第1話 問題児

「薫先輩!」

 放課後、多くの生徒が廊下を行き交う中、生徒会室へと向かおうとしていた薫に声をかける女生徒がいた。友人に励まされながら顔を真っ赤にして俯く女生徒に薫は振り返り微笑みかける。

「どうしたの?」

「あ、あの! せ、先輩に勉強を教えていただきたくて……だ、ダメですか!?」

「いいよ。いつにしようか」

 女生徒の顔がパッと明るくなる。溢れ出る喜びのオーラが可愛らしい女生徒をさらに輝かせる。

「よ、よろしければ土曜日か日曜日に……」

「ごめん。週末は習い事があるから放課後でもいいかな」

「す、すみません! お忙しいのに……」

「こっちこそごめんね。放課後ならいつでも時間とるから都合のつく時に生徒会室に来てくれる?」

「はい!」

 友人たちと喜び合う女生徒。だが、もう少し場所を考えるべきであった。女生徒にあやかろうと周りの他の女生徒たちの目が輝く。

「薫先輩! 私もいいですか?」

「薫くん、私もいいかな?」

「薫くぅん、私もぉ」

 薫はあっという間に囲まれる。困ったように笑いながら、じゃあ、教室を借りて勉強会を開こうかなんて言う彼は間違いなくタラシである。学年主席の笹原薫が勉強会を開くという噂はすぐに広まり、一人の女生徒から始まったこの騒動は女子のみならず、男子にも広まり、数日に分けなければならないほどの人数が集まることとなる。

「優等生様は違うわね」

「美奈。手伝ってくれない?」

「アンタが引き受けたことでしょ。そんな面倒ごとはごめんだから」

 なんとか人を散らして逃げ入った生徒会室で机に座って薫を迎え入れたのは幼なじみの柊美奈だった。可愛らしい容姿に薫には少し劣るが成績もよく運動もできる。また、強気な態度もギャップ萌えだと言われ、男に媚びないその態度が男からも女からも愛されるタイプだ。

 美男美女の天才。絵になる二人。二人の間柄が色々と噂されるのは当然の流れであったが、この二人の間にそんな甘ったるい関係はなく、ただの腐れ縁であった。

「それにしても週末に習い事、ねぇ」

 美奈は笑いを堪えるように僅かに声を漏らしながら俯く。

「なんだ。聞いてたの」

「なにが習い事よ」

 もう限界。美奈は思いっきりお腹を抱えて笑い出した。

「仕方ないだろ。それ以外いい言い訳が思い浮かばなかったんだから」

 苦しげに息をしながら笑う美奈に薫は不満げにそう言い、生徒会の仕事へと取り掛かる。ちょうどその時、部屋にノックが響いた。生徒会室は基本的に二人しか使わず、他の生徒会役員は部活があったり、放課後は勉強したりと様々で集まるのは行事前後くらいだ。実はこの二人の間に関係があると考えているからでもあるのだが、それは勝手な思い込みだ。

 はい、と薫が応えた頃には一瞬前の事が嘘のように美奈は椅子に座って生徒からの意見書類に目を通しているふりをしていた。どれもこれも部活の費用を上げてほしいだの、設備をよくしてほしいだの無理難題ばかりだ。

 失礼します、と入ってきたのは風紀委員長の工藤美咲だった。クールビューティと称される彼女は普段から真面目で誰に対しても敬語なこともあり高嶺の花的イメージが強い。だが実は、熱烈な薫と美奈の信者である。

「どうかしたの?」

「こんな事で会長方のお手を煩わせるわけにはいかないと思ったのですが、私どもではどうも手に負えず」

「またアイツ?」

「はい」

 アイツ、とはとある男子生徒のことだ。今までも何度も対処してきたが一向に改善は見られない。泣かされた女生徒は数しれず、男子生徒からの不満も一身に集める困った生徒である。さらに、薫が自分よりモテるのがムカつくと目の敵にしている点でも大変困っていた。

「分かった。なんとかするわ。今どこにいるの?」

「二年四組の教室に。掃除当番から掃除ができないと苦情が入りまして」

「分かった。ありがとう」 

 失礼します、と丁寧にお辞儀をして出ていく工藤は大変好ましいが、今からの事を考えると薫から零れるのはため息だけであった。

「僕に彼の対処は無理だよ。火に油を注ぐだけだ」

「ハイハイ。弱音吐かないの。生徒会長様が対処出来ないで誰ができるっていうのよ」

「キミ」

「ほら、さっさと行くわよ」

 ひどく顔を歪ませる薫を美奈は無理やり引っ張る。生徒会室から出るとなんとかやる気になったかのように見えたが、嫌々であるのは長年連れ添ってきた美奈にはバレバレだった。

「そうそう問題なんて起きないんだからこれが終わったら学校が終わったも同然よ。明日も遊びに行くんでしょ。これぐらい耐えなさいよ」

「それとこれとは話が別だよ」

 学校の象徴である生徒会長が弱音を吐いているところなど見せられないため、話す声は小声となり、自然と二人の距離も縮まる。凛とした佇まいで距離も近い二人がまさか弱音を吐いている生徒会長を叱咤している副会長などには見えない。こういうところから根も葉もない噂が立つわけだが、二人がそこに思い当たるのはまだ先のことであろう。

 生徒会室のある特別棟から教室棟までは渡り廊下一本。さほど遠い距離ではない。他のクラスはもう掃除も終え、ほとんどの生徒が部活だったり下校していたりするため、勉強をしている生徒がちらほら見受けられる程度だったが、問題の教室に近づくにつれ、女生徒の甲高い声が聞こえてくる。そして、その教室の前では、掃除当番なのであろう真面目そうな生徒達が不安げに身を寄せあっていた。そして、薫の姿を認めた途端安堵の息を零した事に薫からはため息が漏れる。今すぐに踵を返したい気分だ。

「ほら、しゃんとしてよね」

「わかってるよ」

 意を決して教室へと足を踏み込んだ。美奈は控えるように半歩後ろを続く。

 薫たちが教室に入ったことにまず気づいたのは男子生徒の取り巻きの女子たちだった。目の前の男とはまた違うタイプのイケメンに息を呑む。学校一、二のイケメンがここに揃った。この学校の女子人気はこの二人に二分される。いや、周辺校も含め、か。

「アァ? またお前かよ。お忙しいセイトカイチョウサマが見せびらかすみたいに美少女連れてなんのご用ですか?」

 嘲笑うかのように投げかけたのは相手の男、この学校の問題児五十嵐圭吾だ。

「ごめんね、五十嵐くん。またお願いがあって来たんだけど」

 嫌味が届いていないかのように純粋に返す薫。初めの頃はこれで一瞬怯んだが、五十嵐ももう慣れたものだ。

「さっさと用件言えよ」

「ここの掃除当番の子が掃除できなくて困ってるんだ。場所を移してくれないかな」

「ハァ? んで俺が動かなきゃなんねぇんだよ。ソイツらがオレがいなくなってから掃除すりゃあいいだろ」

「そういう訳にもいかないよ。彼らだって時間は有限なんだからやりたいことがあるんだ」

「俺に直接言えねぇ時点でんな腰抜けどもの時間なんかいらねぇだろうが。時間が惜しいんならオレに直接言えばいいだろ。言えるもんならなぁ」

 心底人を馬鹿にしたような笑みを浮かべ、傍らの女生徒の腰を抱き寄せる。取り巻きたちも同調するかのように笑みを浮かべるだけだ。

 沸点の低い美奈が思わず前に出そうになるのを薫が制す。だが、その薫も限界が相当近いようだった。

「分かった」

 薫が小声で美奈に何か指示を出した。それに頷いた美奈は教室を出て、廊下で固まっている生徒たちのところへと向かった。そして、少し間が開き、生徒たちは後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。

「……何考えてんだテメェ」

「たった今ここの掃除当番は僕が引き受けた。つまり僕はここを責任もって掃除しなければならない」

「それがどうしたってんだ」

「君たちがいると掃除出来ないんだ。帰ってくれないか」

「ハァ?」

 五十嵐が怪訝そうに顔を歪める。

「もう一度だけ言う。今すぐ帰れ。さもないと僕は実力行使に移す」

「ハッ。やれるもんならやってみろよ」

「僕は警告したからな」

 そう言うと薫は不意に五十嵐に近づき、五十嵐の足元の鞄を掴み上げると、ぐるんぐるんと腕を振り回した。そして、スピードが乗ってきた頃、鞄は薫の手から放された。窓の外へと。

「オイ! 何しやがんだテメェ!」

「ほら、早く取りに行きなよ」

「ふざけんなテメェ!」

「僕もそう気が長いほうじゃないんだ。こう何度も何度も同じことを繰り返されると限界だよ」

 まさかあの温厚な生徒会長がこんなことをするなんて、と女生徒たちがざわめく。周囲に生徒はいないのか、他に聞こえてくるのは部活動に励む生徒たちの声だけだ。

「なんてね、美奈」

 名を呼ばれた美奈が教室に入ってくる。その手にはグラウンドへと投げられたと思っていた五十嵐の鞄があった。

「次は本気でするよ」

「あんまりコイツ怒らせない方がいいわ。普段怒らないやつほど怒った時面倒なのよ」

「……調子乗ってんじゃねぇぞオンナ顔が」

 五十嵐は盛大に舌打ちをすると、美奈から鞄を奪い取って教室を出ていく。取り巻きたちもそれを追いかけるようにそそくさと出ていった。

「やりすぎよ」

「これで当分は静かだといいんだけどね」

「そう簡単だといいんだけど…………嬉しそうね。なんなの?」

「僕、女顔だって」

 嬉しそうに笑う薫に美奈は呆れたようにため息を零し、掃除道具を渡す。二人が掃除を終えた頃には陽が随分と傾き始めていた。

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