贋作
男は張り詰めた弓弦の緊張感を漂よわせていた。格納庫に納められた『特殊物資』のコンテナから付かず離れず、たゞ周囲を警戒するように睥睨するのが常だ。周りの艦員も、彼が放つ排他的な気配にあてられてか、遠巻きに其の姿を見つめるばかりである。
艦員は知らぬ事ではあるが、男と『特殊物資』は様々な艦船を巡り歩いていた。其のいずれでも、男の処遇も態度も全く変わる事なく現在に到る。油断無い眼差しの男とコンテナの奇妙な組み合わせは、海面を渡るまたは深い海を潜航する艦船は、軍部上層部より直々の命令で乗り合わせていた。其処に異を唱えるのは――少なくとも、典型的な軍人である艦長は勿論の事、男の雰囲気もあって一兵卒に到るまで一人も顕れなかった。
或る意味では最も軍人らしい気を発散させている男は、しかし着ている服装は尋常な軍服では無い。まるで、ライダースーツとウェットスーツを綯い交ぜにしたような服装……。戦闘服と見ても違和感を覚える服装に羽織った上着のビッグフードパーカーは、彼の後頸部を覆っていた。
男と『特殊物資』は如何なる理由で此の艦に乗り合わせているのかは、艦内では他ならぬ男以外にはいない。何かを待ち続けているようで、男は冷然とした雰囲気を全く揺らめかせぬ
周囲の艦員も既に其の風景に慣れ始めた頃、其の運命の時は来た。
突如気配を変える艦内、同時に慎ましいながらも警報が発せられる。座礁? ――いや、違う。此れは、敵艦とおぼしい何かを検知した警戒態勢を知らせているのだ。つまり――場合によっては戦闘を意味する警鐘でもあった。
其れを、戦いの気配を悟った男は、『特殊物資』のコンテナに入り込む。中には寝そべった
怪物の胸部がひとりでに開胸されると、其処にはおざなりに設えられた椅子と計器、其れに操作関係とおぼしい装置の群れが出迎えた。ワンマンサブマリン・ヒューマノイドタイプ――セイレーン・イミテーション。そう名付けられた、次世代型潜水兵器だ。第一次世界大戦より関連技術は進化しているものゝ、運用其のものについては変化が乏しかった潜水戦力の新たな雛形……。此の人魚を連想させる全長七
男は其のテストパイロットであり、実戦データ収集の為にセイレーン・イミテーションと共に乗り合わせていた。其の目的は、近頃日本近海を未知の沈没事件で騒がせている――もっとも騒がせている原因を作っている張本人はさておき――首魁とされる安曇野正義が保有する兵器との対決である。
ビックフードが特徴的なパーカーを脱ぎ捨てると、彼の後頸部には
「…………ッ!」
男が席につくや否や、其の体重と体勢を検知したオートメーションシステムが、インプラントとの接続ケーブルを伸ばす。其の鋭い針が
……瞬間、セイレーンと神経が接合された男は、自分が腹に収まっている兵器の鼓動を聞いた気がした。同時、己の視界が己のものではなくなり、標高を高めたものへと成り代わった事を知る。自分の胸部が
既に何度も接合を行っているが、最中の感覚はまるで――男は、そういった幻界を見た事がないので想像でしかないが――明晰夢に似ており、感覚の確かさとは裏腹に何処か夢幻の識閾を浮き沈みしている感触があった。此の、感じ取っているのは己というのに、己のものでは決してない色境が、声境が、香境が、味境が、触境が、そうさせるのやもしれぬ。運動野系を刺激する脳と直結したセイレーン・イミテーションがゆるりと鎌首をもたげるが如く、みじろぎする。狭いコンテナの内壁に低く轟と鳴る
コンテナ内の暗がりで、闇の魚人はたゞ眠っている。覚醒の呼び水は、もう近い。
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