第七話

ヒミツの客人

 近年若者に人気なタピオカ専門店、ふわふわのスフレで有名な大手ケーキチェーン店、限定スイーツがおいしいと評判の喫茶店――そんなイマドキのライバル店に囲まれていても、カフェ『リデル』は、今日も満席に達した。

 特に混み合うお昼時。店員たちは、見たこともない奇妙な二人組の客と遭遇する。厨房前では現在も、二人を指す会話が繰り広げられていた。


「ねー、あのお客さん。どっちもかっこいいわねー」

「うん、モデルさんみたい。何してる人なのかしら」

「ちょっと聞いてみない?」

「えーっ、そんな勇気ないですよー」

「ねえ、稗苗ひえなえさんはどっちがタイプ?」


 カウンターの下でスマホを触っていた稗苗は、突然振られた話題にビクリと肩を揺らした。え、私? と動揺しながら顔を上げると、パートやバイトの女性たちが試すような目で稗苗を見ている。

 ――どっちがタイプって……お客さんの?

 そういう品定めをする趣味はないのだけれど。本命いるし。口を開けば合コン合コンと連呼する股の緩い女や、日々ストレスの溜まったおばさんたちにはわかるまい。


「稗苗さん、またスマホ触ってたの? 仕事中は駄目って言ったでしょう」


 ――うるさい、ババア。

 ほら、すぐにこれだ。若い子を注意することでストレス解消。あんたはここの学級委員かっつーの。


「ごめんなさい」


 稗苗は、気持ちとは裏腹な謝罪を軽く言いながら背を向け、噂の二人組を探した。どの人たちのことですかと尋ねるまでもない。すぐにあれだと目星が付く。


 客の一人は、会社員にしては肩幅が広く体格がいい、屈強そうな男性だった。もう一人は、きらきらと輝く派手な髪色に、酷く顔の整った――、スーツにモッズコートを羽織った若い男性。綺麗な人……というのが、稗苗の抱いた第一印象だ。

 綺麗な人。けれど歪で、恐ろしくて、触れられない。綺麗な薔薇には棘があるって言うじゃない。そんな危ういオーラを、二人並ぶことで強めている不思議な人たち。

 私のタイプではないなぁと、稗苗は小さく笑った。守られるより守りたい派だし、あんなに綺麗な人と並んだら自分が見劣りしてしまう。ああいう人たちは遠くから眺めているのが一番だ。


「よく食べるお客さんよねぇ。あんなにおいしそうに食べて……」


 と、後ろのババアが小声で笑った。息子に対する感想かよ。稗苗は内心嘲笑する。

 パートリーダーの言うとおり、男性客の片割れは見かけによらず見事な食べっぷりを見せていた。そう、大柄のほうではなく、線の細い美人のほうである。


「よく食えるな」

「オムライスお嫌いで?」

「量の話だ」


 連れの男性は呆れた顔をしていた。テーブルには、日替わりランチのカレーライスとパスタの空き皿が置いてある。プラチナブロンドのほうが一人でたいらげたものだ。そして今手を付けているオムライスも、残りわずか。

 稗苗はちょうどその横の席が空いたため、いち早く片付けに向かった。耳にできたのは、よく通る柔らかな声だった。


長海ながみさんだってカレー食べてるじゃないですかー」

「カレーだけな」

「大丈夫ですよ、自分で払いますので」

「……」

「そういう問題じゃないって顔してますね」


 仲睦まじい会話に思わず頬が上がる。きっと、わかり合っている二人なのだろう。

 ついでだからそっちの皿も下げてしまおうと一瞥したとき、ドンと肩に誰かがぶつかった。稗苗は反射的にすみませんと言いかけて、けれども寸前でやめた。ぶつかってきたのは、パートリーダーのババアだった。鳴らしかけた舌打ちをこらえ歯噛みする。

 パートリーダーは気持ち悪いにやけ面で二人の元へ向かい、空いた食器を下げにかかった。忌々しいババア。そんなにマウントを取りたいか。


「お兄さんたち見かけない顔ぶれねぇ。お仕事の途中?」

「最中です」

「あら、忙しいのねぇ」


 稗苗はテーブルを片付け終わり、そそくさとカウンターに戻った。

 ――図々しい女。若い男と話せて満足か。

 聞き取れたのは一言二言のやり取りだった。けれどもババアの声色はウキウキと上機嫌で、のぼせ上がっているのが見ないでもわかった。


「ねえあの人、また抜け駆けしてるよね」


 厨房で食器を洗うバイトの子が稗苗に話しかけてくる。「いい年してよくやるよねー」と言うので、同意を込めて苦笑した。

 口にしないだけで、みんな思ってるんだ。そして、どうせ私も陰で悪口言われてるんだろうなと思いながら、また別の席を片付けに向かう。

 ババアは二人組から離れて注文を取りに回ったようだ。稗苗は、片付けをする間、二人の会話を聞き取ることに専念した。


「このあいだは急にパトカーのサイレンが聞こえて驚きましたよ。信号無視でしたっけ、横断歩道で」

「そうだな」


 長海は、答えを濁すようにコーヒーをすする。


「この辺りも物騒になったものです。いえ、私が学生だった頃よりはマシですが。長海さんは部活動何されてました?」

「俺はずっと空手だが」

「私は演劇部ですよー」


 ――演劇部!

 その言葉に、稗苗の心は柄にもなく大きな反応を示した。

 稗苗の通う大学はこの近くにあり、彼女はそこの演劇部に入っている。任されるのは悪役ばかりだが、演技は褒められることのほうが多い。あの綺麗な人なら、王子様級の役に引っ張りだこだろうなと想像した。


「女形が合いそうだな」

「オヤジくさいハラスですね」

「そんなつもりはない」

「ほかにもやってましたよー。テニス部にー、バスケ部にー、野球部にー、陸上部にー」

「面白い冗談だな」

「まあ最終的には帰宅部に落ち着きましたがねー」


 うふふ、と軽快な笑い声が続く。稗苗は、なんだ……冗談かと、人知れず緩んでいた顔を引き締め直した。


 彼女は人一倍、声に敏感な女性だった。それは虐待に怯える生活で身についた代物だったが、一度聞いた声は忘れない。故に少しでも耳にしてしまえば、あとはラジオの周波数を合わせるみたいに的確に人の声を聞き分けることができた。


 どこまで本当かわからない昔話に花を咲かせた後、完食し終えた二人組は席を立つ。稗苗がレジに着いているときだった。

 目前までやってきた二人組に、妙な緊張感が走る。後半の会話を聞いていなければ、『私も演劇部なんですよ』なんて言いたいくらいに気持ちが盛り上がっていた。しかし冗談だとわかってしまえば、口にすることはできない。そうでなくても、盗み聞きしたことがバレてしまう。


 稗苗は無駄なくレジを済ませた。プラチナブロンドの綺麗なお兄さんは、「とてもおいしかったです」と微笑む。稗苗は自分が作ったわけでもないのに嬉しくなって、「ありがとうございます!」と自然に顔を綻ばせた。

 二人の男性客は店を出ていく。稗苗もまかない飯を取って休憩することにした。変な二人組だったけれど、こんな日もあっていいなあと、彼女は大きく伸びをする。

 なんだか、いいことが続きそうな予感がした。

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