第11話 陳腐な夢

 その夜、私は眠れなかった。


 帰れないかもしれないという可能性が脳裏を時折駆け回っては、私の胸を騒ぎ立たせた。うとうとと舟を漕げば、矛盾ばかりの陳腐な夢しか見れない。


 亮が居て、お母さんが居て。お父さんまで居て。居ない筈のコニカやリーファも居て。不自然な程に、皆笑っている。おかしいと思いながらも、私はその輪から外れずに居る。出ていけば、もっと恐ろしい何かが陰で爪を研ぎながら待っている様な気がしてならないのだ。


 と、視界の端から突如迫りくる幾つもの無粋な腕。驚きながら勢いよく後ろに身を引けば、地面が急に抜けて、背中から落ちてゆく。回転する視界に妙にゆっくりと月が映る。


 だが私の月ではない。


 揺らめく網目状のベールが空を覆ったかと思いきや、津波となって襲い掛かってくる。目を固く閉じ、身を縮こまらせるが衝撃は容赦なく私の体を傷めつける。水の中の小石の様に転がってゆく私の手足は、岩で切ってはすぐ塞がり、切っては塞がり。目を開ければ水の中、耳を掠める様に火の玉が過ぎ去ってゆく。遠くで化け物の咆哮が聞こえた気がした。


 そこで目を覚ます。汗が滝の様に吹き出ているにも関わらず、体の芯が有り得ないほど冷え切っている。がくがくと全身が震える。コニカが渡してくれた厚手の毛布ごと自分を抱きしめ、夜の闇が終わるのを待った。


 夢だと分かっていながらも恐怖は現実の如く鮮明に蘇る。夢だと分かっているが故に心を支配する空虚感が涙という形で目元を、頬を濡らした。


 気弱になっているのは暗いせいだ。きっとそうだ。明るくなれば。朝が来れば状況は変わっているに違いない。


 根拠の無い励ましを自分にひたすら言い聞かせた。


 知らない場所で迎えた二回目の朝は、前日のそれとは比べ物にならないくらい、最悪なものだった。抜け切れていない疲労、気苦労、加えて怠い筋肉痛。涙は涸れ上がってしまったのか止まっていたが、腫れ上がった瞼は午前中いっぱいはひかないだろう。


 朝日が昇ったお陰だろうか。気持ちは沈んではいるものの、昨日の様に取り乱してはいない。もしかしたら、感情的になれないほど、疲弊しているだけかもしれない。


 ちらりと朝餉と出発の用意をしているコニカとリーファを見やる。酷い顔をしていたからか、手伝いの申し出は断られてしまった。だが手持ち無沙汰にしていると悪い考えが頭の中で発酵していく。何かをきっかけにそれが腐って、臭いをまき散らしながら内から溢れ出てしまいそうで、怖い。唯一出来るらばのブラッシングで気を紛らわす。


 何度目かも分からない溜息。独り言の様にらばに話し掛ける。


「どうしてだろう……」


 そう、どうして。どうしてここに連れて来られたのか。どうして私なのか。どうして、どうして、どうして。


「帰りたいなぁ……」


 蚊の鳴き声の様な声だった。再び溜息。


 やめだ。やめ、やめ。答えの出ない問いについて、いくら考えても生産的ではない。別の事を考えよう。手を動かしながら、昨晩の事を思い出す。


 帰郷が遠退いたと理解した私は年甲斐もなく、号泣してしまった。二十五歳にもなる大の大人が。それが誰もいない所で一人、感動的な映画を見ていたなら良しとしよう。百歩譲って、約二回りは自分より年上だと思われるコニカの前でも、時と場合によっては許されるだろう。だがあろう事か、年下であるリーファの前で泣き喚いてしまった事。恥ずかしいを通り越して屈辱的だ。


 話し込んでいる二人をもう一度横目で盗み見る。重い女だと思われただろうか。とんだ情緒不安定なお荷物を拾ってしまったものだと、後悔しているかもしれない。特にリーファは、怪し過ぎる私に対して終始警戒していた。置いて行くと言われたら、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。


 長い溜息と一緒に呻き声の様な物が喉から這い出て行った。


 私は、自分はかなり冷静な人間だと思っていたが、実のところそうではないのかも知れない。正直、自信が無くなってきた。だがそうでないのであれば、そう努めなければならない。コニカ達は、得体の知れない私を拾ってくれたのだ。自分達の身に危険が及ぶかもしれないとか、食料の減りがそれだけ速くなるとか。損はすれど、得にならないような人助けをなんて事無いかのように引き受けたのだ。


 それはきっと、凄い事なのだ。お礼を言っても、言い足りない。その上、歯痒い事にお礼の言葉すら分からない。だからせめて、これ以上は迷惑掛けたくないのだ。


 背筋を伸ばし、顔を上げ、深呼吸。強くあろう。


 朝ご飯に呼ばれた頃には、らばの毛は光沢を帯びる程、磨き上げられていた。

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