第二層

尾白慎也

序章 第二層

第二層

ーーーごぅ、という音と地響きと共に、遥か遠くの山が沈んだ。










溶けるようなそれは七色に変幻し、形を変え消えていく。小刻みに動く地面は砂塵を巻き上げ、空気の震えがまたそれを散らす。




“流動する虹色の土地”。




地は絶えず隆起して、可笑しな生き物を作り出す。それは四つ足の動物のようであり、まるで胴の太い蟲のようでもある。それらは裂けた口を歪に曲げると、不格好にも歩いて行く。やがてどこかで沈み込むまで、彼らの旅路は続くのだろう。






遠目にそんな奇形を眺め、パキカは数回瞬きをした。


目の痛い色彩に溢れたこの世界に生まれ、十年。見慣れた風景というものは存在せず、常に変わり続ける地形や生き物には少しも退屈しない。

波打ち、くねる不思議な粘土が作り出すそれらが何であるか、その存在意義、正体を知る者はいない。そういうものなのだ、としか認識できない。

どこかの博士曰く、外の知識をもってしても、解析は不可能とのことだった。

パキカは足元の鉄の塊を拾い上げ、籠に放る。周囲に散らかったそれらを地道に集め、ある程度の量まで溜まると、頭にあるゴーグルを目元まで下ろし、籠を背負って歩き出した。ぶよぶよとした感覚の地面を蹴り、弾力で跳ねながら家へと向かう。




丘を下ると家が見えた。

スクラップでできたパキカの家前には、巨大な”蟲”がいた。その目前には一人の老人。寝そべるそれと話し込む、祖父のハナタである。

砂利が擦れるような音を響かせ、蟲はハナタと何かを話していた。


蟻のような巨体。

歪であり、そして実に部揃いな羽。それが大きな音を立てて動くのだとパキカは知っていた。


“蟲”。


正体不明の”バケモノ”たち。


理解のできない会話を、遠巻きにしばらく黙って見ていたが、そろそろ帰りたい。

パキカが丘を駆け下りて近くと蟲は驚いたように飛び跳ねる。そしてそのまま文字通り、霧散して何処へ行ってしまった。

それを静かに見送ったハナタが、荷物が重そうに駆けてくるパキカに優しく笑んだ顔を向ける。


「おかえりパキカ」


「ただいまおじいちゃん」


そのまま無表情で家へと入るパキカに、ハナタが労うように肩を抱く。


「何か面白いものはあったか」


問われて首を振った少女に、ハナタはそうか、と微笑んだ。


「最近は『落ちてくる物』も多いから、あまり遠出をしない方がいい」


「うん」


暗い家の中には簡素な卓が一つ。それを囲むように無数のパイプイスが置かれている。壁にはゴシャゴシャと鉄器や道具が掛けてあり、奥には作業台と一つの寝台があった。

パキカは籠を下ろして間近の椅子に腰掛ける。

ハナタはその籠を抱え上げ、作業台へと運んでいった。引き出しを開け中から眼鏡を取り出すと、籠の中身を一つずつ取り出し、観察する。質の良いものと悪いものを分け、それぞれ別の籠へと投げ込んでいった。


カコン、カコン。


投げ入れられる度、鉄が一定の間隔で音を鳴らす。しばらく聞いていると、うとうとしてしまうような、不思議な感覚があった。パキカはこくりこくりと首を揺らす。


「おや、眠るか」


振り向いたハナタが問うと小さく頷き、そして糸が切れたように目を瞑って壁にもたれかかった。すぐに小さな寝息が聞こえる。

ハナタはしばらくパキカを見つめると、一度伸びをして作業に戻る。







********







ハナタは慣れたように、手際よく分別し、最後の一つを手に取った。その時、表から声がする。


「パキカ、いるか」


振り向けば、入り口には少年がいた。パキカの友人のハルだと気づき、ハナタは軽く会釈をして手を招く。


「おるが、寝てしまったよ」


ハルが中に入ると、すぐ近くの椅子で人形のように眠るパキカをみつけた。少年はため息を吐いて少女の顔を覗き込む。


「今日、約束すっぽかされた」


責めるように睨むが、パキカは微塵も動かない。頭が下を向いているため、長い亜麻色のお下げ髪がだらりと垂れている。


「そうだったか、それはすまない」


代わりに謝罪し、ハナタはハルに座るよう促した。


「茶を淹れてやろう。そこで待ちなさい」


言われた通りに、ハルは近くの椅子に腰かけた。しばらくしてハナタが湯気の立つマグカップを持って来る。


「栽培園のほうはどうだ。蟲は減っただろう」


茶を受け取り、ハルは軽く返事を返す。


「おかげさまで。お礼したいって叔母さん言ってた」


「そうか。いやなに、礼を言うべきはこちらの方だ。いつも食物を分けてもらえるのは本当にありがたい」


「それはお互い様だろ。蟲と会話できるのはハナタしかいないんだし。…なぁ、どうやって喋ってんの?」


ハルの問いに、ハナタは苦笑いを浮かべる。


「先代の技者から教わった。彼女はどうも、可笑しな試みをするのが好きな人でね」


「へぇ、技者ってすごいんだな。物知りだし」


「技者は過去の記録を継ぐものだ。そうして伝えるものでもある」


そう、と言いながら、パキカに目をやる少年に、ハナタは優しく微笑んだ。


「ハル、君も、いつもパキカに良くしてもらってありがとう。なんだかんだで、君と遊ぶのが一番楽しいみたいだ」


「…まあ、同じ歳なのってパキカだけだから」


気恥ずかしくなり、ぶっきらぼうに応える。そしてふと、思い出したように呟いた。


「そういえば、昔はパキカの姉ちゃんも一緒に遊んでくれたな」


途端、ハナタの顔が曇る。彼は少し息を吐くとパキカに目を向けた。ハルもつられて、友達の少女を見つめる。


「彼女は…そうさな」


「…どうして居なくなったんだ」


パキカの姉は数年前から行方不明だった。

だが、それは珍しいことではない。

この地では誰かの行方が知れなくなることは、すぐに人々に受け入れられるほどに、頻度が高い。だが。

それでも、彼女は本当に、忽然と居なくなったのだった。外への干渉を試みたわけでもない。ただ日常の中で、ふっと、消え去ってしまった。


黙り込んだハナタに、ハルはため息を吐いた。明らかに何かを知っている様子だが、明かすつもりはないのだろう。


「まぁ、しょうがないよな」


「…あぁ、あまりパキカの前では言わないでやってくれ」


「わかってるよ」


そのまましばらく黙り込み、お互い沈黙の中を過ごした。パキカは変わらずに眠り続けている。



ハナタが作業を再開し、最後の鉄を投げ入れると、立ち上がって鉄の入った重たそうな籠を持ち上げる。

年の割には足腰が丈夫な老人だとハルは思うが、まぁ仕事柄でそうなったのだろうと予想はつく。


「ハル、申し訳ないのだが、そちらの籠を持ってはくれまいか」


ハルはハナタの足元の籠を見ると頷き、腕まくりをして籠の近くへ行くと、両手で抱え上げる。ズシリと重いそれに少しもたつく。


「落とさんようにな」


「はいよ」


歩き出したハナタに続き、家から出る。

絶えずうねり続ける大地の上を二人は慣れたように器用に歩いていき、広がる丘を上りきる。しばらく進むと、下りに差し掛かるあたりで前方に大きな井戸のような物が見えた。


“直径八メートルほどの、大きな穴”。


ハルがそれを近くで見るのは、初めてのことだった。

側まで行くと、ハナタは籠を下ろしハルに向けて言う。


「落ちんようにな」


ハルは淵に手をかけて身を乗り出しかけたのをあわてて止め、大きく頷いた。

一息つき、ハナタは再び籠を持ち上げると、良質な方の鉄の塊を穴に全て落とした。

ガラガラと音を立て穴に落ちて行く鉄をハルは眺めるが、瞬時に底のない闇に飲まれる。

カツンと他に落ちる音を待ったが、幾分過ぎても聞こえることはなかった。


「ハナタ、これはどこに続いている?」


不思議に思い、問うと、ハナタは驚いたような顔を浮かべ、豊かな髭を撫でる。


「知らんのか」


「知らない。これの存在は知っていたけど、何かは知らない。ここらじゃあんたしか使わないし」


「そうさな。この辺りの鉄技師はわしだけだ」


「鉄技師が使うの?」


ハナタは空の籠を下ろすと、億劫そうに肩を回した。


「…これは下に繋がっとる。鉄技師は鉄器や鉄を下に送る役目がある。鉄技師だけじゃない、昔はどの職人もこれに投げ込んでおった」


「下ってどこだ」


「地底の世界じゃよ。ヒトの成れの果てが暮らしておる」


そう言ってハナタはハルに手招きし、揺れる大地を歩きながら離れにあるスクラップ置き場へと向かう。ハルは不思議そうにしてついて行った。

丁度いい大きな筒のような鉄を見つけると、そこに二人で腰掛ける。ハナタは前方に見える穴に向かい、ため息を吐いた。


「ハルは親が居らんかったか」


「いない。蟲に喰われた」


そうか、と呟き暫くハナタは黙り込む。




玉中色の空を見上げ、そこに揺蕩う糸のような奇怪達を見つめると、ふと視線を下し地を睨む。

そうして手を伸ばし、歪み続ける七色の土を握り上げた。


「数百年前、『これ』に追われて人は地下に逃げた。それにつられるように湧いた異形たちと、儂ら『技者』を残してな」


「…この土は元からあるものじゃない?」


「まさか。元より大地は茶と緑に覆われた静かなものだった」


ハナタの掌の土は、生き物のように動き続ける。七色が流れ、時に光沢を見せる。


「なぜ技者が?」


「それは。創り出すことが出来るからだ。下には何もなかった。機械も工場も、資源もない。地上に残って多くを作り、下に送る必要があった。それは食料であれ機材であれ、世界を作り直すに必要な物全てだ」


「下は今どうなっている」


「わからん。降りた者が再び登ってくることはない。少なくとも儂は見たことがないな。あの穴は地上の無数の場所に設けられたが、その中で極まれに探査の機械が這い出てくることはあるようだ。…おそらく彼らの技術は相当なものになっているだろう」


「それじゃあ、いつまで技者は働かなければならないんだ」


「いつまでも、だろう。現に、数百年経った今でも、下から迎えが来るわけでもない。止めろと指令がとどくわけでもない。…下に通じるのは穴しかないから、わしらが降りる術もない」


そうしてハナタは一度、息を吐く。


「技者は代々継がれてきたが、この地の技者は随分と減ってしまった。若くしてお前さんの親のように蟲に喰われた者もいる。他の土地ではどうかわからぬが」


ハナタは土を投げ地を踏みつける。震えるように凹むそれは、生きているかのように虹の波紋を広げ、そうして一度大きく隆起すると、閑かに元の大地へと戻っていった。


「何が起こるかわからない地を、長く歩いて他所に行くのは無謀だろう。蟲や獣も沸いて出る」


「ここの集落と同じだろうか」


「おそらくはそうじゃろうな。連絡を取ることも稀にあるが、無線は通じない日のほうが圧倒的に多い」


そうか、とハルはつぶやいて、先にある穴をじっと見つめる。

この地が世界のすべてでないことはわかっていた。ハルやパキカの暮らす集落には数十人の人間がいる。それがすべてなどと、到底思えなかった。

蟲のように、ただ大きな身体を揺らし、腹が減れば獲物を食らい、気が向けば人と言葉を交わすような、そんな無意味な存在ではないだろう。

ハナタのように物を作り、博士のように真実を追究することができる者がいる。育て親の叔母のように、この地でも育つ種をまき、収穫し、調理する力もある。


生き残る力がある。意思があり、知恵がある。



ならばどこに、という疑問が、ハナタの話から初めて理解できた。


「下にいたのか」


ぽつりと呟いたハルの頭に軽く手を乗せ、ハナタは立ち上がる。


「その質の悪い鉄はここに捨ててしまいなさい。ここは大地から浮き出た物を集める場所だ。使えるようなら、どこかの誰かが勝手に持って行く」


一度は大地にのまれた物が、流れて動く土地に押し出され、こうして集められている。どれも欠陥品やただの塊のような物ばかりだが、自分たちに与えられる物はこれらが全てだった。

ハルは言われた通りに籠を裏返し、中の鉄をすべて落とした。空の籠を再び背負うと、頷き歩き出したハナタに続き、丘を登る。






********






家の中では変わらず、パキカが眠りこけていた。昼間だというのに、よく寝るヤツだとハルは呆れる。


「今日は起きそうにない。また明日、訪ねて来てはくれんだろうか」


ハナタに言われ、ハルは渋々うなずいた。


「わかった。パキカにも伝えておいて」


そう言って家を出るハルに、ハナタが思い出したように声をかける。


「ハル、明日はどこに行く」


「…別に、少し歩いて回るだけ」


ハナタの顔が曇るのを見て、ハルはそっぽを向いた。嘘をついているのが、すぐにばれてしまった。


「わかってる。危ない蟲の出るところには行かない」


「それもそうだが…ハル」


ハルは声を低めたハナタを不思議に思って、彼の顔を見上げる。その視線を受け、ハナタは静かに言葉を零した。



「『上』に気を配りなさい」



家の中に居るハナタの顔は陰り、外にいるハルから見ると、少し恐ろしく見えた。


「上?…下じゃなくて?」


「上だ。『落ちてくる物』がある」


「なぜ。ここは地上だよ」


ハルが問うと、暫くハナタは口を閉じる。そうして陰から抜け出すように外に出ると、ハルに歩み寄って肩に触れた。

おびえたようにハルが身じろぎすると、ハナタが低めた声で呟く。


「ハル、知らぬようなら、憶えておきなさい」


「なにを」


「この世界は昔、二つに分かたれた。地上と地下。しかしもう一つ、決して手の届かぬ場所に存在する」


「もう一つ…?」


真意を測るように、ハルの碧い瞳が揺れ動く。

ハナタは頷く。そうして語るようにして、告げた。








―――土の侵害以前、遙か昔から。元よりこの世界は『下』でありつづけた






―――我々と共にあり続け、尚且つ狭間でしか入り交じることがない世界






―――その存在は確かであり、そうして太古より『落ちる物』により証明されたのだ






「『上』に広がる世界」






「よいか、ハル」












「この世界は『第二層』である」








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