12

 まだどこかにいるだろうと思い、さっき人影を見た所まで慎重に歩みを進める。 塔屋の前では死角になっていた裏側も確認してみたが、人っ子一人見つからない。まさか落ちたか。


 そう思い、フェンスにぴったり身体を寄せて、地上を見下ろしてみたが、暗くてよく見えない。もし落ちでもしていたら、それなりの音は聞こえてくるだろうし、それ以上に、あの一瞬の間にこのフェンスを乗り上げるなんて荒業が、人間にできるわけがないと思う。


 ふと視界の下に何かが動くのが見えた。しゃがみ込み、フェンスの低い所にあったそれを手に取る。ノートの切れ端のようだ。こんな所まで紙が風に舞って、フェンスに器用に引っかかるのは少し不自然な気がしたが、暗闇の中それを凝視する。表には何も目立ったことがなかったので、裏側を見てみると、その中央にはっきりと黒い文字が書かれていた。


『どんなに努力しても戻ってこなくて、逆に努力した分無くなっていくものって何だと思う?』


 俺はそのナゾナゾのような語り口に、既視感を覚えた。記憶の水面すれすれにあるのだが、水に邪魔されて思い出そうにも思い出すことができない。もどかしい気持ちになるのだが、思い出そうとすればするほどそれは深くに潜っていってしまう感覚に陥った。


 さっきの人影がわざわざ置いていくような代物にも思えない。俺はいったん、このナゾナゾのことを忘れ、もう一度屋上を確認するために見回した。やはり誰もいない。暗くてよく見えないし、携帯の捜索だけして夜を明かすことのできる所を探そうと、屋上の扉のほうに進むと、案の定、俺が危惧していたことが起こってしまった。扉が手前にすうっと開きだす。どこかに隠れようと思ったが、時既に遅く、扉の奥から現れたのは、白髪混じりで中背ちゅうぜいの男性だった。


「おや。ここにいたんだね。見るからに峰館林高校ここの生徒さんのようだけど、屋上が立ち入り禁止になっていることは知らなかったかい?」


 その男性は容姿の雰囲気とよく合った声色でこう言うと、静かに扉を閉めた。両腕を腰の後ろに回すと、ゆっくりと俺のいるほうへ歩み寄ってくる。暗がりでよく見えなかった相手の顔がはっきりしてくると、男性の正体に気が付いた。


「校長先生!?」


 そう、彼は峰館林高校の学校長、田嶋俊哲たじまとしてつだった。

 田嶋校長は、驚かせて申し訳ないと微笑み、俺の直ぐ隣に立った。


「なかなか良い所だよね、ここは。わたしも気が向いた時は、夕方くらいになるとここに夕陽を見に来ることがあるんだよ。今日は曇り空だったからやめておいたけどね。それにしても、六月でも夜になると結構冷えるみたいだね」


 本当にそんなことを思っているのだろうかと思うくらい、田嶋校長は微塵もそういった仕草を見せずに話しかけてくる。


「あの、つかぬことをお聞きするのですが、校長は何故ここにいらっしゃったのですか?」と、俺が訊くと、

「ああ、そんなかしこまらなくてもいいよ」と前置きして、「いや、ね。さっきわたしが職員室のほうに用があって廊下を歩いていたら、たまたま君を見かけましてね。用を済ませてから、探しに来てみたら屋上の扉が開いてることに気が付いて、もしかしたらと思って様子を見てみたら案の定、きみがいたって次第ですよ」と説明してくれた。


 俺は咄嗟に、「すいません。直ぐに出ますので」と言うと、

「あー、いやいや。別に叱りに来たわけじゃない。学校長という立場上、見過ごすわけにもいかないから、一応厳重注意とだけ言っておきます。それに、今日の見回り担当の先生の確認漏れが招いたことだからね。そっちに関しては甘く終わらせるつもりはないけどね」と、笑いながらそう言った。


 俺も愛想笑いをして田嶋校長に応えると、校長は何かを思い出したかのように自分の内ポケットに手を伸ばした。ポケットから取り出したのは、長方形の物体だった。


 それをこちらに差しだしながら校長は、

「さっきここに来る途中で見つけたものだけど、もしかしてこれはきみのかな?」と、問いかけてきたので、その物体をよく見ると、まぎれもなく俺のスマホだった。


「あ、はい、俺のです! ちょっといいですか?」

 俺はそう言って、田嶋校長からスマホを譲り受けると、電源を付けた。いつも見ていたホーム画面の壁紙で安心した俺は、改めて感謝の気持ちを言葉にするとズボンの左のポケットにしまった。


「ずっと探してたんです! 公園で目が覚めてからスマホの行方が分からなくて……」

「よかったね。大切なものだろうから、次は無くさないようにするんだよ」

 田嶋校長はそう言い終えるとまた、腰の後ろに手を回しさっきのポーズをとった。


「ところで、公園で目が覚めたと言ったけど、自宅には帰らなかったのかい? きみは確か、二年生の澤村くんだったよね? 今日、無断欠席をしていると担任の先生から聞いたけど、何かあったのかい?」


 無断欠席? なんでそんな扱いになっていたのだろうかと疑問に思い、俺はふと思い出した。ついさっき左ポケットにしまったスマホを取り出し、再度ホーム画面を表示する。日付が分かるアプリケーションを開いた途端、俺は固まった。


「澤村くん? どうかしたのかい?」


 田嶋校長がそう質問してくる。

 どうもこうもなかった。

 アプリケーションの画面左上に表示されている数字は、子供多下に聞いた数字のプラス八。つまり、子供多下が言った年数は嘘っぱちで、俺はタイムスリップなどしていなかったということだ。

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