罪と業火

 どうしてこうなったのか、ヴィーヴォは分からなかった。腕の中でぐったりとしているヴェーロを抱え、ヴィーヴォは聖都の外縁街を走る。

 襤褸ぼろを纏っているために誰も自分が夜色だとはわからない。だが、腕に抱えた竜を道行く人々は奇異きいの眼差しで見つめていた。

 僧兵たちが、そんなヴィーヴォを追う。坂道の中央通りを避け、ヴィーヴォは路地裏うらろじへと足を踏み入れていた。

 走り続けたせいでのどが焼けるように痛い。大きな疲労を感じ、ヴィーヴォは壁に背中を預けていた。

「ヴェーロっ……」

 腕の中のヴェーロに話しかけても、彼女はヴィーヴォの声に応えようとしない。

 さきほどまでの出来事を思い出して、震える腕でヴィーヴォはヴェ―ロを抱きしめていた。

 すべてはポーテンコの言葉から始まったのだ。ヴィーヴォの霊廟にやってきた彼は、淡々とした口調でヴェーロを引き渡すように言ってきた。

 それが、教皇の勅命ちょくめいだということも。

 兄が何を言っているのか分からなかった。だが、兄は霊廟の中を飛んでいたヴェ―ロを無理やり捕え、嫌がる彼女を人形術で攻撃したのだ。

 それから先のことはあまり覚えていない。

 床に倒れたヴェーロを抱え、ヴィーヴォは必死になって霊廟から逃げ出した。どこをどう走ったのかすら覚えておらず、気がついたらここにいたのだ。

「なんで、こんなことに……」

 涙があふれ出てしまう。

 ぐったりとしたヴェ―ロを抱き寄せ、ヴィーヴォは嗚咽おえつを必死になって堪えた。

「きゅん……」

 弱々しい鳴き声が聞こえてヴィーヴォは竜を見つめる。閉じていた眼をうっすらと開け、ヴェーロはヴィーヴォを見つめていた。

「きゅん……」

 優しく眼を細め、大丈夫だと自分の竜は鳴き声をかけてくれる。こみ上げてくるものを必死になって耐え、ヴィーヴォはヴェ―ロを抱き寄せていた。

「大丈夫、君は絶対に守るから……大丈夫だから……」

「きゅん……」

 首を伸ばし、ヴェーロは自分の顔を覗き込んでくる。頬を流れる涙をそっと彼女は舌で拭ってくれた。

「こんなところにいたのか……」

 瞬間、冷たい声がヴィーヴォの耳朶に突き刺さる。ぞわりとヴィーヴォは背筋が寒くなるのを感じていた。暗い、路地の奥へと顔を向ける。夜闇のような眼を鋭く細めたポーテンコが、自分を睨みつけていた。

「兄さん……」

「早く、彼女をこちらへわたしなさい」

 後ずさりするヴィーヴォに、ポーテンコはゆっくりとにじり寄ってくる。

「嫌だ……」

「ヴィーヴォっ!」

 ゆっくりと首を振り、ヴィーヴォは震える声を兄に送っていた。そんなヴィーヴォをポーテンコが一喝いっかつする。

 恐い。

 その思いから、ヴィーヴォは兄に背を向け、駆けだしていた。

「ヴィーヴォっ!」

 ポーテンコの声が後方でする。だが、彼から逃れることはできなかった。

 ねじじれた手足を持つ木製の人形が、ヴィーヴォの行く手を塞いでいたのだ。翅から不気味な音を発しながら、ポーテンコの木製人形はヴィーヴォににじり寄ってくる。

「嫌だ……。来ないで……」

 涙を流しながら、ヴィーヴォは震えた懇願こんがんを人形にすることしかできない。

「ヴィーヴォ……」

 怒気に満ちた兄の声が後方でする。兄に肩を掴まれた瞬間、ヴィーヴォは叫んでいた。

「嫌だっ! 誰か助けてっ! 助けて、Vero《ヴェーロっ》!!」

 ヴィーヴォの叫び声が周囲に轟く。

 瞬間、ヴェーロから眩い光が発せられ、それは爆音を伴って周囲に襲いかかった。





 目覚めたときヴィーヴォが聞いたのは、遠くで聞こえる爆音ばくおんと、人々の悲鳴だった。

 うっすらと眼を開けると、立ち昇る炎と煙が視界に映りこむ。

 驚いてヴィーヴォは上半身を起こしていた。

 炎に包まれた聖都が眼前にある。自分がいたはずの外縁街は炎に包まれ赤々と燃えていた。

 どうして自分は、こんなところにいるのだろうか。疑問に思い、ヴィーヴォは周囲を眺めていた。

 そしてヴィーヴォは気がつく。自分が巨大な竜の背中に乗っていることに。その竜が咆哮ほうこうをあげ、聖都に向けて巨大な火球を放っていることに。

 聖都がその火球によってさ炎に包まれていることに――

「なんだよ……これ……」

 ヴィーヴォの呟きを無視して、竜は湖面を滑走かっそうし、巨大な火球を連続して吐き続ける。その火球から、聖都を守る少年たちの姿があった。

 機械の竜が火球を受け止め、ヴィーヴォの眼の前で次々と大破たいはしていく。見慣れた紫陽花あじさいの灯花が巨大な蔓網つるあみとなって火球を受け止める。

「ヴィーヴォ! どうしてこんなことをするんだっ! 君は僕たちの命よりも、その竜の方が大切なのっ!?」

 聞きなれた叫び声が、上空から聞こえる。小さな竜骸に乗ったマーペリアが、悲痛な眼差しをヴィーヴォに向けていた。

「マーペリア……?」

 何が起こっているのか、わからない。気がついたら自分は、この竜の背中に乗っていたのだ。

 どうして、マーペリアたちを殺さなければならないのだろうか。

「君は、その子のためだったらお兄さんまで平気で殺すのっ!?」

 マーペリアの震える叫び声を聞いて、ヴィーヴォは大きく眼を見開いていた。

 自分が、ポーテンコを殺した。彼は何を言っているのだろうか。

「君がその子をなで縛ったんでしょ? そのせいで、ポーテンコはっ!」

 マーペリアの叫びから、ヴィーヴォはすべてを悟っていた。

 この巨大な竜は、ヴェーロだ。自分は名前を呼び彼女に助けを求めた。

 無意識のうちに自分は彼女の名前を縛り、救ってほしいという命令を彼女に下していたのだ。

 では、自分たちを捕えようとしていたポーテンコは――

「あ……嫌だ。兄さん、嫌だっ!」

 がくりとヴィーヴォは竜の背の上で膝をついていた。

 兄を自分は手にかけた。その罪の重さに、ヴィーヴォは胸が張り裂けそうになっていた。

「ヴィーヴォっ!」

 両手を顔で覆うヴィーヴォのもとに、竜骸に乗ったマーペリアが接近せっきんしてくる。彼はヴィーヴォのいる竜の背に近づき、ヴィーヴォに腕を差し伸べてきた。

「早くっ! 君の竜はおかしいっ!」

「マーペっ!」

「ヴィーヴォっ!」

 マーペリアに促され、ヴィーヴォは彼の手を握りしめる。マーペリアはヴィーヴォを竜骸の背へと引き上げた。彼は物凄い勢いで、竜骸を竜の背から放していく。竜骸は燃える聖都を目指し突き進んでいた。

 ヴィーヴォは離れていくヴェーロの姿を唖然と見つめていた。

 鈍く輝く銀の鱗は珊瑚色が放つ灯花の槍も、金糸雀が操る機械竜たちの炎さえ受けつけない。巨大な翼で突風を巻き起こし、ヴェーロは空を舞う花吐きたちの体を弄ぶ。

 何人たりとも彼女の攻撃を受けつけず、彼女は火球を吐いて聖都を業火の中へと放り込んでいく。

 その姿は、聖都を形づくる銀翼の女王そのものだった。怒り狂った女王が、罪を犯した聖都を罰している。

 業火ごうかに包まれる聖都に巨大な灯花のつぼみが生じた。赤い薔薇を想わせるそれは花開き、散りゆく花弁で業火を切り刻む。薔薇の花弁は突風とっぷうに乗り、巨大な彼女に肉薄にくはくしていく。

 ヴェーロが悲鳴をあげる。

 首筋から赤い血を迸とばせながら、彼女は湖へと落ちていく。それでもヴェーロは蒼い眼で聖都を睨みつけ、口から巨大な火球を吐き出した。

 強力な突風が辺りに吹き荒れ、ヴィーヴォたちの乗る竜骸を大きくゆらす。

「うわっ!」

 マーペリアが悲鳴をあげる。飛ばされそうになった彼の腕を握りしめ、ヴィーヴォは竜骸の背中に必死になってしがみついていた。迫りゆく火球の衝撃波しょうげきはに竜骸は形を崩し、火球の熱波に装甲が溶かされていく。

「ヴィーヴォっ!」

 マーペリアの叫びとともに、ヴィーヴォは彼を抱き竜骸から飛び降りていた。

 落ち行く視界の先に、火球に飲み込まれる竜骸が映りこむ。ヴェーロへと眼を向けると、彼女は沈みゆく湖から顔を出し、新たな火球を放とうとしていた。

「もうやめてっ! Vero《ヴェーロ》っ!!」

 ヴィーヴォの悲鳴が、周囲に響き渡る。暗い湖面がヴィーヴォの眼前に現れ、マーペリアともどもヴィーヴォは湖の中へと落ちていった。



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