第15話

 Dr.の病室を出たときは午前2時過ぎだった。彼の言葉の意味を反芻する。考えるには疲れ過ぎていた。

 そして、家に帰るにはもう遅過ぎた。

 皆それぞれの理由で、家に帰っても待っている人はいないようだった。それは、こういう場合には良いことに思えた。


 部長とペアの二人部屋に案内された。小さな窓に鉄格子のはまった病室は、部屋というより“人間の収納ケース”だった。

 病院全体に独特の焦げ臭い匂いが漂っている。病室に入るとそれに消毒剤の匂いが加わり、鼻を刺した。

 窓は視線よりも高い位置に作られ、夜空しか見えない。

 部屋全体が発しているメッセージは、きっと「余計なことを考えるな」だ。


 部長はため息をつきながらベッドに座った。そして「蒸れるんだよなあ!」と言いながらアフロヘアをカポッと外す。

 あまりにもビックリして固まった。

 じっと見ているボクの様子に気づいたのか、「そんな、カツラにきまってるだろ? こんな頭してる高校生いないって」とつまんなさそうな顔で言われた。

 ボクは、トンデモなく非常識だと思ってた人から、スゴく常識的なことを言われて、時空が歪むぐらい動揺した。


「少年。知ってた? あのジイさん、シズカちゃんの“お爺ちゃん”だぞ」

 “エッ”と言ったけど、かすれて声にならなかった。

 そう言えば、シズカちゃんの名字は「浅井」だ。


「それからな……シズカちゃんは、頭のやまいで、ここに入院してるんだ」

 いつもは病的に饒舌な部長が、言い淀んだ。



 たしかにシズカちゃんの言動は最近、不安定だった。

 

 最後のパフォーマンスのとき感じた危うさも“頭のやまい”が原因かもしれない。しかしあのとき彼女と……ただの憧れの対象だった彼女と、本当につながることができた気がした。支離滅裂なことを口走り、机を頭上に掲げ、血走った眼でそれを回転させていた彼女に、崇拝の感情が湧き出るのを止めることができなかった。部長によれば、あの時普通のやり方では彼女の発作を抑えられないと思って、体を張ってしずかちゃんを制止したのだ、という。しかし実際に体を犠牲にして、血を出して倒れたのはシズカちゃんだった。部長に嫉妬するくらいなら、ボクはピクピクとふるえる彼女に電気ショックなどせずに、自分の頭をカチ割り、傍で一緒にけいれんすべきだったのだ。……睡眠不足と疲労で少し変になった頭で、そんなふうに考えた。

 

 “人に関心を持ってはいけない” 

 通奏低音のように、そう言い聞かせている自分がいる。


 人に関わるから、こんなワケの分からないことに巻き込まれる。普通に呼吸ができる、普通の場所に早く戻りたい。こんなオカシなことが起こる、オカシな場所にいたくない。ボクはひっそりと、人に嫌がられないように、呼吸することだけに集中しているべきだ。

 ボクのルールブックはそう告げている。


 けれども、脳の回路を焼かれたみたいに、ボクの思考はまっすぐに彼女の方へ短絡ショートする。彼女に繋がる糸を手繰り寄せるのを止められない。


 深過ぎる混乱を抱えながら窓を見上げると、空が白んでくるのが見えた。

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