサンを上げる。
「レイさま『は』ともかく‼ ルーティスさまは信頼出来ますから大丈夫ですぞ‼」
きりっっと胸を反らせて。オニヘビは商品の価値を宣言。
「おいこら腐れ外道ヘビ!」
その瞬間。レイが幌から顔を突き出した。
「レイさま『は』ってなんだレイさま『は』って! それじゃ何かおれだけ出来が悪いみたいじゃねぇか‼」
「だぁってそうでしょおう? 我々はレイさまの事は影ながら『血統書付きの駄犬』、『ザ・イカレポンチ』、『ずるべた腐り卵頭』
……等とさまざまな呼び方をしておりますからなぁ♪」
「それ全部悪口じゃねぇーか‼ 黙って聞いてりゃこいつ――むがっっ?!」
刹那、レイの怒鳴りが止んだ。
驚いてオグマが見やると、レイの首にほっそりとした少年の脚が巻き付いていたのだ。
「もうレイ! オグマさんやオニヘビに迷惑だからちょっとは静かにしなって言ってるだろ‼」
脹ら脛でぎりぎり……と器用にレイ少年の首を絞めるルーティス少年。光が射し込みルーティス少年の染み一つ無い綺麗な脚が太腿まで露になっていた。元々今回の競売に参加する趣味の最悪なクソジジイ共の為に短パン(オニヘビが無理やり履かせた)に履き替えていたルーティス君。中々魅力的ではあった。
レイは顔を赤くしながら脹ら脛を叩いていたが……やがて青い顔に変わってがくっと手が落ちる。白目を剥いて泡を吹き、完全に気絶していた。
「ごめんなさいオグマさん。レイの奴が静かにしなくって……」
気絶したレイを両脚で器用に荷物の中へ置く。静かに丁寧に置きながら謝る姿は好感が高い。
「い、いや別にいいんだよ……」
気後れしながら謝るオグマ。そんな彼に向かってにまーっと満面の笑顔を見せるルーティス少年。中性的な見た目を存分に使った人好きのしそうな笑顔だった。
「……な、なぁオニヘビよ。あっちは高値が付くのは間違いねぇな」
一瞬ヤバい道に引き込まれそうになりながらも、オグマは理性を保つ。
「そりゃそうでしょう! 何せルーティスさまは女性全般一部男性と幅広い人気がありますからな♪」
「待て! 何か今おかしい処が――いや、そりゃ判らんでもないが……」
後半否定できずに、オグマの勢いが消えてゆく。
「ねぇオグマさん」
幌の中に戻りつつ、ルーティスが話しかけた。
「ん?」
オグマは視線だけ振り返った。
「……孤児院の子ども達、絶対救いだしましょうね」
彼の決意が込められた言葉を受けて、
「当たり前だぜ坊主」
オグマ、錆び付いた殺意を、研ぎ直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます