一幕 No.12の歌えないナキ 02
シャーロックの私室は屋敷の最奥にある。
首にかけたドッグ・タグを認証機にかざすと、扉の錠がかちっと音を立てて開いた。ナキのタグは「No.12」。ナンバー付きと呼ばれるチルドレンはぜんぶで二十一人いて、それぞれにタロットカードをなぞらえた通称がつけられている。
ナキはNo.12『吊るし人』。
子どもたちを養成する教練場から出て、ナキがナンバー付きのチルドレンとしてデビューしたのはもう三年前のことだ。あのときは十二歳だった。今は十五歳。チルドレンとしては絶頂、華と呼ばれる時期。ほかの子どもたちはともかく、ナキにはそういった華やかさなんてものはひとつも見当たらないのだけども。
部屋の中にはダーツにオセロ、チェス盤にルーレット、トランプ、花札……。古今東西、あらゆるゲームが無造作に折り重なっている。シャーロックは部屋の中央にひょろりとした痩身を折って座り、ルーレットの上でサイコロを転がしていた。
シャーロック・チルドレン――「シャーロックの子どもたち」の名を冠するナキたちだけど、シャーロック自身との血の繋がりはない。兄弟たちも皆。ナキの前にいるのは、子どもなんて作ったこともない、たぶんセックスだってしたことがない、三十半ばの引きこもりのゲームマニアだ。
「ハヤカッタナ、ウタ、ナンバンダ」
シャーロックの代わりに、肩に留まっていた鸚鵡のマダム・ロロが尋ねる。とたんにナキの腕に手を絡ませていたウタが膨れ面をした。
「ナキの名前を忘れたの、ロロ? 薄情なヒト」
「……ナンバンダ?」
ウタの言葉が通じているのかいないのか、マダム・ロロは同じことを繰り返す。
「十二番『吊るし人』のナキ。用事は何。シャーロック」
いちおう尋ねてみたけれど、シャーロックが直々にチルドレンを呼び出す用事なんて、たぶんひとつくらい。殺すか、壊すか。マダム・ロロは散らかったトランプの中から一枚の写真を引っ張り出すと、それをナキの手の上に落とした。写真には、走り書きのメモがクリップで止められ、シャーロックの悪字で『アギラ=ソンジュ』と書かれている。見覚えのある名前に、ナキは眉をひそめた。
「ソンジュ? もしかして」
「ああ。東京政府の前総帥閣下どの」
シャーロックはそこではじめて顔を上げた。ゲームに夢中で剃り忘れたのだろう無精髭をさすり、けだるげにあくびをする。マダム・ロロも真似をして、くわあ、と小さなあくびとも呼気ともつかぬものを吐き出した。
「一年前に汚職疑惑で失脚。側近に裏切られたらしいな。一年に及ぶ争議の末、あっちの裁判所はソンジュに、東京追放・タウン行きを命じた。だが十日前、旧かもめ橋を輸送中に――」
シャーロックが遊戯盤を蹴ると、サイコロがばらばらと散らばる。
「ソンジュの仲間が輸送車を襲撃。タウン方向へ逃げたっつう話だ」
「今回の標的は、アギラ=ソンジュということ?」
「ああ。途中で逃げられちまったが、予定どおり『遊戯』を始めるつもり。十番『運命の輪』と十九番『太陽』も動いてる。うまくやれよ。えーと」
「十二番」
番号を覚える気ははなからないらしい。鸚鵡のマダム・ロロを肩からおろすと、シャーロックはもぞもぞとソファに這いあがって、婦女子の裸体が踊るピンクの雑誌を開く。ブラインドが下りた部屋で唯一発光している液晶画面には、標的に指定されたアギラ=ソンジュの顔写真と、彼を追跡するチルドレンの番号が映っている。十番『運命の輪』、十九番『太陽』に、十二番『吊るし人』が追加された。第一回の
死と悦楽の街、シャーロック・タウン。
この街は、東京屈指の歓楽街でもある。橋のふもとに広がる街には、少年少女の娼妓がもてなす娼館が連なり、ほかにもフリークスショー、ストリップショー、ギャンブル場など、外では禁止されている遊びがここでは何でもできる。特に、チルドレンと呼ばれる少年少女が標的を追跡する『遊戯』はタウンで一番人気の娯楽だ。遊戯が始まると、参加者たちはノアの館と呼ばれる賭博場に集まり、どのチルドレンがいちばんに標的を仕留めるかを賭ける。チルドレンは単なる始末屋ではない。エンターテイナー。色を売らない娼妓。だから、子どもたちは掟と矜持を胸に刻んで、技で参加者たちを魅了する。
うつくしく殺すこと。
それができないチルドレンは出来損ないだと、彼らは言う。
「アギラ=ソンジュには発信機がついていないの?」
通常の遊戯では、標的は東京から輸送される囚人や猛獣がほとんどで、屋敷の所有する地下牢に収容しておき、遊戯で使うときに首に発信機をつけて街に放つ。
遊戯の制限時間は十二時間。発信機はかなりおおざっぱなもので、おおまかな位置しか把握できないけれど、チルドレンはそれをもとに戦略を練り、ほかのチルドレンを出し抜いて、標的に近づき殺害する。しかし、輸送中に襲撃されたとなれば、話は別だ。案の定、「ねえな」とシャーロックが首をすくめた。
「つまり、今回は有能な情報屋が頼みの綱だ。そういうのは得意だろ、十二番?」
「制限時間は?」
「十二時間」
「いつもとおなじ」
「不満か? けど、三日も四日もノアの館に詰め込まれたら、参加者が退屈しちまうぜえ?」
ノアの館の興行主でもあるシャーロックは嘲るようにわらった。シャーロックはチルドレン側の事情なんていつもちっとも考えない。どうしたら遊戯が楽しくなるか。多くの客を集められるか。シャーロックの頭の中で考えていることなんてそれくらい。
遊戯の指名が受けられるナンバー付きのチルドレンは、二十一人。教練場には、ナンバーをめざして日々鍛錬をしている子どもたちがたくさんいる。わたしたちの代わりはいくらでもいる。だから、この世界で生きていたいのなら、まずは勝ち続けなくてはならない。
「ねえ、シャーロック?」
話が終わったのを察したらしく、ソファでクッションをいじっていたウタが身を起こした。蕾の美貌に浮かぶのは、天使の微笑。おねだりをするときのウタの顔だ。
「わたし、誕生日プレゼントが欲しい」
「はあ?」
「たんじょうび。ウタがあした誕生日なの、知ってた?」
「ひよっこはいくつになるんだ」
「十三」
少し自慢げにウタが言った。シャーロックのほうはわずらわしげな渋面のままだ。
「この金喰い鳥め。買ってやってるだろ、望むものは何でも。これ以上何が欲しいってんだよ」
「シャーロックがくれる玩具はすぐに壊れてしまって、つまんない。ウタはナキとデートがしたい。ね、ナキ? いいでしょう? ウタもお外に連れて行って?」
柘榴石の眸に無邪気な期待をこめて、ウタがナキを振り返る。
「あしたには『遊戯』が始まる。それにウタに外は危険」
「でもナキはウタを守ってくれる」
「それは……そうだけど」
「ウタ、イイコにする。ウタもナキを守ればいい?」
「――わぁーかったよ」
結局根負けしたのは、シャーロックだった。
「この我儘で、金喰いの、小うるさい鳥め。ぴぃぴぃ騒いで、桃尻に集中できないだろうが。十二番。『白亜の宝石』を連れていけ。ただちにここから」
不機嫌そうにぷぅ、と頬を膨らませていたウタみるみる相好を崩す。シャーロックは『白亜の宝石』にはことのほか甘い。ほかはまとめて『何番』だけど、『白亜の宝石』だけは『白亜の宝石』と呼ぶ。
「ありがとう、シャーロック」
「ただし月刊おっぱい星人を買ってきたらな」
「うん、買わない」
笑顔でうなずいたウタに、シャーロックは思いきり顔をしかめて舌打ちした。屋敷に引きこもりのシャーロックは、外出するチルドレンに頼んで買い物を済ます。ただ、チルドレンはどいつもこいつも嘘吐きの薄情者なので、シャーロックの希望の品はたいてい手元に届かない。
「おい金喰い鳥。おまえ、あしたノアの館で余興があったはずだろ?」
「ノアの館は嫌い。でも、ナキが来るなら、出てもいいよ」
「だそうだ。『白亜の宝石』を頼んだぜ、十二番」
しぶしぶ顎を引くと、「うれしい!」とウタがナキの腕に抱きついてきた。長い白銀の髪が舞って、細い首筋からホワイトローズの香りがかゆらぐ。背中と細い手足をむき出しにした生成りのシュミーズドレスはありふれたものなのに、ウタが纏うと不思議な聖性と官能を醸し出す。背のくぼみから今にも翼が生えそうだ。天使の羽か悪魔の翅かは、ナキにもわからないけれど。
「期待してるぞ、稼ぎ頭」
その「期待」が言葉のとおりでないこともナキは知っている。チルドレンの勝利も敗北も、最期にあげる断末魔ですら。参加者にとっては画面を隔てたショーの一貫でしかない。命の価値は賭けられたチップの量と同じ。わたしたちはそういう存在。それでも、ゴミ溜めでただ死んでいくのに比べたら、ずっと愉快な人生だと、チルドレンの誰しもが笑うだろう。
話は終わった。部屋から出ようとすると、ウタがナキのコートの裾を握ってくる。ウタの小さな足は、その足以上に小さなトゥシューズで戒められているせいで、いつもふわり、ふわりと危うげな歩き方をする。だから、隣にいるとき、ナキはウタの手を握る。どこかへ飛んでいってしまうことのないように。そうすると、ウタはいつも甘く幸福そうに目を細める。戒められることを悦ぶように。
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