第3話 驚異的な集中力

 私が自分の長所だと思っているものは、同時に短所であると自負している。大学院に通っている私を人は「頭が良いのねぇ」と言ってきたり、テコンドーの黒帯を持っていると知れば「運動神経、抜群ね」などと褒めてくるが、それらは誤解である。


 私のとりえは、集中するのが得意という一点のみである。その集中力を駆使すれば勉学でも運動でも、学習能力は人よりやや上回っていたと感じる。結果として大学院に入るだけの知識を身につけることもできたし、二十年近く続けているテコンドーも黒帯にまでなれた。副作用として本などから雑学も色々と蓄えてきたが、それらは日常に於いてあまり役に立たない。


 だが、学業とテコンドー以外に集中する器用さを持ち合わせていなかった事もあり、時事には疎くお洒落とは無縁、野球で送球もままならなければ水泳の息継ぎも碌にできないのである。なので特に頭が、もしくは運動神経がずば抜けて良いという訳では無い。人間誰しも一つの事柄に集中すれば、ある程度の実力にはなれるというものだ。


 そしてなぜ、集中できることが事もあろうか短所だと言い切るかというと、集中力が最高潮に達すると、私は集中する事以外何も出来ないのだ。高校生の時、休日に母が家を空ければ平気で一日、それこそ夕飯時に母が帰って来るまで何も飲まず食わずで勉強していたりする。学校で自習時間となると、次の移動教室に気付く事無く、いつの間にやら無人の教室で一人になっていたなどという事もよくあった。


 近しい関係の周りの友人達が言うには、集中している時の私は、声を掛けられても、名前を呼ばれても、避難訓練の警報が鳴り響こうとも、無反応であるらしい。唯一、肩を叩くなどと触れてもらえれば、集中の糸を断ち切る事ができ、普通に呼び掛けに応じるようになる。


 言わずとも、呼び掛けたにも拘らず返事をしない人間というのは、感じ悪いと見られがちである。故に友達は片手で数える程しか居ないし、新しく人間関係を築くのも私には容易ではない。放っておけば無害という事もあり、疎まれる事は無かったが、大学と言う人がごった返している場所とは裏腹に私は確かに、孤立していた。


 それだけ聞くと淋しい人だと思われそうであるが、それは誤解だと言い切れる。家族である母以外にも数少ない友人の千夏や林さん、道場の先生に大学の教授、何よりも恋人の亮は、皆私をよく理解してくれており、孤独だと思った試しが無い。贅沢過ぎる程に周りの人に恵まれているのだ。


 だが、今正に、私を苦しめているのは、短所としての私の集中力の余波である。


 くきゅぅ。


 私のお腹は最早鳴く気力すら底尽きかけているらしい。先程までの獣の唸り声とも聞き間違えそうな騒音とは打って変わって、何とも控え目な主張。しかし音量と反比例するかのように空腹感は増大していた。


 徹夜した昨日、一昨日は、今月最後の山場であった事もあり、私は驚異的な集中力を発揮していた。最後に摂ったまともな食事は約二十四時間前のインスタントラーメンである。それをまともだと認めてしまって良いものなのか、迷うところではあるが。


 水分は一応レポートを提出した際に祝いの一杯と称し、柚子のジュースを自販機で買った。大好きな柑橘系の味が口に広がり、ペットボトルの内容物全てで渇き切った喉を潤した後、自らを奮い立たせて戦場、もといテストが行われる教室へと向かった。そのおかげかまだ喉は渇いていない。だが冬とはいえ、近いうちに水分補給しなければいずれ体が支障をきたすだろう。もたもたしていたら大変な事になる。


 転ばぬように足元に向けていた視線を上げ、一旦立ち止まる。視界は無情にも先程と大差ない。木、木、岩、木。空にもまだ太陽の気配は感じられない。


 すぅと息を吸い、止める。フゥーと長く吐き出してから、目を足元へと戻し、行進を再開する。焦って怪我でもしてしまえば、命取りになる。慎重、かつ迅速に。黙々と頂上を目指す。

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