きみを攻略するための
怒涛のカミングアウトから一夜明け、渉は昇降口でクラスメートを待ち伏せていた。
「
そう朝霧に頼まれたのは帰る間際のこと。
保健室で彼の手当を済ませた後も、渉はずっと反省していた。承諾を得たとは言え、やはり殴ってしまったのは悪かった。口癖のように謝り、「痛くないか?」と頻りに顔色を窺う渉に、朝霧は「それなら、ひとつだけ頼まれてくれる?」と苦笑した。
「彼がE組の問題児なのは望月くんも知ってるだろ? 加えてバスケ部の幽霊部員。みんな彼に手を焼いているんだ」
「それは、何となくわかるけど……」
朝霧が彼を気にする理由がわからない。同じクラスでもないし、現バスケ部の状態も朝霧には無関係のことではないのか。
「先日の委員会で、クラス委員の二人も落ち込んでいてね」朝霧は一拍挟んでから続けた。
「
「うん。改善しないと二人の責任になる。そしてその先には二年生の執行部、つまり僕がいるってわけだ」
「……なるほど」
このまま放っておけば、いずれ朝霧にも火の粉が及ぶ。だから早いうちに問題を取り除きたい、と。
渉は口元に手を寄せて考えた。委員長の二人に悪い点は見当たらない。新堂たちが言うことを聞かないだけだ。しかし、新学期がはじまって二ヶ月以上経った今でも改善できていないというのは、生徒会としてまずいのだろう。
「まあ、無理にとは言わないけど。前みたいな規則正しさを取り戻せたら、彼も態度を改めるんじゃないかと思ってさ。――来週のテスト週間から部活動がなくなる。それまでに説得して、再開と共に復帰させたいんだ」
どうか僕らを助けてやってくれないか?
(とか言われてもなあ……)
凛と萩野を出しにして渉に引かせないようにする、まったくずるい男である。朝霧の前ではわかったと言ってしまったが、いったいどうしろと言うのだ。
新堂明樹――バスケ部の幽霊部員で、授業もサボってばかりの不良生徒。だが、問題を当てられたときはいつもさらりと正解してしまう。教師が彼と関わりたがらないのはその辺も関係しているのだろう。つまり、頭のいいヤンキーなのだ。
新堂は朝のホームルームにもほとんどいないが、遅刻だけは絶対にしない。毎朝、彼の席には薄っぺらい鞄がいつの間にか掛かっていて、先生はそれを見て出席を確認しているのだ。素行不良でも留年する気はないという表れである。
彼にかける言葉を浮かべて待っていると、正門を通るアッシュゴールドの頭が見えた。曇り空の下でもよく目立つ、あの長身と髪色は新堂明樹のものである。渉は、彼が生徒玄関に来たところで声をかけた。
「し、新堂」
気怠さを含んだ切れ長の目が渉を見る。どこまでも広がる砂漠のように乾ききった目だった。
渉は口内を唾で潤し、軽く咳払いする。
「朝部活行かねえ?」
「行かねえ」
即答だった。新堂は渉から興味をなくして――ついでに心に鍵をかけて――靴を履き替える。しまったと渉は思った。まずはおはようから入るべきだったか……。言っていても結果は同じだっただろうけれど。
「なんで行かねえの? 理由とかあるなら……」
「関係ねえだろ」
新堂は煩わしそうに渉を見下ろして、「萩野か? それともあのうぜえ先輩か?」と、理解の追いつかないことを続けた。え? と渉は首をひねる。
「お前頼まれたらなんでもするんだな。奴隷みてえ」
一瞬頭の奥が白く染まった。奴隷みてえ。新堂の言葉が、渉の胸に深く突き刺さる。よく切れるナイフを突然挿し込まれたような衝撃だった。
新堂は立ちすくむ渉をかわして通り過ぎる。渉はその大きな背中に向けて言った。
「バスケっ……嫌いなの?」
新堂は立ち止まって、顔だけで振り向いた。
「お前みたいな奴が一番嫌いなんだよ。吐き気がする」
心の底からそう思っているかのように眉間にしわを寄せて、新堂はそのまま施設棟のほうに歩いて行った。どうせ一度は教室に向かうくせに、渉と一緒には歩きたくないからわざわざ遠回りをするのだ。
まさかあんなに拒絶されるとは思わなくて、渉は、難しいな……と心のなかで弱音を吐いた。少し話しただけで、暴言、侮辱のオンパレード。そんなに嫌われるようなことをした覚えはないのに。
これは骨が折れそうだなと渉はため息を殺した。すでに心は折れかけていた。
* * *
ホームルームを終えた二年C組の次の予定は移動教室だ。響弥は教科書類と筆記用具を手にして、移動をはじめるクラスメートに紛れながら千里の席を訪ねた。
「ちーちゃん。眠そうだな?」
むにゃ? と寝ぼけ眼で響弥を見上げて、千里は再度あくびをする。
「うん、まあねー。新作のゲームがなかなかクリアできなくて」
「へえー。何のゲーム?」
千里はふふんと得意げに鼻を鳴らし、「美少女を攻略するゲームだよ」と人差し指を宙で回した。
「どの子もみんな可愛くってねー。おいちゃん迷っちゃうよー」
「エロゲー?」
「違うわ! 健全なゲームだよ!」
「でも男じゃないんだな」
「男はリアルで攻略したいでしょ」
思ってもなさそうな格言を吐いて千里は椅子を引く。こちらも別に雑談をしに来たわけではない。響弥は「なるほどー」と生返事をして、彼女に接触した理由にも繋がる本題を明かした。
「ちーちゃんさぁ、最近凛ちゃんといるところ見ないけど、何かあったぁ?」
本当は昨日渉に問うつもりだった。最近あの二人が一緒にいるところ見ないよなと、結局あの刑事に邪魔されて話すことはできなかったが。
千里は丸い目を持ち上げて、首を小さく傾けた。唇を内側に巻き、不自然に瞬きしている。予想外の質問に対して緊張している証拠だ。
「いや、凛ちゃんとは何もないけど……あったのはうちのほうっていうか」
「何があったの?」
どんなに千里がうまい言い逃れを口にしようと、響弥は引き下がるつもりはなかった。案の定千里は、「そんなに気になります?」と戯ける。響弥は準備しておいた答えを返すまでのこと。
「最近凛ちゃんが落ち込んでるみたいだからさ、もしかしたらちーちゃんと何かあったのかなぁって思って。俺でよければ伝えるぜ!」
凛が落ち込んでいるかどうかは定かではないが、今はこう言っておくのが得策だ。これで、友達思いの優しい千里ならば正直に話すだろうと響弥は考えていた。
千里は、いたずらっ子の表情からくるりと顔色を変えて、掠れた声で苦く笑う。作り物ではない、警戒心の薄れた顔だった。
「いやー実はさー、うちのシャワー出なくなっちゃって。だから今友達んちにいるんだよねー」
「え?」と響弥は意外という顔つきになった。「凛ちゃんの家じゃないんだ?」と、率直な疑問を口にする。
「うん、甘えすぎてもなーって」
千里は困ったように肩をすくめた。そっか、それは大変だね、と心配する素振りを見せながら、響弥は千里の話を切り上げる。
うまい嘘には真実が隠されているものだ。答えるまでに間があったのを、響弥は見逃さなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます