夕顔の丘

 ヴィーヴォが眼を覚まさない。

 りぃんと竜胆りんどうの形をした灯花を彼の耳元でゆらしてみる。けれど、長い睫毛まつげに覆われた彼の瞼が開くことはない。ヴェーロは、手に抱えていた灯花をヴィーヴォの眠る寝台に散らしてみせる。

 りぃん、りぃん、りぃん。

 催促さいそくするように灯花たちは音を奏でるが、ヴィーヴォは身じろぎ一つしない。

「ちゃんと命……あげたのに……」

 数日前の出来事を思い出して、ヴェーロは顔を曇らせる。

 自分の友達である人魚のために彼は大量の灯花を吐いた。そのあと倒れた彼に幾度いくども生命力を分け与えているが、彼が起きる気配はない。

 気のせいだろうか。

 最近、ヴィーヴォの眠る時間が長くなっている気がする。灯花を吐いたあとは特にそうだ。

「ヴィーヴォ……起きて……」

 彼がこのまま眼を覚まさなかったら。そんな不安が胸を過って、ヴェーロは眼をゆがめていた。

潤んだ眼からこぼれた涙がヴィーヴォの頬にかかる。それでも彼は起きてくれない。

 頬に落ちたしずくを舐めとり、ヴェーロは彼の体に覆いかぶさる。彼の両頬をそっと包み込み、ヴェーロは彼の唇に口づけを落とした。

 これで何度目だろう。

 目覚めない彼に、唇を重ねるのは――





 暗い色をした夕顔ゆうがおが咲き乱れる丘にヴィーヴォは佇んでいた。

 りぃん、りぃんと悲しげな音を奏でながら、ヴィーヴォが吐いた灯花たちは風にゆれている。

 その苦しげな音が滑稽こっけいで、ヴィーヴォは苦笑を顔ににじませていた。

 夕顔は罪のあかし

 夕顔の灯花として吐き出された魂は、永遠に水底で咲き続ける運命にある。

 数日前、大勢の魂を灯花に変え殺したばかりだ。その夕顔がこうして自分の周囲に咲いている。

 胸に刻まれた焼き印が痛む。自分も本来はこの夕顔の灯花になるはずだった。

 それを兄であるポーテンコが救った。ヴェーロをいさめることができるのは、自分だけだと教皇を説き伏せて。

「どうして兄さんは、僕を殺してくれなかったんだ……」

 胸元を握りしめ、ヴィーヴォは呟く。

 過去にヴィーヴォはポーテンコに名を縛れていたことがある。

 罪人たちを夕顔の灯花に変えるために、彼は名を縛ることによってヴィーヴォに罪人たちを殺させていた。

 ヴェーロを養うことを許可しておきながら、教皇の命に従いヴェーロを自分から引き離そうともした。

 そのせいで、ヴェーロは――

「あの人は、ヴェーロを殺そうとすらした……」

「でも、君を僕のもとに導いてくれたのは、ポーテンコさんだよ、夜色。僕があの人にお願いして、君があの漁村にくるよう手配してくれたんだ」

 ヴィーヴォの呟きに応えるものがある。驚いて顔をあげると、薄紅うすべにがかった銀髪を束ねた青年がヴィーヴォを見つめていた。

 銀の眼を桜色に煌めかせながら、彼は笑みを浮かべる。

珊瑚色さんごいろ……」

 もうこの世にいないはずの人物を目の当たりにして、ヴィーヴォは大きく眼を見開いていた。珊瑚色は苦笑しながらも、言葉を続ける。

「そんなに驚かなくてもいいだろう? 僕は死んだけれど、灯花になってメルマイドの側にいるんだ。存在自体が消えたわけじゃない。僕を灯花にした君は、僕の主でもある。こうやって夢を通じて話をするぐらいのことはできるよ」

「死んでも色々と規格外きかくがいの人ですね。あなたは……。からである人魚と恋をしたり、そうかと思ったら僕の夢にズケズケと入ってきたり……」

「君の霊廟れいびょうに押し入って、愛を囁いてあげたこともあったね。君が泣き叫ぶもんで、僕には君が必要だって言ってあげたくなっちゃって!」

「それは言わなくていいっ!」

 昔のことを思い出して、ヴィーヴォは思わず叫んでいた。罪人の魂を夕顔の灯花に変えたあと、幼い自分は後悔の念にりつかれ泣き叫んだものだ。

 そんな自分を、いつも珊瑚色がなぐさめてくれた。彼はヴィーヴォの側に寄り添い大丈夫だとヴィーヴォを抱きしめてくれた。

「本当、あなたには何度助けられたかな? それに、あの子守歌……」

 珊瑚色の優しい歌が耳朶に蘇る。何だか嬉しくなってヴィーヴォは微笑んでいた。

 泣き疲れ意識が朦朧もうろうとする自分に、珊瑚色は優しく子守歌をうたってくれた。懐かしい、母親が歌ってくれた子守歌を。

 あの歌声に、自分はどれだけ救われただろう。

「夜色、いやヴィーヴォそれは……」

 小さな珊瑚色の声がヴィーヴォの耳に聞こえる。珊瑚色を見ると、彼はさみしそうに眼を伏せ、片腕をにぎりしめていた。

「僕、何か変なこと言った?」

「ううん、君はすごく甘えんぼさんだなって思って」

 首を振り、珊瑚色は曖昧あいまいに笑ってみせる。何だか誤魔化ごまかされた気がして、ヴィーヴォは唇をとがらせていた。そんなヴィーヴォを珊瑚色が優しく抱き寄せる。

「ちょ、珊瑚色……」

「2人だけのときは名前で呼べって言っただろ? ほら、ヴィーヴォ……」

 ヴィーヴォの顔を覗き込み、珊瑚色は不敵な笑みを浮かべてみせた。耳を赤く染め、ヴィーヴォはそんな彼から顔を逸らす。

 その昔、人に名を教えることは愛の告白だとされていた。名は人を縛り、その名を知る人はその人を支配することができるからだ。

 そして、名を呼ぶことを忌避きひする聖都では、今でもその習慣が残っている。

「コーララフ……」

 消え入りそうな声で、ヴィーヴォは珊瑚色の名を呼ぶ。珊瑚色は笑みを深め、ヴィーヴォに言葉を返した。

「やっぱり、君が女の子だったら恋に落ちてたかもなぁ……。初めて会ったときは女の子たと思って、つい名前を教えちゃったんだよねぇ……。そしたら君も名前を教えてくれて……。まぁ、君が男でも僕は構わなかったんだけど……」

うるさいなっ! 聖都に来たばっかりの頃は、名前を教えることが愛の告白だなんてこと知らなかったんだよっ!」

「あー、お互い若かったってことで。今は僕らにも恋人がいることだしねぇ」

 珊瑚色はヴィーヴォの髪を乱暴になでてくる。ヴィーヴォは顔を不機嫌ふきげんに歪め、彼を睨みつけていた。

「僕のこと、憎くないの……?」

 珊瑚色から眼を逸らし、ヴィーヴォは小さく尋ねる。彼の遺言を破り、自分は漁村の人間たちを夕顔に変えた。そんな自分を彼が許してくれるとは思えない。

 珊瑚色は眼を曇らせながらも、微笑みを浮かべてみせる。

「僕は君に託した。それだけのことだよ、ヴィーヴォ……」

 そっと珊瑚色の手が、自分の頬を優しくなでてくれる。驚いてヴィーヴォは顔をあげていた。

「そろそろ起きてあげなよ。心配してるよ、彼女……」

「あっ……」

 珊瑚色の優しい言葉に、ヴィーヴォは俯く。

 きゅんと愛らしいヴェーロの鳴き声が耳元でして、ヴィーヴォは口元に微笑みを浮かべていた。

「うん、そうだね」

「またね、ヴィーヴォ。僕も愛しい人のところに帰らなきゃ」

「さようなら、コーララフ……」

 珊瑚色が頭から手を放す。

 彼は手を振りながら、きびすを返した。暗い灯花の花畑を、彼は独り歩いていく。

「さようなら……」

 もう、2度と彼に会えない気がしてしまう。ヴィーヴォは小さく彼に別れを告げていた。



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