第九話 プレペアーズ

「決めたわ」

 小秋がそう言ったのは、松久たちが後ろを向かされてから、三十分ほど経過した頃のことだった。

(何を、何を決めたんだ)

 そう言いたかったが、口に出せない。下手に何か声をかけると、機嫌を損ねあっという間に射殺されてしまうのではないか、そういう、過剰な恐怖に見舞われる。

「何を決めたんすか?」

 あっさりと提婆が言った。松久は思わず、彼の顔を見た。

「決まっているじゃない。あなたたちの処遇よ」

「……殺すんすか?」

「いいえ。殺さないわ。言ったでしょ、私は不殺主義者だって」

 松久の体の中心に、強烈な安堵感が発生した。四方八方に拡散し、全身に広がろうとしたところで、「でも、ダタで帰すわけでもないわ」という小秋の言葉により、停止する。

「じゃ、じゃあ……どうするんだよ」

 松久は震える声で言った。機嫌を損ねる恐怖より、安堵を止められたいらつきのほうが勝っていた。

「まあそれは、おいおい話すとして……今はあなたたちに、準備を手伝ってもらいましょうか」

「準備?」

「ええ。まずは……そうね、別荘の中に入りましょうか。ほら、もう動いていいから」

 そう言われたって、やすやすと動けるものでもない。小秋の、「早く向かわないと、撃ち殺すわよ」という脅迫があり、二人は慌てて歩き始めた。

 中に入ると、後ろで見張る彼女の指示に従い、進んでいく。二階の、寝室らしき部屋に入ったところで、「じゃあ、一人ずつ、あそこのハンガーラックを持ちなさい」と言われた。

 彼女の指差した先には、高さが二メートルほどで、前面に長いカーテンのついた、ボックス型のラックが、二台あった。

「こんなもん、どうするんすか?」提婆は訝しむような声を上げた。

「それは、後のお楽しみよ。さあ、早く持って。それくらい、一人で持てるでしょ」

 とりあえず、指示に従うしかない。二人はそれぞれ、ハンガーラックを一台ずつ持った。

「じゃあ、中庭に戻りましょうか」

 そう言われ、彼らは中庭に戻った。例の、船長室じみた場所に、それを置く。

 そしてその後も、小秋の指示に従い、ロープや台車、細長い段ボール箱二つ、床に散乱していたTCGのカード数枚、倒れていたほうのトンネルの扉など、いろいろなものを集めては、そこに置いていった。

「全部揃ったわね。次は……ハンガーラックを、設置しましょうか。一台目は……そうね、そっちの、池の縁に据えといて。カーテンのある面が、建物側に向くように」

 じゃあ、と提婆が言って、指定の場所に置いた。

「二台目は、反対側の池の縁──一台目と向かい合わせになるようにしてね、青足君」

 松久は言われるがままに、ハンガーラックを設置した。カーテンのある面も、建物側に向くようにする。小秋は次に、段ボール箱を平たく潰させ、ラックの左右の面にある横棒同士に架け渡させた。ちょうど、簡単なテーブルのようになる。それが終わると、台車を、橋の近くに移動させた。トンネルの扉を上に載せ、それをロープで縛りつけ、しっかりと固定させる。

「なあ、いい加減教えてくれねえか」中腰になり、息を整えつつ、松久が言った。「いったい、何の準備なんだ?」

 小秋はしばらく黙ってから、そうね、と言った。

「もう、全部終わったし……教えてあげる。ギャンブルの準備よ」

「ギャ……」しばらく、呆気に取られた。「なんじゃそりゃ?」

「察しが悪いわね」小秋はわざとらしくため息をついた。「これから、あなたたちの間で、ギャンブルをしてもらうのよ。ディーラーは、私が務めるわ」

「そのギャンブルで勝ったら、何があるんすか?」

「特に何もないわよ。手ぶらで、家に帰ってもらうわ」

「……じゃあ」松久は少し、間を置いて言った。「負けたら?」

「死よ」

 しよ、と心の中で反復する。死よ、という字に変換できたのは、二秒経ってからだった。

「死、死、死よ、って」松久は震える声で反論した。「おおお前、不殺主義者だって言ってたじゃねえか」

「心配しないで。このギャンブルは、簡単に言えば殺し合いなの。相手プレイヤーを殺したプレイヤーの勝ち。私自身が、手を下すわけじゃないのよ」

 松久は、提婆の横顔を見た。彼は、眉をわずかに顰め、小秋に視線を向けていた。

「クライム映画みたいに、裏切り者は皆殺しにすべきなのよね。でも私は、ほら、不殺主義者なの。だからこうして二人に、殺し合ってもらうしかないってわけ。一人は生き残っちゃうけれど、まあ……仕方ないわ。もう一人を死なせられた時点で御の字よ」

「保証はあるんすか?」提婆が言った。「勝てば生きて帰してもらえる、っていう保証が」

「勝ったプレイヤーも殺すつもりなら、こんな面倒臭いことやらずに、最初から皆殺しにしているわよ。ホント、苦肉の策なんだからね、これ」

「それはそうっすけど……」

「まあ、最終的には、私の不殺というポリシーを信じてもらうしかないわね」

 しばらく、沈黙が発生した。耐え切れず、松久が言う。

「そ、それで、どんなギャンブルをするんだ」

「寿司ジャンケンよ」

「寿……」思わず、言葉が詰まる。「寿司? 寿司ってあの……食べるやつ?」

「CCレモンとか、千溜めとか言う地域もあるらしいわね」

「レモン? せんだめ?」ますます、わけが分からない。

「全国の小中学校で、定期的に流行っている遊びよ。名前を知らないだけで、あなたもやったことがあると思うわ」

「……どんなやつなんすか?」

「二人でやる遊びでね。お互いが、同時に、手を二回叩いてから、ポーズをとるの。ポーズによって、勝敗が分かれるわ。その時に、決着がつかなかったら、また、手を二回叩いてポーズ。これを繰り返す。この手順は、普通のジャンケンと似ているわね」

「あー……」提婆が間抜けな声を出した。「なんか、やったことあるような……」

「ポーズは、【チャージ】【ビーム】【バリア】の三種類。【チャージ】は、体の前で両手を組むようなポーズ。親指以外の全部の指先を、互いに巻き込むようにして、ね。【ビーム】は、手首を縦に重ね、掌を見せるようなポーズ。かめはめ波とか、波動拳とか言ったら分かりやすいかしら? 【バリア】は、胸の辺りに、両腕でバツ印を作るポーズ……」

 小秋は説明しながら、実際に、軽くポーズをとってみせた。松久も、提婆と同じように、「あっ」という、間抜けな声を出す。確かに、見覚えがあった。

「【ビーム】のポーズをとると、相手に攻撃できるわ。それに成功すれば、自分の勝利。でも、その時、向こうが【バリア】のポーズをとっていると、『防御』、【ビーム】だと、『相殺』と見なされて、失敗するわ」

「じゃあ、相手が【チャージ】のときしか、攻撃は成功しねえってことか……」

「そのとおりね。でも、【ビーム】はタダで撃てるわけじゃないわ。事前に、【チャージ】をしておかなければならないの。一度、【チャージ】をするにつき、一発、【ビーム】が撃てるわ。基本的な説明は、こんなところかしら」

「……で?」提婆は肩をすくめた。「それでどうやって、殺し合うんすか? 僕はビームなんて撃てないっすよ?」

「そりゃ、生身じゃ無理よね。だから、道具をあげるわ」

「道具?」

「ええ。ビームに比べれば、地味だけれど」小秋は、地面に落ちたボストンバッグから、何かを取り出して、二人に見せた。「充分、人を殺せるわよ」

 彼女は、リボルバーを握っていた。


 松久は、全身が強張るのを感じた。瞬きすら、視線を逸らすことすらできず、小秋の握るリボルバーを絶え間なく見つめる。ごくり、と唾を呑み込んだ。

「ジャンケンには、拳銃を使ってもらうわ。【チャージ】は、弾丸の装填。【ビーム】は──いや、ここは【ショット】とでも言い換えるべきね──発砲。【バリア】は……こればっかりは、ハンドガンだけじゃどうにもならないから、さっき作ってもらった、可動式の防護壁を使うわ」

 眼筋に、力を入れる。橋の近くに置かれている、ロープで台車に固定された、トンネルの扉に視線を向けた。先ほどの銃撃戦で、提婆が扉を撃った時、弾丸は貫通せずに跳ね返されていた。確かにあれなら、身を守れるだろう。

「それぞれのアクションって」提婆は、特に動揺した様子も見せていなかった。「回数制限とかあるんすか?」

「【チャージ】と【ショット】はないわよ。【バリア】は、無限にするといくらでも逃げ続けられちゃうから……そうね、五回までにするわ」

 松久は、小秋の握るリボルバーを改めて見つめた。弾は、六発までしか入らない。たしか、オートマチックのほうは、八発だったはずだ。実質的には、それが【チャージ】の限界だろう。

「手順は、こう──まず、あなたたちには、池の両側にある、ハンガーラックの前に立ってもらうわ。あれは即席の、目隠しカーテンつきテーブルとして使うわね。それから、どのアクションを起こすか考えてもらうわ。シンキングタイムは五分。当然、カーテンは閉めてもらうわよ」

 普段から、勝負事には縁がない。五分というのは、シンキングタイムとして、長いのか短いのかちょうどいいのか、分からなかった。

「二人とも、どのアクションを起こすか決めたら、次はセッティングタイムよ。と言っても、あなたたちに何かしてもらうわけじゃないわ。私が、防護壁を移動させたり、拳銃や弾丸をテーブルに置いたりして、準備を整えるだけ」

 アサルトライフルを提げたまま、トンネルの扉の載った台車を押したり、テーブルを回ったりするのか。大変そうだなあ、と松久は思った。

「終わったら、スマートホンでアラームを鳴らすわ。それが合図よ。音を聞いたら、カーテンを開けてちょうだい。プレイングタイムに突入するわ」

「……その、プレイングタイムのときに、選択したアクションを行えばいいのか?」

「そのとおり。制限時間は十秒よ。その間に、アクションを済ませられなかったら、ペナルティーとして、拳銃に装填してある弾丸の数を一つ、減らすことにするわ。ちなみに、【バリア】の場合は、ディーラーの私が防護壁を二人の間に移動させた時点で、プレイヤーのアクションが済んだとみなすから、制限時間が過ぎても罰はないわ」

「ふうん……」

 提婆は顎をかいた。何か、気になることでもあったのだろうか。

「それで、プレイングタイムが終わったら、カーテンを閉めて、次のシンキングタイムに入るわ。以上が、一連の手順よ。決着がつくまで、これの繰り返し。言うまでもないけれど、相手が【ショット】で、自分が【バリア】でない組み合わせのとき、撃ち殺されないように、と思って、しゃがみ込んだり逃げたりするのは、ルール違反だからね」

「殺し損ねたときは?」提婆が手を挙げて、言った。「弾丸は命中したけど、急所を外れて、死ななかった……なんて場合は、どうなるんすか?」

 松久は思わず、提婆を凝視した。

「【ショット】に成功したにもかかわらず、殺せなかったら、装填してある弾丸の数や、残りの【バリア】使用可能回数などを、お互いリセットして、次のセットを始めるわ。逆に言えば、相手プレイヤーが死んだら、ギャンブルの途中でも、その時点で勝ちよ」

(……なるほどな)松久は視線を小秋に戻し、心の中で呟いた。(このギャンブル、運だけじゃねえ、いろんな要素が試される)

 相手の選んだアクションや、心理状態、思考内容を推理する知力。撃たれて、大怪我を負っても、ギャンブルを続行する体力。

(これらと、天運の三つが揃っていなければ、勝つのは難しいだろう。提婆は、何にでも秀でている……強敵だ。俺の場合、知力はテスト前しか高くならねえし、体力なんて……あれ……負けそう? いやいや、そう悲観すんな……)

「あ、そうそう、当然だけれど、不正をしたら即、失格よ。プレイングタイム以外の時に、相手の様子を覗こうとする、とか、選んだものとは異なるアクションを起こす、とか」

「……失格になったら、どうなるんすか?」

 小秋は、何をいまさら、という風に嗤った。「決まっているじゃない。射殺よ」

 提婆は、何を馬鹿なことを、という風に嗤った。「不殺主義者の君が、すか?」

「あら、できっこないって思うんなら──」

 小秋はアサルトライフルを構えた。バットプレートを肩に当て、銃口を提婆に向ける。

 松久は、ひっ、と小さく悲鳴を上げた。背筋を伸ばす。

「今すぐ、不正をしてみればいいんじゃない? 何も、ギャンブルの開始を待つ必要はないわ。この場で、ディーラーである私に危害を加えようとしてくれれば──射殺してあげるわよ。主義を守れないのは、非常に残念だけれどね」

 提婆はしばらくの間、銃口を睨んだ後、小秋に視線を移した。それから、「分かった、分かったっすよ」と言って、肩をすくめた。

 小秋は、構えを解いた。松久は、思わず、自分のことでもないのに、安堵のため息をついた。

「基本的なルールは、これくらいかしらね」彼女は、にこっ、と笑った。「最後に、一つだけ。不正でない行為なら、何をしてもいいわ──何でもあり、よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る