黒衣の使者
亡くなったのは、長老の
最近、流行り病で亡くなる人が増えた。彼女の死因もそれだという。
黒い髪を真っ白な布の上に広げ、彼女は眼を閉じている。まるで眠っているような彼女を目の当たりにして、ヴィーヴォは息を呑んでいた。
まだ、彼女が生きているのではないかと
それに――
ヴィーヴォは天井を静かに
くるくると蒼白い光を放つ球体が、部屋の中を
星になった少女の魂だ。
自身が死んだことを
「大丈夫だよ、ĝojo《ゴージョ》」
凛とした声に己の力を込める。すると不安定だった魂は少女の形をとり、ヴィーヴォの前へと降りたった。
名で彼女を
古来より、名前には万物を支配する力があるとされている。古の昔、水底の支配者である教会は名前で人々を従わせる
今でこそ
特に命を司る花吐きは自身の力を意識するだけで、死者の魂を
色の一族の1つ、黒の一族の直系であるヴィーヴォなら、名を縛ることにより人間を従えることすらできるという。
そう、兄であるポーテンコは教えてくれた。魂を名で縛ることも彼が教えてくれたことだ。
――花吐きさま……。
目の前の少女に呼ばれ、ヴィーヴォは我に返る。まるで
「おいで、ゴージョッ!」
気を取り直して、ヴィーヴォは彼女を呼ぶ。両手を広げてみせると、彼女は嬉しそうにヴィーヴォの胸へと跳び込んできた。
彼女の体は
体が
ゴージョの喜び、悲しみ、怒り。懐かしい思い出。懐かしい音。
彼女の忘れがたい日々の思い出が、ヴィーヴォの中を駆け巡っていくのだ。
それらの記憶をもとに、ヴィーヴォはゴージョのための
亡き両親への
ゴージョの思いは歌となってヴィーヴォによって紡がれ、彼女の魂を浄化していく。
ヴィーヴォの体が白く輝く。眼を煌めかせながら、彼はふっと息を吐いた。
その息と共に、一輪の灯花が吐き出される。
蒼い
「君は、おじいさんの側にいたいんだね」
ヴィーヴォは細い指で
「行こう。おじいさんのところへ……」
灯花になったゴージョをヴィーヴォは優しく両手に持つ。
瞬間、花の花弁が慌ただしく瞬きだした。りぃん、りぃんと花はヴィーヴォに何かを
「なにっ!? 何があったの?」
ヴィーヴォの声に応えるように、眼の中の星たちがちかちかと輝きを放ち始めた。視界が星たちの輝きに塗りつぶされ、ヴィーヴォは思わず目をつぶってしまう。
「やめて、なんにも見えないよ……。一体、なにが……」
「相変わらず美しいな、お前の吐く花は……」
男の声が辺りに響き渡る。背後の扉が開く音がして、ヴィーヴォは身を固くしていた。
男の言葉に、ヴィーヴォは薄い肩をゆらす。
彼が自分を大切にしてくれていることは分かっている。でも、ヴィーヴォはこの声の主が好きになれないのだ。
「久しぶりだな。ヴィーヴォ」
「ポーテンコ兄さん……」
振り返ろうとした瞬間、ヴィーヴォは後方からポーテンコに抱き寄せられていた。顔をあげると、兄の顔が視界に入り込んでくる。紺青の髪を布で束ねた兄は、自分と同じ黒い眼に微笑みを浮かべていた。その眼からヴィーヴォは視線を
「やはり、私のことは嫌いか?」
「何のよう? 最近、ぜんぜん来なかったくせして……」
寂しげな兄の声に
「嬉しい知らせだよ。お前たちの罪が
兄がサイドの三つ編みを優しくなでてくる。その手をヴィーヴォず
「ヴィーヴォ……」
「僕たちが赦されるはずがないっ!」
ヴィーヴォは彼へと体を向ける。ポーテンコは困惑した様子でヴィーヴォを見つめるばかりだ。
そんな兄にヴィーヴォは叫んでいた。
「黒の一族の長である兄さんが、そのことは1番よく知っているはずだっ! 僕は、彼女を使って聖都の人たちをたくさん殺したんだよっ!」
脳裏に、あのときの出来事が
炎に包まれた聖都と、巨大になり逃げ惑う人々を襲うヴェーロの姿が――
「
静かなポーテンコの言葉にヴィーヴォは眼を見開く。緋色と金糸雀は自分と同じ二つ名を持つ直系の花吐きだ。
「
「お前が聖都にいれば、緋色は死ななかったかもしれない……」
ヴィーヴォの言葉にポーテンコは眼を伏せてみせる。悲しげな兄の表情を見て、ヴィーヴォはあることを悟っていた。
「やっぱり、生まれなくなっているんだね。僕たち花吐きが……」
日増しに輝きを増す星空を思いだし、ヴィーヴォは唇を
聖都から離れた辺境の地は灯花になれない星が溢れかえり、夜空が
花吐きが生まれなくなれば、この水底に新たな生命が生まれなくなってしまう。花吐きの
それだけではない。
この世界の創生より水底を統治していた教会は、花吐きによってその権力を維持してきた。花吐きがいなくなるとうことは、水底の
「頼む。戻って来てくれ。私たちには、お前が必要なんだ。お前の花吐きとしての力が……」
兄の言葉を聞いて、ヴィーヴォは彼を
この人はいつもそうだ。自分のことを考えているといいながら、結局のところ本当の気持ちは分かってくれない。
「いいよ、戻るっても……。でも1つだけ聞かせて……。僕の竜はどうなるの?」
ヴィーヴォの言葉にポーテンコは顔を歪ませる。彼は気まずそうに口を開いた。
「残念だが、彼女を連れていくことは出来ないよ。処分するしかないだろうな……。彼女の犯した罪を考えれば、それが
すっと息を吸って兄は、ヴィーヴォに言葉を続ける。
「竜の名を教えろ、ヴィーヴォ。彼女の管理を教会に一任するんだ」
りぃんと涼やかな音がなってヴェーロは頭をあげていた。
「きゅん」
鳴き声をあげると、その音は自分の声に応えるようにまた奏でられる。
りぃん。りぃん。
――僕になにかあったら花たちが教えてくれるから……。
不意にヴィーヴォの言葉を思い出し、ヴェーロは起き上がっていた。
灯花には、不思議な力がある。
ヴィーヴォが吐いた花たちは、彼のことを
ヴィーヴォが集落で大変な目に合っているかもしれない。そう思うといたたまれなくなって、ヴェーロは洞窟の入り口を見つめていた。
遠い、昔のことを思い出す。
小さかった自分を抱きしめて、たくさんの人間たちから逃げようとしていたヴィーヴォのことを。
――大丈夫、僕が守ってあげるから。
震える声でそう言って、ヴィーヴォは泣きそうな顔に笑みを浮かべてくれた。
人間たちが恐かったのに、ヴィーヴォは自分を慰めようとして笑顔を浮かべてくれたのだ。
でも結局、自分たちは捕まって――
ざわりと、鬣が逆立つ。静かな怒りが体中に広がっていくことを感じながら、ヴェーロは立ちあがっていた。
もし人間たちが、あのときのように自分たちを引き離そうとしたら――
不意に、あたたかな感触が足に広がり、ヴェーロは我に返る。
卵が、寄リ
そうだ、卵をあたためないといけない。そうしなければ、この子は死んでしまうのだ。
「きゅん……」
困ったと鳴き声をあげ、ヴェーロは鼻先で卵をつつく。あたたかな卵から、かすかに心音がしている。
この子はちゃんと生きているのだ。
卵に頬ずりをしていたヴィーヴォの姿を思い出して、ヴェーロは困惑する。
早くヴィーヴォのところに行かなければいかない。
でも、そしたら卵が――
「きゅんっ!」
いいことを思いついてヴェーロは鳴いていた。
ぐわんと大きく口を開け、口の中に卵を入れる。口の中に卵を入れておけば卵が冷えてしまうことはないし、ヴィーヴォのところに行くことができる。
口の中に卵を入れたまま、ヴェーロは洞窟の入口へと走った。
洞窟の外に広がる花畑では、灯花がヴィーヴォの危機を知らせてくれている。
自分の脳裏を、ヴィーヴォの笑顔が過る。
ヴィーヴォのことを想い、ヴェーロは大きく翼を翻していた。
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