第20話
世界中の恥を全部かき集めても、ボクには
百メートルくらい真下に穴を掘って、後世の人に地底人の化石として発掘されたかった。
ユウさんや山口さんがボクの失敗を知っている。そう思うだけで身を焼くような感覚があった。
ユウさんが近寄って来て「今夜もするの?」と言われたときには、苦しくて息ができなくなった。
するわけない。できるわけない。
もしかしてボクにとって、生きることと、恥をかくことは同義じゃないかという気がしてきた。
病室に帰ると、ドジョウが“グフー、グフー”といびきをかいて眠っていた。
背中を撫でていたら、肩胛骨辺りの毛がごっそりと抜けてしまった。
毛が抜けたところが、パソコン画面のドットが落ちたように白くなる。
季節の変わり目でもあるし、仕方ないのかもしれないが、ちょっと抜け過ぎじゃないだろうか?
このまま抜け続けて、最後に本体が見当たらず、“ドジョウって毛の塊だったね”ってことにならないだろうか?
ドジョウはともかく、しずかちゃんは本当にこの病棟に存在しているのだろうか?
この病院にいないんじゃないだろうか?
彼女の存在自体がボクの妄想だったかもしれないという気さえしてくる。
でも、こんなふうにシズカちゃんの存在を曖昧にして、ボクは彼女に接触する努力を放棄しようとしているのかもしれない。
元々ダメだった自分が、もっとダメになっていくのを感じるのはつらい。
目的に向かって力を注ぐとかそういうことが今はしんどくなっている。
何の努力をしなくても、遠くからでも、彼女を眺めていられた日々が懐かしい。
シズカちゃんとボクが同じ学校に通って、普通の学校生活をしていたことが、今となっては信じられない。
もっとも学校生活の前につけた「普通の」という部分については、シズカちゃんにしても、ボクにしても、かなり微妙だ。ユウさんも言ってたが、彼女に対するいじめの噂があり、実際にそれは噂だけではなかった。女子どうしのなかで、どうして“ああいうこと”が起こるのかボクには良く分からないが、「いじめの輪」みたいなものが彼女の周りはにできていて、示し合わせたように彼女を無視し孤独にしている状況があった。もっと露骨な場合には、彼女に関する妄想レベルの噂を書いた怪文書が授業中に回覧されたりした。 ぼくが彼女を好きだったのは、そんな悲惨な状況に耐えるヒロインというイメージの影響もあったかもしれない。
とにかく、彼女にとって学校での生活が決して愉快なことだけではなかったことは確かだと思う。部長が演劇部に強引に誘ったのは、そんな時期だった。彼がシズカちゃんの状況を見かねて云々というのはいつもの
こんな話を聞いたことがある。
錯覚とは間違った知覚であり、対象となる実体がある。
幻覚とは知覚のみが宙に浮き、対象となる実体がない。
ボクの彼女に関する知覚は錯覚だったのだろうか? それとも幻覚だったのだろうか?
ボクは自分が知覚していたのが、せめて錯覚であってくれたら、と思う。思っていたのと実体が違っていても良い。ボクの存在と無関係であったとしても良い。ただ、その中心にはきちんと実体があり、相手に何かを感じたこと自体には意味があることを願わずにはいられない。
平穏な日々が続いた。
元々、精神病院というところは平穏さを取り戻すための場所だから、放っておけば吐き気がするような穏やかな日々が待っているのだった。
病棟での生活が長引くにつれて、当初の恐怖は薄らいでいった。
全ての気持ちの輪郭がぼやけて、自分が今、どんな感情を抱いているのかすら分からなくなる。
悲しみを感じることも少なくなった。
怒りなんて精神の
“ナゼ?”ということさえ思わなければ、快適とまではいかないが、なんとか耐えられる生活だった。
うまくできているもので、薬が耐えることを助けてくれる。
脳を半分殺すことで、楽になるのならそれも悪くない。
そう思うことを自分に許し始めていた。
ゲームで言えば、このままバッドエンド。一生精神病院で過ごしました、というパターンだろうか。
薬のせいで、何事もない夜は入院前より良く眠れるくらいだった。
その日もなるべく何も考えないように、自分の形がついた枕をさらに固めるように頭を押しつけていた。
間もなく、泥が押し寄せるように眠りがやって来た。
夜中に急に起こされた。
突然部屋を移るように言われた。
看護師の話では、非常に
眠い目を擦りながら、自分の荷物をまとめる。
看護師の後ろをついていった。
詰所の前を通って、反対側の廊下に入る。
オカシイ。
こっちは女性の病室のはず。
突き当たりまで来た。
ソンナハズハナイ。
看護師の顔を見るが暗くて表情までは良く分からない。
全く理解できない事態に戸惑いながら、命じられたまま病室の扉を開けた。
目の前にいたのは脳内の幻影と化していた“彼女”だった。
「これから、一緒の部屋になったみたいね……よろしく」
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