プリン
数え年で十九歳と十七歳、満年齢に換算すると十七歳と十五歳の姉妹が、『前田美海店』で食事をしていた。
お昼は大分過ぎているが、まだ半数以上の席が埋まっている。
彼女たちが食べているのは、シンプルな『玉子丼』だった。
「……ふう、本当に美味しいですね、ここのお料理」
「そうでしょう? 私も、初めて連れてきてもらったときは驚いたわ。でも、あの仙人と呼ばれる『前田拓也』様が経営なさっているのだから、当然かもしれないけど」
姉である『日奈』という名の娘が、なぜか少し誇らしげに妹の『奈々』に自慢していた。
「仙人様、ですか……本当にいるんですね。私は見た事はありませんけど……」
姉に対しても敬語を使う奈々。上級武士の娘という身分故に、そのようにしつけられてきたのだ。
「私も、実際に見たことはないけど……まだ若い、そう、私と同じぐらいの歳の、男前の青年だという噂よ」
「姉上と同じ? ……仙人様というからには、お爺さんかと思ってましたけど」
そう言って、二人は楽しげに笑った。
「……でも、涼姫様、急でしたわね、ご勉学の旅に出られるなんて」
「そうね。しかも、前回の『水龍神社』での修行とは違って、行き先が私達にさえ教えられていないのだから……ちょっと心配でもあるけど……」
二人は、阿東藩主の娘である『涼姫』の侍女だったのだが、つい先日、涼姫がお忍びで勉学の修行に出たということで、急に仕事が減ってしまったのだ。
することも少ないので、休暇をとって、最近評判の『前田美海店』に揃ってやって来ていた。
「これだけ美味しい料理が二十五文で食べられて、二人で五十文……だいぶ予算が余っちゃったわね」
美味しいと評判の店だったので、一人五十文はするだろうと思って来てみたのだが、その半額で食事ができたことになる。
「そうですね……どうします? この後、何か甘いお菓子でも食べに行きますか?」
「いいわね……評判のいい茶屋も聞いておいたから、そこに行きましょうか」
先程玉子丼を食べたばかりの二人だが、甘い物が別腹なのはこの時代でも同じのようだった。
「あら……でも、この店のお品書きにも、数は少ないけどお菓子が載っているみたいですよ」
「あら、本当……
「玉子を使った、柔らかくてちょっと冷たくて甘いお菓子って書いてますね……」
また玉子、と二人は顔を見合わせて笑ったが、初めて見る名前の菓子であったことと、数量限定であるという説明に惹かれて、給仕の女の子を呼んで聞いてみる事にした。
「はい、追加のご注文ですか?」
奈々より少し年下に見える少女が笑顔でやってきたので、日菜も微笑みながら、『ぷりん』はまだ残っているのか聞いてみた。
「はい、このお店は男の人が多いのと、まだお品書きに載せてから日が浅いので知られていないのもあって、今日はまだ残っていますよ。すごく甘くて、柔らかくて、美味しいです。お二人みたいな綺麗な方には特にお勧めですよ」
と、少女は目を輝かせて説明する。
彼女の嬉しそうな様子からして、本当に美味なのだろう。
ただ、その味も量もまったく見当がつかない。
とりあえず、一つだけ注文してみることにした。
待つこと、しばし。
さっきの給仕の子が、やはりニコニコしながらお盆にそれを乗せてきた。
平たいお皿の上に載せられた、薄い黄色の、ぷるぷる震える豆腐のような一品。
その上には、黒っぽい何かがかけられている。
「……この上にかけられているのは何かしら?」
「それは、甘い『蜜』です。ちょっとずつ、下の生地に混ぜて食べていくのがコツなんですよ」
と、相変わらず嬉しそうに説明してくれる少女。
おそらく、彼女も本当に大好きなのだろう。
「匙さじは二つお持ちしましたから、お二人でゆっくりお召し上がりくださいね」
そう言い残して、彼女は忙しげに厨房に帰っていく。
「……気か効く、いい子ね」
「本当ですね、お城で働いてもらいたいぐらい……」
と、感心した二人だったが、意識はすぐその添えられた小さな匙に向けられた。
「……これって、銀? ううん、鉄、かしら……」
「すごく綺麗……」
現代で製作された、ステンレス製の、柄の先端がハート型にくり抜かれたスプーン。
二人はその細工に一瞬、心を奪われたが、目の前の『ぷりん』にも目を奪われた。
「これが……いわゆる『仙界のお菓子』かしら……」
「黄色いお豆腐みたい……どんな味なんでしょうね……」
姉妹は、息を合わせたように小さな匙をその菓子に伸ばし、少しだけ掬すくってみる。
「柔らかい……」
羊羹よりも、豆腐よりも、ずっと柔らかく、すっと掬うことができた。
しげしげと匙に乗った物体を眺めた後、ゆっくりと口に運ぶ。
――二人は同時に目を瞑り、そして次に目を見開いて同じ言葉を発した。
「「甘くて美味しいっ!」」
さっきの少女が言った通りだった。
これほど甘く、柔らかく、コクがあるお菓子を、この姉妹は食べた事がなかった。
材料に玉子を使っていることは分かるのだが、それだけではこの奥深い旨みと柔らかさを説明できない。何か特別な素材と、想像もできない製法があるに違いなかった。
かなり冷やしてあったのことにも、意表を突かれていた。
さっきの少女が言ったとおりに、上部の黒い蜜を少しずつ混ぜて食べる。
黄色の部分だけでも十分美味しいが、蜜と同時に食べことよって、甘みが強まると共に、プリン自体の味にも深みが増すように感じられた。
ついつい、夢中になって食べてしまう。
思ったより大きな菓子であったにもかかわらず、気がつくと残りほんのわずかになってしまっていた。
「……もう無くなってしまいましたね……」
「元々、一人分を二人で分けたから……」
「一つ、十二文ですし……もう一つ、頼みましょうか」
「そうね、私もそう思っていたところよ」
姉妹は、うふふっと同時に小さく笑い、そして近くの給仕に声をかけた。
「はーい、今すぐお伺いしますっ!」
と、さっきとは違う娘が声を出し、そしてすぐに二人の元にやってきた。
「お待たせしました……あっ!」
その語尾に違和感を感じた姉妹は、給仕の顔を見て、口から心臓が飛び出るほど驚いた。
――姫さまっ!!
思わずそう叫びそうになった二人だったが、その娘が自分の唇に人差し指をあて、「しぃーっ!」というポーズを取っていたので、何も出来ず固まってしまった。
「……日菜さん、奈々、ごめんなさい……ここで働いていること、秘密だから……」
この店の給仕であり、阿東藩主の一人娘でもある涼姫は、二人だけに聞こえるような小声で、ちょっとバツが悪そうにそう話した。
「……やっぱり姫様、ですねっ? どうしてこのようなところで……」
日菜も小声になっている。
「父上の命で、世間をもっと知るように言われて、ここでお仕事させていただいています。これも修行なのですよ」
「……姫様が、仙人のお店で修行を……他の方はご存じなのですか?」
奈々はちょっと声を震わせながら、小声で質問する。
「ううん……このお店の人も、みんな知らない。だから、本当にただの新米店員なの……ほかの人には、秘密にしてね……えっと、それで……ご注文ですか?」
最後は通常の声で、他の店員と同じように笑顔になっていた。
姉妹は、どうしようか迷ったが、給仕を呼び止めておいて注文しないのも気まずい。
そこで当初の予定通り、プリンをもう一つ注文することにした。
「はい、『ぷりん』お一つ追加ですね……わたしも『ぷりん』、大好きなのですよ……では、少々お待ちくださいね」
それだけ言い残して、彼女もまた、忙しそうに、けれども楽しそうに厨房に帰っていった。
「……びっくりしました……まさか姫様と、こんなところでお会いするなんて……」
「私も……なるほど、藩主様は仙人様に姫様を託されたのね……相変わらず、明るくてお優しい方……」
「はい、本当に……私達、姫様の侍女で良かったです……」
しばらくして、涼姫自ら、プリンを運んできた。
そしてさっきの皿をまだ下げておらず、スプーンがそのまま残っていたにもかかわらず、また新しい匙を二つ持ってきてくれたことに、彼女の優しさを再確認した。
二人は、この店で自分達の主人に期せずして出会ったこと、そして初めて食べたプリンのその美味しさを一生忘れることはないだろう――そんな事を語り合いながら、幸せな気分で帰路に就いたのだった。
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『前田美海店』で提供されるプリンは、現代の資産家が経営する喫茶店『たいむすりっぷ』から毎朝、数量限定で提供してもらっています(^^)。
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