第百二十九話『助けてという呪い』其の二


 そこにいたのは銀髪赤眼の紳士、人類王じんるいおうであった。

 この国に蔓延る四大勢力の一角、人類王勢力の頂点に立つ男。樋田達は此奴と一応の協力関係を結んではいるが、学園での一件から受けた心象は最悪と言わざるを得ない。


「キサマ、どこから入ってきたッ!?」


 だからこそ、晴が激昂するのも当然のこと。

 しかし、樋田はそんな彼女の腕を掴んで押し留める。


「オイ、カセイッ!!」


「なあ、どういうことだ……?」


 憤る晴の声には応えず、樋田は目の前の王に果敢にも問い掛ける。

 その一瞬、人類王の口元に狡猾な笑みが浮かんだように見えたのは、決して気のせいではないだろう。


「……諦めるのがまだ早いってのは、一体どういうことだ?」


「まず第一に」


 そう言って、人類王は見せびらかすように白いカードを掲げる。

 直前まで晴が持っていたそれを、目の前の王は知らぬ間に奪い取っていたったのだ。


「キサマッ、いつの間にッ……!?」


 構わずに王は続ける。


「君たちの予想通り、この『かぎ』は特定の血族にしか扱えない。君はその条件を満たしているわけではないし、粗製濫造の量産天使ホムンクルスなど言わずもながだ」


 言いながら、カードを持った手を軽く一振りする。

 すると、カードの持つ『天骸』がフワリと朧げに浮かび上がった。


「まぁ、使んだけどね」


「だが、それだけでは足りんはずだッ!!」


「確かに人一人を過去へ飛ばすには全然足りないね。だけど、君達の目的は別に時間遡行そのものではない。過去を改変し、秦漢華はたのあやかの死を回避することさえ出来ればそれでいい」


 そこで王は一度言葉を区切り、今度は左手で何かをもてあそぶ。

 王が手を開けば、そこにあったのは何の変哲もない数発の銃弾であった。



「確かに人を過去に飛ばすことは難しいだろうが、たかだか十グラムの弾丸ならば充分に可能だ」



 銃弾を過去に飛ばす。

 その突拍子もないアイデアに、樋田は一瞬怪訝な表情を浮かべるも、


「まさか」


 しかし、その直後には氷解した。


「それで、草壁蟻間くさかべありまを殺すってことか?」


 確かに筋道は通る。

 今回の人間対ダエーワによる戦争は草壁蟻間に起因する。

 彼をダエーワの蜂起前に殺してしまえば、当然戦争は起きなくなるし、秦が人類の敵として殺されることもなくなるはずだ。


「理解が早くて助かる。だけどね、残念ながら彼を殺すことは出来ないんだ」


 しかし、王は樋田の描いた可能性を即座に否定する。

 

「草壁蟻間は全殺王ぜんさつおうを取り込むことで絶対悪としての力を得た。当然二人が接触する前に草壁を殺しても意味はない。現状よりはいくらかマシにはなるだろうが、結局全殺王は似たような悪人を依代に復活して戦争を起こすだろうからね」


「じゃあ、接触したあとに殺せばいいだけの話だろ」


「それも難しい。全殺王を乗っ取った時点で、草壁蟻間はダエーワとしての再生能力を獲得する。彼等が銃弾で頭を吹き飛ばされたぐらいでは死なないことは君が一番よく分かっているだろう。そもそもある程度の実力を有する相手にこの手は使えない。時間を超えて未来から銃弾を叩き込んでも、『天骸』の動きを察知され避けられる可能性すら――――――」


 そこで樋田は我慢がならなくなった。

 まるで獣のように飛び掛かり、王の胸倉を乱暴に掴み取る。


「御託はいらねえんだよ。テメェはさっきから何が言いてえ。諦めんのが早えってんなら他に方法があんだろ。なら、早くそれを言えよ」


 それは本来とるべき行動ではなかった。

 そもそも樋田と全殺王の間には虎と兎以上の実力差がある。

 人類王の気が変わってしまえば、その方法とやらを知ることは叶わなくなる。しかし、そんな考えてみれば当然のことすら樋田の意識からは消えていた。


 秦を助ける。

 今の彼は本当にそれしか考えていないのだ。


 しかし、王は激昂するわけでも不機嫌になるわけでもない。

 むしろ見ようによっては、この状況を楽しんでいるような笑みを浮かべてすらいる。

 やがて、銀髪の紳士は根本的な話を告げる。


「全殺王は復活後すぐに草壁蟻間に憑依したんじゃない。はじめに取り憑いた相手は、彼の妹である草壁蜂湖ほうこなんだよ」


 瞬間、何かに気付いた晴がカッと目を見開く。

 しかし、それでも人類王は構わずに続ける。


「草壁蜂湖は全殺王の依代として兄ほど優れてはいなかった。だからこそ彼もまたすぐに身体を乗り換えることにしたんだろうが――――」


「人類王ッ……、キサマァアアアアアアッ!!!!」


 そう、晴が激昂したまさにその直後のことであった。





 とても人の声とは思えない呻きを発すると同時、晴がいきなりその場に倒れ伏したのだ。


「オイッ、どうした晴ッ!?」


 相棒の危機に否が応でも我に返る。

 倒れた晴に寄り添うも、彼女の様子は随分と酷いものであった。

 ただでさえ微かな呼吸はやたらと不安定で、大きな瞳は血管が血走って真っ赤になってしまっている。全身はまるで陸にあげた魚のようにピクピクと痙攣しているし、その肌に至っては最早白いを通り越して弱々しい紫色になっている――――と、そこまで見て、樋田はようやく思い出す。


 数週間前、晴が綾媛学園りょうえんがくえんの門を潜ったときにも全く同じ現象が起きた。

 確かあのときは樋田の『統天指標メルクマール』で、晴の身を蝕む何かを除去し事なきを得た筈だ。

 此度も同様にしてみると、やはり晴は元の健康な血色を取り戻す。しかし、元々衰弱していたのか、此度はそのまま眠るように気を失ってしまった。


「綾媛学園……、人類王勢力……人類王ッ」


 流石の樋田でも分かる。

 先日の学園での出来事も、今晴が昏倒したのも、どちらも間違いなくこの王の仕業だ。


「ブチッ、殺してやるッッ!!!!!!」


 瞬間的に頭の中が真っ白になる。

 気付けば、再び人類王の胸倉を掴んでいた。

 次の瞬間には拳を振り上げている。怒りと殺意の赴くがまま、欠片の躊躇もなく振り下ろす。


「…………」


 しかし、結局樋田は人類王を殴れなかった。

 正確には殴らなかった。

 晴は何も殺されたわけではない。なにより、秦を救うためには此奴の力がいる。一度頭に血が上れば何も考えられなくなる彼が、すんでのところでそのことを思い出す。


 全ては、秦の助けてという声が導いた結果か。


 王の胸倉から手を離し、立ったまま項垂れる。

 対する人類王は満足そうにフッと笑って言う。


「良い子だ」


「……なんで、だよッ」


「なんのことだい?」


「俺にこんな話を持ち掛けてくるってことは、テメェあのときどっかで見てたんだろ。秦が、殺されるところをよッ!!!!」


 王は答えない。

 そして、沈黙とは往々にして肯定を意味する。

 

「前に晴から聞いた。十三人しかいねえ王の中で、最強はテメェと泰然王たいぜんおうの二人だってな……テメェには力があった筈だ。それこそこの国の異能者が総出で秦を殺そうとしても、問題なくアイツを守れるだけの力があった筈だッ!! なのに何でテメェはアイツを見殺しにしたッ!? テメェでも救えたはずだろ、アイツのことをッ!!!!」


「僕は教師だ。救世主じゃない。確かに僕は人間を愛しているけれど、だからといって救ってなんかやるものか。前にも言っただろう。僕の役割はあくまで君達を教え導くことだとね」


「訳わかんねえ屁理屈抜かしてんじゃ――――」


「僕でも彼女を救えたというのは確かに事実だ。だが、別に態々僕が出張るまでもないだろう。今この段階においても、君はまだ彼女を救うことが出来るんだから」


 それまで激昂していたのが嘘のように黙り込む。

 コイツは今何と言った。まだ秦を救うことが出来る。その前には、諦めるのはまだ早いとも言っていた。


 樋田は縋るような視線を人類王に向ける。

 この男に対する怒りと憎しみが消えたわけではない。しかし、それを差し引いても、今の樋田はどうしようもなく王の語る可能性に縋っていた。


「話を思い出すんだ。草壁蜂湖だよ、草壁蜂湖。全殺王の依代として不充分な彼女ならば、時空を超えた銃撃には反応出来ないし、ダエーワとしての再生能力も有していない。草壁蜂湖の頭を撃ち抜けば、全殺王もまた死亡し、そのまま四千年の眠りにつく」


「……ハハッ、なる、ほどな」


 先程晴が激怒した理由を、樋田はそこでようやく理解する。単純なことだ。筆坂晴は樋田可成に草壁蜂湖を殺させたくはなかったのだ。

 樋田は晴と出会ってから、出来る限り正しくあろうと振る舞ってきた。いつだって弱きを助け強きを挫き、そのためならばどんな困難にも迷いなく身を投じた。

 草壁蜂湖は確かに秦周音を殺した。

 しかし、殺される覚悟を承知で戦場に立っている敵ならばともかく、ただの女の子である彼女を殺すことが正しいことであるはずがない。


 晴が怒るのも当然だ。

 樋田可成だって、そんな一人に全ての不幸を押し付けるような最悪の提案に賛同はしないだろう。


 だが、その樋田可成はこれまでの樋田可成だ。

 今の樋田可成は違う。


「この地獄のような現実を受け入れ生きていくか、それとも草壁蜂湖を殺して世界を救うか……君が選べ。そもそも選べるのは『燭陰の瞳』を有する君だけなのだから」


 そして、王は最後にこう付け加える。

 秦漢華はお前が救え、樋田可成――――と。


 樋田は俯いたまま、チラリと眠っている晴の方を見る。

 こんなときに言うのもなんだが、本当に綺麗な顔だ。綺麗で、真っ直ぐで、凛々しくて、正しくて、誇らしくて――――されど、樋田可成は最早筆坂晴のようには生きられない。



「ごめんな、晴。俺はな、もう正しく生きるのはやめたんだよ」


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