光の遺言



 頬にあたたかな感触かんしょくがあり、ヴィーヴォはゆるゆると眼を開けていた。ぼんやりとした視界に1人の少女が映りこみ、ヴィーヴォは口を開く。

「ヴェーロ?」

 名を呼ぶと、少女はゆっくりと首を振る。

 まばたききをする。はっきりとした視界に映りこむのは、ヴェーロではなく桜色の髪を持った人魚だった。

 薄紅色の彼女の眼から涙が零れては、自分の顔にあたっているのだ。

「君が、助けてくれたの?」

 そっとヴィーヴォは彼女の頬へと手を伸ばす。その手を握りしめ、人魚は頷いて見せた。

「そっか、本当にヴェーロの友達なんだね……」

 微笑んでみせると、彼女は濡れた眼に笑みを浮かべてみせる。ヴィーヴォは起き上がり、言葉を続けた。

「それなのに襲ったりして本当に悪かった。その……ごめん……」

 よく見ると、彼女の体は傷だらけだ。その傷がなんとも痛ましくて、ヴィーヴォは彼女から顔を逸らしていた。

 ふと、地面に生える灯花を認める。

 それは赤紫色の紫苑しおんだった。その紫苑の花が、透明な水晶の地面に無数に生えているのだ。 顔をあげ、周囲を見渡す。

 自分がいる場所は、どうやら水晶の中にできた大きなうろらしかった。そんな水晶の虚の一面は輝く文字が刻まれ、虚の頂きには穴が空いている。

 桜色の人魚は、海に引きずり込まれたヴィーヴォを救い、どうやらあの穴からこの虚に逃げ込んだみたいだ。

 文字の記された壁の向こう側では、蠱惑的こわくてきな笑みを浮かべる人魚たちが周囲をただよっている。


 

 おいで――

 おいで――


 

 透きとおる歌声が虚に響き渡ってくる。その歌を聞きながら、ヴィーヴォは苦笑していた。

「えっと、僕たち……完全に取り囲まれちゃってるねぇ……」 

 苦笑を、側にいる人魚に向けてみせる。人魚は悲しそうに眼をゆがめて、口を開いた。

「Mi bedaŭras《ごめんなさい》」

「むしろ悪いのは僕の方だよ。レディをこんなに傷つけたなんて知ったら、母さんにしかられる……」

 そっと彼女の頬についた傷口を指でなぞる。人魚は驚いたように眼を見開いて、ヴィーヴォを見つめ返してきた。

「あぁ、君たちの言葉は少しだったらわかるよ。これでも僕、聖都の花吐きだしね。あの、僕みたいなやつに教えたくないだろうけど、君の……名前は?」

「Mermaid《メルマイド》, Li donis al mi nomon《彼が名前をつけてくれた》」

「人魚って……恋人にそのまんなの名前つけるかなぁ」

「Mi ŝatas ĉi tiun nomon……《私はこの名前が好き……》」

 胸に手をあて、メルマイドと名乗った人魚は不機嫌そうに顔を曇らせた。ヴィーヴォは微笑んで、彼女に言葉を返す。

「いや、あの人らしいや。奔放ほんぽうだったあの人に、君みたいな本命がいたことの方が驚きだけれどね」

 ヴィーヴォの言葉を受け、メルマイドは悲しそうに眼を伏せる。彼女は水晶の壁を指さし、小さな声で言った。

「Mi volas ke vi legu tiun leteron.《この文字を読んで欲しい》。 Ĉu la vorto, kiun li lasis por vi《彼があなたに残した言葉です》」

「珊瑚色が僕に……?」

 光り輝く文字をながめ、ヴィーヴォは立ちあがる。ゆっくりと壁に歩みり、手をえる。すると文字が淡く明滅し、その姿を変えた。

 しゃらんと灯花たちが淡い光を吐き出して鳴る。

 文字を描いていた光は形を変え、少年を乗せて空を飛ぶ竜の姿を壁に描き出す。その竜の横に、新たな文字が書き加えられた。


 ――久しぶりだね、ヴィーヴォ……。君が来るのをずっと待っていた。僕はもう長くはない。だから、ここに記されるのは僕の遺言ゆいごんだ。君には真実を知ってもらいたい。僕と同じ君には、僕の気持ちがきっとわかるはずだから――


 文章を読んで、ヴィーヴォは眼を見開く。これは、自分にてて書かれた珊瑚色の遺言だ。

 どうして彼は自分に遺言を残したのだろうか。

 困惑するヴィーヴォをよそに、文字はどんどんと書き加えられていく。どうやら彼は、ここに咲く灯花たちに遺言をたくし、彼らに自分の意思を伝えるよう言い残していたらしい。

 変化していく文章を追うヴィーヴォの表情は、驚きから悲しみのそれへと変わっていく。眼から涙を流し、ヴィーヴォは地面に力なくひざをついていた。

「なんだよ、これ……。なんであなたは、いつもそうなんだよ……」

 変わることをやめた光の文字列をなぞり、ヴィーヴォは涙を流し続ける。背後から抱きしめられ、ヴィーヴォは後方へと振り向いていた。

「Mi bedaŭras……《ごめんなざい》」

 自分を抱きしめるメルマイドが、謝罪の言葉をのべてくる。

「君のせいじゃない」

 そんな彼女に、ヴィーヴォは震えた声を発していた。メルマイドは顔をあげ、ヴィーヴォを驚いた様子で見つめてくる。

「彼と一緒にいてくれて、ありがとう……」

 そっと自身を抱きしめるメルマイドの手を優しくなで、ヴィーヴォは言葉を続ける。メルマイドはヴィーヴォから離れ、花畑の中央へとっていく。

 花畑の中心にあるものを認め、ヴィーヴォは眼を見開いていた。

 それは、びんだった。その瓶の中に一揃ひとそろいいの眼球が海水に浸かって浮かんでいる。桜色に煌めくその眼球を見て、ヴィーヴォは眼をゆがませていた。

「珊瑚色……君は……」

 メルマイドは瓶をそっと抱き寄せ、愛しげにそれに頬を寄せる。幸せそうに眼をつむった彼女は、穏やかな声で告げた。

「Realiĝis via deziro estas apenaŭ……《やっとあなたの望みが叶う……》」

 そっと彼女は眼を開け、すがるようにヴィーヴォを見つめてくる。

「メルマイド……」

 ヴィーヴォは立ち上がり、メルマイドへと体を向ける。そんなヴィーヴォにメルマイドは、瓶を差し出してきた。

「そこに、珊瑚色がいるんだね?」

 ヴィーヴォの問いかけにメルマイドは静かに頷く。唇を引き結び、ヴィーヴォはメルマイドへと近づいていった。

 そのときだ。

 引き裂くような悲鳴が、あたりに響き渡ったのは。

「なんだっ!?」

 ヴィーヴォは壁の向こう側へと視線を転じていた。水晶の虚を取り囲んでいた人魚たちが、苦悶くもんの表情を浮かべながら透明な粒子となって消えていく。

 そんな人魚たちの背後に、美しい胸鰭むなびれを持った銀色の竜がいた。

 





 ヴィーヴォが殺される。

 そう思った瞬間しゅんかん、ヴェーロはその姿を竜へと転じていた。その竜の姿から、ヴェーロはさらに姿を変えていく。

 彼女の銀糸のたてがみは透明な背鰭せびれとなり、羽は銀がかった胸鰭むなびれへと転じる。あしと一体となった尾鰭おびれを大きくりながら、ヴえーろは海中へと突入した。

 暗い海の中を迷うことなく突き進んでいく。そんなヴェーロの側に、人魚たちが群がってきた。

 わらう人魚たちが、鋭い鍵爪かぎづめで攻撃してくる。ヴェーロは大きく口を開け、そんな人魚たちを鋭い牙でほふっていた。

 噛みつかれた人魚が、気泡きほうを吐きだしながら咆哮ほうこうをあげる。彼女の体は硝子がらすのように砕け、海中へと散らばっていく。

 たけりくるう人魚たちの叫び声が、ヴェーロの耳朶じだを叩く。怒った人魚たちは、高い声をいっせいに発した。

 その声は海中を震わせ、鋭い凶器きょうきとなってヴェーロの体を傷つけていく。そんな人魚たちを睨みつけ、ヴェーロは口から煙をらしていた。口を大きく開けると、巨大な火球が放たれ、人魚たちへと襲いかかる。

 爆音ばくおんが海中をゆらす。爆発によって巻き上げられた砂が、ヴェーロの視界を奪う。それでもヴェーロはかまううことなく前進を続けた。

 海中に漂う、花の香りを追う。それは、花吐きであるヴィーヴォの匂いだ。

 その匂いの先に珊瑚礁さんごしょうが広がっている。珊瑚礁の向こうには、光る文字の記された透明な水晶の壁があった。

 その壁の向こう側にヴィーヴォがいる。そのヴィーヴォの側に人魚がいるではないか。

 このままでは、彼が殺されてしまう。

 大きな咆哮ほうこうをあげ、ヴェーロは水晶の壁の側にいる人魚たちに火球をぶつけていた。人魚たちは悲鳴をあげながら、透明な粒子となって消える。

 壁の向こう側にいるヴィーヴォが驚いた様子で、自分を見つめてくる。

 ヴェーロは鋭い咆哮ほうこうをあげ壁に襲いかかっていた。

 ヴィーヴォの側にまだ人魚がいる。その人魚が彼を殺す前に、処分しょぶんしなければならない。

 ヴェーロは海中を突き進み、水晶の崖に頭を打ちつけていた。崖にひびが入り、その内側に広がっていた空間に水が浸入する。崖を完全に崩すべく、崖にもう一頭突きをする。

 轟音ごうおんと共に崖が崩れる。

 崖の内側に入り込む海水と共に、雄たけびをあげ、ヴェーロは水かきのついた前足を崖の内側に広がる虚へと入り込ませていた。紫苑の灯花を踏みつけ、唖然あぜんと座り込むヴィーヴォの脇を通り過ぎ、人魚へと襲いかかる。

 瓶を庇うように抱きしめた人魚は、怯える眼で自分を見つめながら何かを叫んでいた。

 その叫び声が自分に呼びかけているような気がして、一瞬だけその動きをとめる。

 桜色の人魚は、震える眼差しで自分を見つめながら、ヴェーロに両手を差し伸べてきた。

 だが、ヴェーロは大きく叫び、彼女に牙を向いていた。

 ヴェーロが人魚をほふらんとヴェーロが口を開けた瞬間、眼の前にヴィーヴォがおどり出た。

「止まれっ! Veroっ!!」

 ヴィーヴォが自分の名前を叫ぶ。

 ヴェーロは動きを止め、前足を地面に投げ出していた。その衝撃で、虚は大きくゆれる。虚の壁に開いた穴から、灯花が海水に運ばれて流れ出ていく。

 横たわる自分の頭を優しく抱きしめ、ヴィーヴォは自分に話しかける。

「ヴェーロ、僕は無事だ……。だからもう、大丈夫……。大丈夫だよ……」

 なぐめるように自分の頭をなで、ヴィーヴォは囁きかける。その言葉にヴェーロは大きく眼を見開き、うめき声をあげていた。

 ヴェーロの体を光が包み込む。ヴェーロは少女へと姿を変えていた。

 ヴェーロは、力なく地面に膝をつける。そんなヴェ―ロをヴィーヴォは優しく抱きしめてくれた。

「竜は……何をしようとしていたの……?」

 先ほどまでの出来事が頭の中を巡る。

 ヴェーロは、ヴィーヴォの背後にいるメルマイドへと視線を向けた。彼女は怯えた眼をヴェ―ロに送るばかりだ。

 当たり前だ。自分は、彼女を殺そうとしていたのだから。

「あ……いや……。いやぁああああ!!」

 ヴェーロの叫び声が、虚に響き渡る。

「ヴィーロ、落ち着いてっ!」

 ヴィーヴォに抱き寄せられ、ヴェーロは悲鳴をあげることをやめていた。涙に濡れた眼を彼に向ける。 ヴィーヴォは優しく微笑んで、ヴェーロに告げた。

「メルマイドから話は聞いた。彼女の望みを叶えてあげたいんだ。協力してくれる?」

「ヴィーヴォ……」

 ヴィーヴォが優しく髪をいてくれる。髪をなでられ、ヴェーロは気持ちが落ち着いていくのを感じていた。そっとヴィーヴォの背後にいる友人へと顔を向ける。

 メルマイドは真摯な眼で自分を見つめ、口を開く。

「Bonvolu……《お願い……》」

 眼球の入った瓶を大切そうに持ち直し、メルマイドはヴェーロに頭をさげてきた。




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