シャーロック・チルドレンに祝歌を
糸(水守糸子)
第一部 ネバーランド
一幕 No.12の歌えないナキ
一幕 No.12の歌えないナキ 01
空で、星が瞬いてた。
この街では、ひかりの明滅みたいにひとが死ぬ。
ぽろん、ぽろん、ぽろろんと。
誰かが奏でるつたないピアノの旋律のよう。
シャーロック・タウン。ここは死と悦楽の街。
・
・
「建設中」のまま工事が止まった廃ビルをブーツを鳴らして駆ける。
赤錆びた鉄筋が露出したビルは、きのう降った雨のせいか、天井から不規則に雫が滴り落ちている。工事用のステップを一段飛ばしで駆け上がり、ナキは屋上に出た。ブルーグレイの空に星は瞬いておらず、代わりにぽつぽつと人工的な明かりが明滅する廃都市の夜景がひろがっている。白い息を吐き、ナキは剥き身の鉄骨に足をかけた『標的』に、目を向ける。
「チルドレン・ナキ……」
『標的』の男は、血走った目ではるか年下の少女を見つめ返す。逃げ場など、どこにもなかった。十階建ての廃ビルの足元から、乾いた風が吹いている。
追い詰められた『標的』が取る行動はだいたい同じだ。
「たすけてくれ」
命乞いか。
「何が望みだ? 欲しいものをくれてやる」
取引か。
「言いたいことはそれで、おわり?」
そのどちらにも興味なんかないナキは、返事の代わりにベルトに固定したホルスターから拳銃を抜いた。ナキが愛する年代ものの回転式拳銃。馴染んだグリップを握り、狙いを定める。銃口を向けられた男がみるみる蒼褪めた。そんなふたりの姿を、遅れて追いついたビデオ・カメラが映す。映像は、こことは離れた歓楽街・ノアの館で流され、今頃はこのギャンブル――『遊戯』の参加者たちがワインを片手に、なりゆきを見守っているにちがいない。
チルドレン・ナキに五〇。
一〇〇。『月』のセレネに。
それでは、私はチルドレン・ノルンに一〇〇〇チップを。
『チルドレン』と『標的』の生死をかけた追いかけっこは、タウンきっての見世物で、一回の遊戯で数千万の金が動く。ナキはそのいちばんの稼ぎ頭だった。
モッズコートの内側でぶるっと端末が震える。遊戯終了五分前の合図。
ナキは目を伏せ、撃鉄を起こした。赤黒く染まった男の顔が歪む。鬼の形相とはたぶんこのこと。対峙するナキは相変わらず、笑いもせず、泣きもせず、喜怒哀楽なんてはじめからなかった顔をして、銃口を向け続けているのだけども。
クソッ――舌打ちした男が、ナイフを取り出して突進してくる。
「くたばれ、シャーロック・チルドレン……ッ!!」
ガンガンガンッ!
三発の銃声が廃都市の空にこだまする。
ナキは一発も、ためらわなかった。
*
シャーロック・チルドレンのナキというのは、いっとうの変わり者で、どのあたりが変わり者なのかというと、まずシャーロック・チルドレンであるのに、殺し方が下手なところ。一撃で仕留めない殺し方は、チルドレンの間では粋じゃない。血の一滴、肉のひとかけだって、むやみにばらすのは美しくない。
謳えぬ金糸雀には死を。
屍に花を。
シャーロック・チルドレンには血の接吻を。
それがチルドレンの矜持。ロクデナシの掟。矜持を大事にしないナキはファミリーの爪弾き者で、そのくせファミリー一の稼ぎ頭であるから、たちが悪い。チルドレンは、タウンの支配者・シャーロックの忠実な駒。彼の命令ひとつで誰でも殺す。
『――ザーザザ……ジ……あしたのヨホウハ、アメ……』
足元に置いた旧式ラジオがあしたの天気予報をどこからか受信する。シャーロックが統べるシャーロック・タウン。別名・死と悦楽の街。タウンには、今は使われていない電波塔がいくつも残っていて、送信者不明のノイズを時折発している。ナキがゴミの山から拾ってきたラジオは、そんな届き手のいない電波をときどきキャッチして喋る。思い出したように。
「あしたの予報は、雨」
ひび割れた唇を舐める。ショートボブの黒髪を排気ガスまじりの風になびかせて、ナキは屋敷の屋上にある貯水槽に腰掛けた。少年とも少女ともつかない未孵化の薄っぺらな身体に男物のモッズコートをはおり、ニットとハーフパンツ、赤い膝小僧がのぞく足には編み上げブーツ。十五になっても、ちっとも女らしくならないとからかわれるナキの身体。
ここからは、街全体が見渡せる。星のまばらな空の下に並んだ旧式の電波塔、稼働の止まった工場群、かつて使われていた廃ビルに、時折明滅する赤や橙の光。そして、海をまたいで東京とタウンをつなぐ巨大な鉄橋。まるで世界の最果てだとナキは思う。どこにもたどりつけない、いきどまり。
「――ナキ? なにを見ているの?」
「ウタ」
声に気付いて、ナキは足元にぽつんと立った人影を振り返る。『白亜の宝石』と呼ばれる少女が階下からまぶしげにナキを仰いでいた。『白亜の宝石』は、十五番目の『チルドレン』。つまり、ナキの妹にあたる。もちろん、これは番号上の話で、実際のナキとウタには血のつながりなんてひとつもないのだけども。
色彩の一切が抜けた白亜の髪に白磁の膚、柘榴石の眸。まだ十二歳ではあるけれど、その異端の美貌と歌声から、彼女はただの歌姫としてファミリーに名を連ねることを許されていた。『白亜の宝石』は名前をウタと言って、歌をうたう。シャーロック自慢のカナリヤ。
「ナキ?」
こたえないナキに甘く微笑み、「シャーロックが呼んでる」とウタは告げた。少女の足を縛り付ける小さなかたちのトゥシューズが、危うげにきびすを返す。
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