地獄の季節

 変身。

 男の子は、メタリックな装甲を身にまとったヒーローに。

 女の子は、ポップでキュートなドレスを身にまとった魔法少女に。

 形は違えど、幼いころに誰もが一度は憧れるものだ。そう、幼いころには。

 涼美は、顔立ちは幼いが、正真正銘の28歳である。世間では、結婚をして、変身に憧れる子供がいてもよい年齢である。

 今後の展開に一抹の不安を感じた涼美は、恐る恐るオーニスに尋ねた。

「あのー……、ところで、戦う力はどのような感じなのでしょうか……。正直、この年齢でフリルとかリボンとかフワフワなミニスカートなどは御遠慮したいのですが……」

 28歳の魔法少女。日曜日の朝に放送するには、絵面としてかなり厳しい。当然の不安と質問である。

「外見と年齢を気にしているんデスか?」

「ええ、まあ……」

「なら問題ないデスよ? 春日さんの心から力を汲み取るんデスが、最も精神力が強く、元気だったころから拝借するんデス。その際に、肉体年齢も引きずられて若返りますので御安心を!」

 オーニスの説明を聞いて、だから魔法少女はみんな若いんだなー。と納得する。今の私は、お世辞にも強く元気な精神状態とは言えないしなあ。そんなことを涼美が考えていると、では早速いきますよー。とオーニスは立ち上がった。

 え、あ、ちょっと待って、という涼美の訴えを無視して華麗にジャンプ。前足を涼美に向かって振り下ろす。

 もふっ。

 肉球の感触を額に感じた途端に、涼美は、全身の血液が、まるで熱湯と入れ替えられたかのような錯覚を受け、身悶える。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

「せっかくの変身なんですから、もうちょっと可愛いらしい声をあげれませんかね」

「無ぅ理ぃぃぃぃ……!! 全身がああああ熱いのおおおお……!!」

 元々、28歳女性の平均身長よりもやや低かった涼美の身長は、虹色の光とともに更に縮んでいく。関節という関節が、バキバキゴキゴキと、魔法少女の変身にそぐわぬ音を立てた。

「精神に引きずられて、肉体が変化しているんデスよ。すぐ済みますから我慢してくださいねー」

 身体の変化とともに、身に着けていた部屋着や下着などは、身体に巻きつく眩い光の帯とともに粒子と消え、別の衣装へと再構築されていく。

「ハァ……ハァ……」

「はいお疲れ様デス。おー、なんというかコレは……まさにヒトの想像する死神! って感じの戦闘衣装バトルフォームデスねえ」

 カーペットの上で四つん這いになり、息も絶え絶えだった涼美は、オーニスの言葉を聞くと、姿見へ駆け寄った。

「なんですかこれー!」

 元の身長から5cmほど縮んだ小柄な少女の体躯。濡れた美しい黒髪は、鈍い銀色の輝きに。瞳の色は、黒から真紅へ。

 身に着けているものは、手足に巻かれたボロボロの包帯。フードのついた、前開きの漆黒のローブ。革のサンダル。以上。あとは下着すらない。

 控えめに言って、異国の物乞いか痴女である。

「なんデスかもなにも、春日さんの心から汲み取った力デス。神の力は心の力。ほら、精神って漢字は神って文字が入ってるでしょ? 考えたヒトは本質をついてますね!」

 私の心から……汲み取っ……た……? 私の最も心の元気だった頃から……?

 姿見に映る自らの格好に、涼美は強烈な既視感を覚えた。心の奥底に、鍵をかけて大事に大事にしまっていたもの。黄昏よりも昏く、血の流れより紅く、時の流れに埋もれた闇の記憶。

「あー!!」

「ひゃっ、なんデスか春日さん急に!?」

 涼美は思い出してしまった。年の頃はおそらく中学二年生あたり。図書室にあった、漫画のようなイラストが表紙の小説を、うっかり手に取ってしまったことがきっかけであった。その日を境に、涼美は覚醒してしまった。何にとはあえて言わないが、覚醒してしまったのである。

 翼を広げた想像は、白紙の自由帳を舞台に舞い踊り、想像の創造は、高校受験で忙しくなる、三年の夏休み明けまで続いたのであった。

「……これ、私が作ったオリキャラの衣装だ」

「オリキャラ? よくわからないデスけど、春日さんの、能力者に対する殺意が滲み出ていて、格好良いと思うデスよ」

 オーニスはべつに、お世辞で言っているわけではなさそうだが、いかんせん天使(自称)。人間の感性とはかけ離れているかもしれない。そう考えた涼美は、ローブの端をピラリと持ち上げて言った。

「でもこの、ちょっと動いただけで丸見えになってしまうのはナシじゃありません!?」

「丸見え? なんのことデス?」

「いや、だから、このボロ布の下ってなにも身に着けてないんですけど……」

 視線を下にめぐらすと、自己主張のまったくない、薄い胸に平らなお腹。

「黒い霧のようなものがあって、私は全く見えませんよ? 春日さんには見えませんか? 黒い霧」

「へ?」

 オーニスの言葉をうけて再び下を見るも、前の開いたボロボロのローブの谷には、相変わらず平原が広がっていた。恐る恐る手を入れてみるも、なんの手応えもない。

「ここに? 黒い霧が?」

「デス」

 オーニスも、そーっとローブの間に前脚を差し入れてみるが、特に害はないようだ。上下にパタパタと振って霧を払おうとするも、無駄に終わる。更に前脚を奥へ入れてみると、普通に涼美の胸に肉球が触れた。

「ひゃあ」

「うーん……オニーちゃんちょっとよくわからないデスねー。何度も言うようデスが、春日さんの心から汲み取ったものデスので。なにか心当たりはありません?」

 心当たり……心当たり……。そう呟いて、額に手を当て記憶を必死に掘り起こす涼美。

「あっ」

「なにかわかったデスか?」

「実家にまだある……はず」

「なにがデス?」

 今現在は一人暮らしをしている涼美だが、正月に実家に戻ったとき、まだ自分の部屋はそのままにしておいてくれていた。その中にあるはずだ。涼美の若さ故の過ち。青い心の発露。過去の暗雲。いわゆる、黒歴史ノートというものである。

「ノートなんですけど、この格好の私になにができるか、書いてある……かも……」

「おお、そのようなものが!」

 己の黒歴史と向き合うのは抵抗があったが、涼美とて、自分がなにができるのかもわからないまま、また、相手がどういう性格でどういう力を有しているのかもわからないまま戦いに出るほど、無謀ではなかった。彼を知り、己を知れば、百戦、殆うからず。先ずは自分のことを知ることだ。そう自分に言い聞かせる。

「ノートを取りに行くのは良いんですけど、この格好のままというのはちょっと……。どうやって戻れるんです?」

「心で念じれば戻れますよ。変身も同様デス。一度できてしまえば、あとは簡単。自転車の運転みたいなものデス」

 それでは早速と、後先も考えずに戻れと涼美は念じてしまう。

 バキバキゴキゴキ。

 全身が熱くなり、身体の伸縮とともに、骨や間接がまたもや異音を発する。ボロローブや包帯は粒子と消え、元の部屋着を再構築した。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

「その車に轢かれたウシガエルのような叫び声はどうにかなりませんかね」

 そもそも、この苦痛を伴う変身をどうにかしてください。そう思う涼美であったが、抗議の声を上げる気力もなく横たわっていた。

 ぐう。

(そういえばご飯がまだだったっけ……)

 お腹が空いたことで、ふと疑問に思ったことを、涼美はオーニスに尋ねる。

「そういえば、オーニスさんはマルの身体ですけど、ご飯とかはどうするんです?」

「オニーちゃんでいいデスよ。えっとデスねー、オニーちゃん自身は食事いらないんデスが、当然このマルちゃん? の身体の維持には必要になってきます」

「……キャットフードで大丈夫ですか」

「たぶん、マルちゃんが食べられるんだったら、なんでもOKデスよー」

 食事を用意をするのは、一人ぶんも二人ぶんも、大して手間に変わりはないのだが、キャットフードと水で済むのなら、それはそれで助かる。

 のそのそと立ち上がった涼美は、戸棚からキャットフードの袋を取り出すと、餌皿を洗って中に適量よそった。いちおう水も新しく交換する。

「えっと、どうぞ……」

「わーいありがとうございますー! 実は先ほどからこのマルちゃんの身体、かなり空腹をうったえていたんデスよー!」

 餌をどのようにして食べるのか、興味を持ってオーニスを見守っていた涼美であったが、普段のマルと同じように、顔を餌皿に入れて食べだしたので、ちょっぴりガッカリしながら、構えていたスマートフォンを下ろした。

「? なんデス?」

「な、なんでもないです。……美味しいですか?」

 器用に前足で食べだしたりしようものなら、動画を撮ってSNSにアップしようと思っていたなどとは言えない。

「はい! なんかめちゃくちゃ美味しいデス! イケます!」

「それは良かったです」

 オーニスが餌を食べているあいだに、涼美は自分のぶんの食事を準備することにする。とはいっても、夕食のために買ったコンビニ惣菜を、野良犬に盗られてしまったので、備蓄していた冷凍ご飯とおかずを電子レンジで温めるだけなのだが。

「ごちそうさまデス! 実は受肉してなにかを食べたり飲んだりって初めてなんデスよ! いやー、なんか凄いデスね! 一種の娯楽デスね! 身体を貸してくれているマルちゃんと、貴重な体験をさせてくれた主に感謝デス!」

 あっという間に餌皿のキャットフードを平らげてしまったオーニスは、初めての食事にひとしきり感動しながら、別の餌皿の水をペロペロと飲みはじめる。

「ひゃー! 水も美味しいデスね! 喉を通る時の感じがなんか凄い! 渇きが癒えるって凄い!」

 水にも大興奮のオーニスを横目に、温めたカレーを口に運びながら涼美は考える。

 とりあえず、方針は決まった。

 実家に帰り、部屋に隠してある黒歴史ノートから、死神(仮称)の情報を。戦うための力を得る。

 相手は一筋縄ではいかぬであろう異能力者達。万全の準備と対策をもって当たらなければ、逆に自分が返り討ちにあいかねない、正に命がけの戦いになるだろう。でも、なにもしなければ、そのうち不幸に殺される。ならば。ならば足掻いてやろうじゃないか。今まで私を苦しめてきた元凶チート使いを排除する。排除して、普通の生活を勝ち取るのだ。

 若き活力ある頃の心を取り戻した故か。涼美の闘志は静かに燃え上がっていた。

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