第28話

 空がしらみ、風が吹き始める。ざらざらと砂が舞い、また海がうねる。ふたりなら、あの向こうに行けるかもしれない。ほほえむアユムにいざなわれ立ち上がったとき、確かにソラは生まれた意味を知った気がした。ほほえみ返そうと、ひび割れたくちびるを広げる。


 けれども、ソラの片腕に鈍い衝撃が走った瞬間、そのほほえみは石になった。肩からずるりと皮膚が剥がれ、ずしゃりと音をたて足下に落ちた腕が、砂の上で指を動かしている。手招きするような指の動きを呆然と見ていると、アユムと繋がっていたはずの、残った片手の指が、はらはらとほどけていく。


 腰を落とすように膝をついたアユムは、ゆらゆらと体をゆらしている。それを上手く支えられなくて、片腕の肘から先を欠いてしまったソラは舌打ちをした。ゆっくりと倒れていったアユムは、きゅるきゅると膝を寄せ丸くなると、眠るように瞼を閉じた。


「アユム、アユム……なんで……せっかく……ぼくら……」


 ソラはアユムの背中に食い込んだ、片刃の工具を片手で握りしめた。ノゾミの作業場で見たことのある工具だった。片刃の工具はソラの腕と同様にアユムの体を切り離す手前なのに、小さく複雑な部品に挟まり抜き取るのが困難だった。無理にゆすると、アユムの身に着けた毛皮をザクザクと裂いた。


「……ずっと、そこにいたのよ……気づかなかったの?」


 自らを抱きしめるように腕を組んだマオは、落ち着きなく足踏みをして現れた。横たわるアユムをちらりと見下ろし、アユムの名を呼び続けるソラの声が聞こえないふりをして辺りを見まわすと、ふるえる声で言う。


「あなたたちが来る前から、岩陰に隠れていたのに……あたし……花の匂いなら判るのよ。きっと、アユムは来ると思っていた……」


 ギィーが現れたときには、襲われるのではないかと岩のようにうずくまり、ソラの手で倒されたことを確認したときには、素直に安堵した。アユムが無事だったことにも、なぜかほっとした。


「アユム、アユム」


 片刃の工具をガタガタとゆすりながらソラは叫んでいた。


「自由になりたかったの……あたし……あなたたちがいなければ……あたしは……。でも、エリが悲しむわね。アユムがいなくなれば、きっとエリが悲しむわ」


 一瞥もくれないソラに苛立つのか、小刻みに踏み続ける足を徐々に大きく踏み鳴らす。


「でも、あたし、アユムが嫌いなの……いいえ、違う……嫌いじゃない……好きよ。……いいえ、いいえ、やっぱり嫌い」


 やがてマオは両手の拳を振り回し、激しく巻き上がる砂を浴びることで、感情のもつれをほどこうとしていた。その傍で、ソラはアユムの名を尚も言い募っている。


「あたし……いけないことをしたの?」


 どうにもならないことを理解したように項垂れたマオは、足を踏み鳴らすことを止め、力なく言った。


「ねえ、あたしは、いけないことをした?」


 露わになったアユムの背中にぽちりと付いた螺子穴を、愛おしげに撫でるソラを見下ろしたマオは尋ねた。ソラは、マオの顔を見ることなく再び工具を握った。顔を歪め歯を食いしばった拍子に顎の皮膚に亀裂が走り、勢いよく刃が抜けた。


「ノゾミを……ノゾミを連れて来て」


 ソラは横を向いて丸くなったアユムの頬を撫でて言った。


「解ってる、解ってるの……でも解らないの……」


 不安げに眉を寄せ答えを求めるマオは、くらりくらりと首をゆらしていた。ソラは諦めたようにアユムの頬から手を離すと、ようやくマオの顔を見上げ、投げ捨てた片刃の工具を拾い上げた。


「大丈夫だよ、マオ。大丈夫だから……」


 背伸びして、残った片腕をマオの前に突き出した。


「嘘よ……」


 胸の前に差し出された刃がアユムとソラを傷つけた。それであたしの首をはねたところでソラは喜びはしないだろう。エリはどうだろう。ソラがアユムを想うように、あたしの名前を呼んでくれるかしら。


「マオ、お願い、ノゾミを連れて来て」


 マオは、恐ろしい武器からも、懇願するソラの瞳からも眼を逸らした。押し黙るマオのふるえる手に、ソラは片刃の工具を押しつけた。


「……直るの?」


 小さな男の子の頭頂部を見るともなく見れば、髪に絡まる砂粒が風に吹かれてマオの顔にかかった。


「ぼくらは、何度でも修理が利くだろ」


 穏やかにソラは言う。


「嘘よ。ソラもアユムも古すぎるわ。きっと、壊れて死んでしまうわ」


 そう、永遠なんて、ないのよ────


「それは……皆、同じだ……誰でも同じだ。だから……だから、そのときには……」


 砂のひと粒が人の命なら、あなたたちの命は、指に付いた砂粒の数だけ────


 ふたつの月は海の力で破壊され、この星も、やがて限界を超えるの────


「そのときには……忘れて……」


「ソラ?」


「忘れていいんだ……だから、今は、生きることを考えよう」


 重い片刃の工具を握りしめたマオは、長い髪を空に泳がせながら、くるりとソラに背を向けた。


 そうだ、あたしもギィーに殺られないようにしなければ。もう一度、エリに会えるように……

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