暗い海の子守歌
自分が死ぬのは、誰のせいでもない。だから、どうか誰も
その言葉を
ヴィーヴォは白い石英を積んで作れた聖堂の中に立っていた。壁の壁龕には珊瑚色が吐いた灯花たちが飾られ、冷たい壁を照らしている。
ヴィーヴォが体を動かすと、法衣につく装飾が
「本当にいいのか?」
男の声がヴィーヴォにかけられる。後方へと振り向くと、参列席に座った男性が自身を静かに見つめていた。
紺青の髪から覗く彼の眼は、
本当におかしな人だとヴィーヴォは苦笑してしまう。
「だって、珊瑚色を殺した連中を始末するために僕はこの漁村に
そっと首飾りの竜胆に触れ、ヴィーヴォは兄に
「我らの夜色さま……。あなたの行いに、始祖の竜の
竜の首飾りを握りしめ、ポーテンコは
「また、あなたに
そっとポーテンコの頭に手を乗せ、ヴィーヴォは震える声を発する。
「あなたの罪は教皇様の
ポーテンコの言葉を受け、ヴィーヴォは自身の後方へと顔を向けていた。先ほどまで自分が仰いでいた竜の彫像が、視界に映りこむ。
聖典に記された、この水底の創造主たる始祖の竜を――
教会の聖典には世界の始まりがこう記されている。
竜と共に水底の底に落ちた命たちは、始祖の竜の背に新たな世界を創りあげた。
それが水底の始まり。水底は始祖の竜の背中に存在する世界であり、始祖の竜は大陸となって今なお生き続けているという。
色の一族はその始祖の竜の末裔だとされている。そして、その一族の血を引く者の中に、稀に先祖がえりを起こすものがいるのだ。
それが、命を循環させる力を持つ花吐きだ。
聖都はこの花吐きを、始祖の竜の使いとして崇めている。花吐きは元いた世界に魂を
自分をそんな大層なものだと、ヴィーヴォは思ったことすらないが。
「
形式に則り、ヴィーヴォは兄に祝福の言葉を述べる。
「お前は、それでいいのか? ヴィーヴォ……」
ポーテンコが小さな声で告げる。
「あなたが、それを望んだくせに……」
ヴィーヴォは静かに言葉を放っていた。顔を
胸に刻まれた
自分は、これから罪を
だが、人々はその罪を裁きだという。
教会に
そう、これは罪でない。教会という名の権力が許可した正義なのだ。
そう言い聞かせ、ヴィーヴォは
黒い衣を纏った少年たちが
地球が白い砂浜を
砂浜には鉄格子の
彼らは
これから彼らが受ける仕打ちを考えれば無理はない。
ヴィーヴォは砂浜へと歩を進める。
子供たちの手には、
透きとおる歌声を発し、彼らはヴィーヴォを
その歌に応えるように、ヴィーヴォは美しいアルトの
それは、呪いの
罪人の死を喜び、その魂の苦しみを願う旋律は不気味に
人魚たちの歌声だ。人魚たちが、罪人である村住人が
少年たちの輪の中心へとヴィーヴォは歩みを進める。お互いの鎌をかち合わせながら、少年たちはゆったりとした動作で舞を始めた。
ヴィーヴォの歌声が低くなる。
低い音程で
その歌声に応じるように、鉄格子の向こう側にいる人々が呻き声をあげ始めた。
彼らは苦悶の表情を浮かべながら、檻の中で
やがて、泡を吐き始め人々の口から青白く光る球体が
魂だ。
魂が体から抜け出た瞬間、人々は糸の切れた操り人形のように
取りこぼされた魂は、ヴィーヴォの周囲で巡る少年たちに吸い込まれていく。
花吐きは、死者の魂を新たな生へと導く存在である。だが、その力を逆の方向へと使うことも出来るのだ。
紡ぎ歌の内容を変えるだけで、花吐きは生者から魂を抜き取ることすら出来る。死神と化した彼らは、歌声だけで人を死に追いやることが出来るのだ。
その力を、教会は
特に花吐きの殺害は重い罪だ。それを知りながら、伝染病に感染した珊瑚色を村人たちは追いだした。
そんな彼をメルマイドが救い、あの遺言が記されていた水晶の
快方に向かっていた彼をメルマイドが漁村に返した
メルマイドは遺言通りに彼の眼を死体から盗み、それを何も知らない村人たちに目撃されて――
あぁ、
自分を
遺言で珊瑚色はヴィーヴォにこう語りかけていた。
自分はもうすぐ死ぬだろう。けれど、自分を追害した人々を許して欲しいと。彼らは長年病に苦しめられ、その恐怖から自分を砂浜に置き去りにしたのだと。
人々に災いを向けることがないよう人魚たちを説得して欲しいと。
自分と同じ、人でないものを愛した君にしか僕の気持ちは分からないと、珊瑚色はそうヴィーヴォに遺言で語りかけていた。
あぁ、本当に滑稽だとヴィーヴォは泣いていた。
優しい珊瑚色を、村民たちはなんの感慨もなく殺したのだ。そして、そんな彼の死を心の底から悲しんでいたのは、他ならぬ人でない人魚たちだった。
自分はそんなことすら知らずに、彼女たちを屠っていた。
魂の抜けた檻の中の人々を見つめる。
ヴィーヴォの体が淡く輝く。ヴィーヴォの眼が光に瞬き、口から灯花が吐き出された。
それは、暗い色をした紫色の
結晶の花弁をつけたそれは、
夕顔の花言葉は
文字通り罪を象徴する灯花として吐き出された魂たちは、転生することなく水底に
「夜色さまっ!」
ヴィーヴォを幼い声が呼ぶ。ヴィーヴォは、声のした後方へと体を向けていた。
長い髪を2つ縛りにした少女と、眠たそうな顔をした少年を見てヴィーヴォは驚く。
ヴェーロの背中に乗って、一緒に流れ星を追った子供たちだ。
その子供たちが仲間に取り押さえられ、自分を
「村人たちが
2人を取り押さえる少年の1人が、気まずそうにヴィーヴォにそう語る。その話を聞いて、ヴィーヴォは笑い声をあげていた。
後で正式に教会の使いが来て、彼の遺体を聖都へと持って帰ることになっていたのだ。
恐らく大人たちは珊瑚色の遺体が入っていた
どこまで彼らは、珊瑚色を
「子供とはいえ彼らも罪人だ。灯花にしよう」
「人殺しっ! 村のみんなだけじゃなくて、私たちまで殺すのっ! あなたなんて、人間じゃないっ!」
「嫌だっ! 死にたくないっ!」
涙を流しながら、子供たちは叫ぶ。だが、ヴィーヴォは子供たちの声を聞いても、何の
「君たちは、どうして珊瑚色が死んだのか知ってたの?」
冷たい声音が唇から
「知ってたわっ! 言ったわっ! だから助けてっ! 珊瑚色様には悪いことをしたと思ってる! でも、私たちだって――」
「教えてくれて、ありがとう」
瞬間、少女の体は
「姉ちゃんっ!」
少年が悲鳴をあげる。そんな彼にヴィーヴォは歪んだ微笑みを向けていた。
「ひぃっ!」
「大丈夫、君も綺麗な夕顔にしてあげるからね」
眼を歪め、ヴィーヴォは怯える少年を視界に映しこむ。捕らえられた彼に近づき、その耳元でヴィーヴォは呪いの歌を静かに歌い始めた。
海の
自分の膝に頭を預けるヴィーヴォが、それを許さないからだ。彼はヴィーロの体に腕を巻きつけ、
それでも彼の流すあたたかな涙は、ヴェーロの肌を伝い白い砂地へと吸い込まれていく。
自分のもとに戻ってきたヴィーヴォはいつもと様子が違っていた。彼の黒い眼は光りを失い、絶望に塗り《ぬ》つぶされているようだった。
疲れ切った声で、彼はヴェーロに言ったのだ。
子守歌をうたって欲しいと。
彼の頼みを聞いて、ヴェーロは困った。自分はヴィーヴォのように美しい歌をうたうことができない。
歌は苦手だ。
それでもかまわないと、彼は涙を流しながらヴェーロに
それから、ヴェーロはずっと子守歌をヴィーヴォのために歌い続けている。
紺色の彼の髪を優しくなで、ヴェーロは高い声をはっする。その声に続くように、メルマイドの美しいソプラノが暗い海原に響き渡った。
それは、喜びの歌だった。
恋人と再会した、少女の心情を
でも、ヴェーロにはその歌声がとても辛そうに聞こえた。
まるで、悲しみをこらえて彼女は歌をうたっているみたいだ。
「メルマイド……どうしたのかな?」
子守歌をやめ、ヴェーロは呟く。そんなヴェ―ロを力強くヴィーヴォが抱き寄せた。
「歌ってよ……僕のために……」
涙に
「ヴィーヴォ……」
「歌えってばっ!」
顔をあげ、ヴィーヴォが怒鳴り声をあげる。その声にヴェーロは体を震わせていた。
「ヴィーヴォ……恐い……」
ヴェーロは怯えた表情を彼に向けてみせる。ヴィーヴォは顔を歪ませ、起き上がってヴェ―ロを抱き寄せた。
「ごめん……ただの八つ当たりだよね……こんなの……。君は何も悪くないし、何も知らないだけだのに……。僕は、そんな君を望んでいるのに……」
「ヴィーヴォは悪くない……」
悪いのは人間たちだ。
自分たちを無理やり引き離そうとした人間が、命可愛さにメルマイドの恋人を殺した人間たちが悪い。
そんな思いを、ヴェーロは言葉に
ヴィーヴォが大きく眼を見開いて、自分を見つめてくる。
「そっか、僕は君が人の形をしているから愛しているんだ……。人じゃない君が、人の形をしているから、僕は君を愛しているんだ……。人間なんか、嫌いだから……」
「ヴィーヴォは悪くないよ……。悪くない……」
「僕も……人間なのにね……」
そっと眼を瞑り、ヴェーロは彼の背中を優しく叩いていた。ヴィーヴォのすすり泣く声が耳に響き渡る。
その泣き声をかき消したくて、ヴェーロの唇は子守歌を奏でていた。
泣きながら、ヴィーヴォは水晶の壁に記されていた珊瑚色の遺言に思いを
遺言を読んで、ヴィーヴォは心の底から珊瑚色を憎んだ。
どうして彼は、そこまで優しくなれるのだろう。人にも、そうでないものにも。
自分は、人を愛することが出来ないのに――
だからこそ、彼女に縋ることでしか孤独を
そのために、彼女を人のように
珊瑚色は、ありのままのメルマイドを愛していた。自分を殺した人を憎むことさえしなかった。
そんな彼が、心の底から憎くて、羨ましくて、優しい人だと思った。
だから、ヴィーヴォは村人を皆殺しにしたのだ。
自分と違い、人を愛することができた彼が憎かったから――
ヴェーロの歌声を聞きながら、ヴィーヴォは繰り返し珊瑚色の遺言を頭の中で
夜色いや、ヴィーヴォ、君には本当にすまないと思っている。
でも、君しか僕の気持ちを分かってくれないと思ったから、僕はこの遺言を君に託すんだ。
人でないものを愛する君にしか、僕の気持ちは分からない。
凄いね。
敵だと思っていた人魚たちとこんなに仲良くなれるなんて思わなかった。
彼女と、恋ができるなんて想像もしなかった。
僕はもうすぐ死ぬ。
でも、全然恐くないんだ。
彼女が、側にいるからかな。
まさか、ずっと気になっていた桜色のお姫様とこうやってお近づきになれるとは思えなかったよ。
他の人魚はすぐに僕と仲良くなってくれたけど、彼女は
だから僕は君に望む。
どうか、僕を君の手で灯花にして欲しい。そして、灯花になった僕を彼女に託して欲しい。
それは、人とそうでないものを繋ぐ絆になるだろうから。
僕たちは異なる存在だ。
でも、分かり合うことが出来る。彼女がそれを教えてくれた。
だから、きっと君も僕と同じなんだと思う。
人間同士でも争いが絶えないこの世界で、僕たちは分かり合うことが出来た。
きっとそれは、奇跡なんだ。
それを人は、恋と呼ぶんだ。
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