複製

 其の朗報がもたらされたのは、想像していたよりも些か以上に早期だった。


『翻訳が一度に進みました』

「話し給え」


 幾分か平素よりも低く枯れた声は、蚩尤しゆうが先ほどまで邯鄲の住民だった故だ。甘やかな夢の世界から現実に引き戻されたとあっては不機嫌にもなろうものだが、一刻も早い報告を指示していた手前、彼は努めて平静を装っていた。


『えゝ。まずは此れを御覧ください』


 眼前に表示されたウィンドウには、先だっての報告で動画として提出されていた右腕のレプリカだ。油が切れたようにぎこちなかった動きが、滑らかになっている事が寝起きの彼にも見て取れる。


「かなり洗練されているな……」

『えゝ。右腕に動きの指示をするに当たって、無駄な命令コードを洗い出しました。其の結果、繊細な動きこそ叶いませんが、必要最低限の精度は確保できました』

「……繊細な動き、とは?」


 科学者が映り込み、両手の五指を親指から握り込んで、逆に小指からほどいていく。先ほどの右腕の動きは人の其れと勝るとも劣らぬとも思えたが……。


『指、です』

「指?」

『はい。指の動き――正確に言えば、肘部の稼働までならば最低限の精度はありますが、其の先になると全く命令系統が把握できていません。更に言えば、脚部に関しては完全に未知の領域になります』


 頬杖をついた蚩尤しゆうはミネラルウォーターを口にして、喉の落ち着きを取り戻す。吐き出した吐息に落胆の調べが含まれていた事を、科学者は気づいていたのだろうか。


「期待させていたわりには些か以上に不足していると私は思うが?」

『ええ、此れについては反駁の余地はありません。しかし、他の部分に関しては……』

「続けろ」

『細胞に保存されていた設計図も、欠損部以外はかなりの事がわかってきました。大体の部分については』


 いびつな人体を意匠化した画像が表示され、其の胴体と腕部の半ばが青く染まっている。その他の部分は灰色だ。


『見ていただければわかるでしょうが、青い部分が稼働命令が解析できている部位になります。此のイメージ図でお分かりでしょうが、全体像に関してはかなり具体化ができています。其れに……』

「其れに、なんだ」

『細胞の培養化に成功しました』

「……ッ! 本当か?」


 細胞の培養。其れが誠であるならば、現代技術では再現不能な存在ヽヽの――完璧とは言えぬまでも――複製ができるという意味だ。であるならば、安曇野警備保障が秘匿している、世界に類を見ない兵器が蚩尤しゆうの手の中に収まるという事だ。取りも直さず、安曇野正義を討ちたした暁には、もたらされた現代の其れを超える技術を占有する事により、彼に更なる莫大な富が約束される。其れだけではない。或いは、安曇野正義がしたように、技術を秘匿したまゝ、己の戦力の増強にも貢献できる。


『えゝ。右腕から採取した細胞に成分を同じくする物質を接触させていると、細胞が物質に侵食し始めました。解析するに、一定の光を媒介に活性化した細胞は、に侵食して、己の身体とする――復元現象を引き起こすようです。既に此処まで復元できています』


 科学者の声も薄れて、いずれ来るであろう未来の青写真に蚩尤しゆうは笑みを浮かべる。此の地位に上り詰める途上で、辛酸を嘗めた事も一度や二度ではない。しかし、彼は其の全てを踏破してのけた。彼の強固な屋台骨は彼の人生の縮図であり、成功への確信なのだ。


 復元が可能であるのならば、此の未知のテクノロジーを手にし、更に発展する事ができる。現代兵器の系統樹の外に存在する兵器――。有用性は幾らでもある。其の存在が何を意味しているのかの問いは、蚩尤しゆうにとっては興味の対象ではない。要は己に有用であるのかどうか、だ。


「研究所に車を用意する。其の身体ヽヽを載せてくれ。データについても、だ。指定の物理媒介に保存して、車に積むように」

『……其れは、此の研究所での調査は終了という事でしょうか』


 科学者の声に不満の響きが含まれていた事を、蚩尤しゆうは耳聡く聞き取っていた。


「あゝ、そうだ。たゞ、君は気に入った。もし、此の存在ヽヽの研究を続けたいのなら――そして、其れが軍需であっても構わないのであれば――其の車に乗り込み給え。何、給与については心配しなくてもいい」

『よろしいので?』


 懐疑的な声は頷ける。突如調査を強引に打ち切らせたと思いきや、今度は自身を雇用しようというのだ。其の意図に訝しいものを覚えるのは、むしろ当然の摂理だろう。


「私は、優秀な者は手許に置いておきたい部類の人間でな。其れに、此の存在については、君は私が知る限り最も詳しい。なんなら今の給与の三倍はくれてやろう。たゞし、其れなりの守秘義務は守ってもらうがね」

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