おでん
『前田美海店』の夜の部が始まっていた。
この店は夜間になるとお酒も提供して、現代で言う居酒屋のような形態を取る。
そこにがっしりした体格の初老の侍が訪れた。
「源ノ助さん、いらっしゃいませっ!」
「ようこそ、源ノ助さんっ!」
双子の姉妹が、嬉しそうに、元気よく声を上げた。
「や、久しぶりですな。一人だが、席は空いてますかな?」
「はいっ、こちらにどうぞっ……ナツ姉、源ノ助さんが来てくれたよーっ!」
彼女たちにとって、源ノ助は身内同然、待遇も特別だった。
孫の様な彼女たちからこれほどの歓迎を受け、彼自身、とても嬉しく思っていた。
源ノ助とこの娘達との出会いは、もう一年半近く前の事だった。
古くからの知人である阿讃屋の主人から、ある一軒の屋敷の用心棒をしてみないかと誘われたのだ。
彼は阿東藩の中でも、藩主直属の家臣であった。
息子に家督を譲って以来、隠居して小さなあばら屋を借り、悠々自適の生活を送っていたが、さすがに飽きてきたので、面白そうな仕事があれば紹介して欲しいと阿讃屋に頼んでいたのだ。
依頼の内容は、
「身売りする五人の娘を、逃げ出さないように屋敷に閉じ込め、かつ、外部から余計な輩が近づかないように護衛する」
という、一度聞いただけでは眉をひそめるような内容だった。
しかも、少女たちを仮押さえしたのは、最近物珍しい品々をどこからともなく仕入れてきて販売し、自身を「仙界から来た」と言っている若輩者だというではないか。
断ろうかとも思ったが、まだ仮押さえなので、その若者が娘達に手を出さないよう諫める役割も担うという。
とにかく、自分が警護するのはどのような者達なのだろうかと、見てみることにした。
そこで出会った少女たちは、みな可愛らしく、そしてこのような娘達が身売りせねばならないという現実に呆然とした。
そして彼女たちを仮押さえしたという青年は、まだ頼りない子供の様に見えた。
しかも、自分が少女たちを仮とはいえ買い取ったというのに、鼻の下を伸ばして嬉しそうにするどころか、本気で娘達の待遇を心配する様が一目で見て取れたのだ。
もう少し詳しく話を聞いてみると、どうやらこの青年、「黙って見ていられない」というそれだけの理由で、ほぼ全財産をはたいて勢いで『やらかして』しまったらしい。
そういう事情を知ってしまうと、中立でないといけない自分の立場でも、肩入れしたくなるというものだ。
実際、懸命に金策にかけずり回る青年は少女たちに受け入れられ、信頼されていった。
自分としても、多少の騒動には目を瞑り、また、そんな彼の誠実さを、こっそり藩主に伝えたりもしていた。
そして彼は、いくつもの苦難を乗り越え、商人と認められ、見事に資金を得て少女たちを正式に買い取り、それどころか少女たちの懇願により、全員嫁にしてしまったのだ。
さらに現在では、こんな立派な飲食店を経営するに至っている――。
自分の目に狂いはなく、また、この用心棒の仕事を受けて良かったと、心から感じていた。
と、そんな風に物思いにふけっているとき、その料理は運ばれてきた。
「源ノ助さん、こちらが新しいお料理、『おでん』です……熱いから気をつけてくださいね」
と、双子の妹がそれを持ってきた。
「ほう、これが……うむ、良い匂いがしますな」
皿に盛られたその料理から暖かそうに湯気が上がり、美味そうな匂いも沸き上がっていた。
この日、彼は少女たちから、
「新しいお品書きが増えたので、ぜひ試食にいらしてください」
と招待を受けていたのだ。
「うむ……ただの田楽と違って、煮込んでいる……それも濃い出し汁で……」
源ノ助は、箸でそれらの料理に触れてみて、柔らかく煮込まれていることに驚いた。
普通、田楽は豆腐やこんにゃくを串に刺して、焼いた上で味噌をつけて食べる。
また、串に刺したこんにゃくを茹でて、味噌をつけて食べる方法もある。
しかし、このように色の付くほど濃い出し汁に具材を入れて煮込んだ料理ははじめてだ。
しかもその具材は、厚揚げ、ちくわ、ゆで卵、こんにゃく、それに大根と盛りだくさん。
特に大根は芯までじっくり煮込まれているようで、箸で簡単に切れるほど柔らかい。
これに好みにより、味噌や『からし』を付けて食べるのだという。
まず、気になっていた大根を食べてみる。
口の中でほろりと溶け、その熱さにまず驚くが、次の瞬間、えもいわれぬ大根本来の甘み、出汁の旨みが口の中いっぱいに広がった。
「……これは美味いっ!」
と思わず口に出てしまう。
不安そうに見つめていた給仕の少女、ハルも笑顔になった。
一緒に出された飯との相性も抜群。今まで食べた大根料理の中でも一番美味いかもしれないと思ったほどだった。
次にこんにゃく。
これはやはり、味噌を付けた方が美味いということでそうしてみた。
ぷりぷりの食感で、クセが全くない。
丁寧にあく抜きしているのが感じられる。
大根ほどではないが出汁の味がしみており、そこに味噌の塩辛さとコクが加わる。
単なる『こんにゃくを茹でたもの』とは別次元の料理に感じられた。
そして玉子。
じっくりと煮込まれたようで、白身が出汁の色に変わっている。
箸で割ってみると、その煮込まれ具合は黄身にまで達しているようで、期待をそそる。
割れた半分を口の中に放り込み、咀嚼してみると、それが期待以上であることを実感した。
味の染みた白身はぷるんと口の中で弾け、絶妙の食感を生み出し、黄身は出し汁と混じり合い、濃厚な旨みを醸し出す。
その両者が、噛むごとに味と食感の共演を繰り広げた。
そもそもゆで卵を出し汁で煮込む、という発想のなかった彼にとって、それは衝撃的だった。
そして厚揚げとちくわ。
こちらも、出汁が十分に染みているようだ。
ハルによれば、これは『からし』を付けるといいという。
素直にそれに従い、まず厚揚げを適度な大きさに切って辛子と共に口の中へ。
今までの食材とは異なり、厚揚げの衣自体が油による濃厚な味を持つが、出し汁と美味く調和しており、そこに少し遅れて辛子の風味がずどんと響く。
やや濃すぎるそれらの味を、淡泊な豆腐の部分が和らげ、それでいて豆腐自身の繊細な旨みも加わって、また次の一口を食べたいと思わせてくれる。
最後のちくわは、その素材自身の柔らかさ、味の濃さに出し汁がしっとりと染み渡っており、これも辛子の風味がよく合う。しかし、単独では若干味が濃すぎる気がする。
こうなると、一杯やりたくなる……。
と、そこに盃と徳利を持って、双子の姉の方、元気娘のユキがやってきた。
「さ、源ノ助さん、一献どうぞ」
「おお、これはこれは。ずいぶん気が利きますな」
ニコニコと嬉しそうに酒を注いでくれるユキに、思わず顔がほころぶ。
人肌程度に暖められた日本酒、一気に飲み干すと五臓六腑に染み渡る。
その飲みっぷりに、ハルも、そしていつの間にか板前のナツも、挨拶とお酌に来てくれていた。
おでんに日本酒、お酌をしてくれる、気の知れた孫の様な美少女達。
全くもって、この世の贅沢の極みだ。
そして彼は、心から思うのだった。
この娘たちと知り合うことが出来て、そして彼女たちが別の男に売られていくことがなくて、本当によかった、と――。
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