第百二十七話『届いた両腕』其の一


 冗談抜きで鼓膜が破れるかと思った。

 砲口から『陽桜ひよう』が撃ち放たれると同時、全身に圧力を感じるほどの激しい爆音、振動が狭い操縦室の中を埋め尽くす。


 暴れる北村きたむらをなんとか抑えながら、揺れが収まるのを待つこと十数秒。

 樋田ひだは一呼吸置いてから、縋るような目ではれを見る。しかし、樋田が問いかけるよりも先に、群青の少女は口を開くと、


「くっ、ふはははははははッ!! そう気を揉むな、むしろ笑えカセイッ!! 『陽桜』は寸分違わず目標に命中、『叡智の塔』は文字通り跡形もなく消し飛んだぞッ!!」


 瞬間、樋田は思わず放心してしまう。

 少し時を置いて、晴の言葉が脳に浸透する。


 長かった。ここまで本当に長かった。

 胸の底からこみ上げるものがあり、思わずガッズポーズでも取るように拳を握りしめる。


 それでもやるべきことを忘れて喜ぶのはほんの一瞬だけだ。

 樋田は唇を噛み、改めて気合を入れ直す。


「――――――テメッ……!?」


 そして、まさにその瞬間であった。

 それまでの激しい抵抗とは一転、急に大人しくなった北村が、視界の片隅で何かを放ったのだ。



「目ェ閉じろォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

「「ッ――――!!!!」」


 樋田に出来たのは、叫んで他の二人に危機を知らせることだけ。

 直後、視界の全てを白で塗り潰すほどの閃光が迸った。


 スタングレネード。

 即座にその正体を見破るも、使われた後に気付いても意味はない。

 あまりの眩しさに思わず目を閉じた瞬間、北村に下から強く突き飛ばされる。視界が回復したとき、最早そこにあの軍人の姿はなかった。


「畜生ッ、あの野郎ッ……!!」


「落ち着けカセイ。ここが敵地のド真ん中ということを忘れるな」


「分かってるッ、とっととズラかるぞッ!!」


 晴の言う通り、ここは敵地である。

 そろそろ先程の砲撃に気付いた連中が、ゾロゾロと集まってくる頃合いだろう。『叡智の塔』の攻略は、あくまでハッピーエンドまでの通過点に過ぎない。こんなところで歩みを止めるわけにはいかないのだ。


「オラッ、起きろ松下まつしたッ!!」


「あうあうあうあうあうあううううううううううッうううう」


 足元に転がっている松下を叩き起こし、肩を掴んでとにかく揺らしまくる。

 恐らくは先程の閃光弾をもろに食らったのだろう。完全にバタンキュー状態な様子の松下だが、彼女の異能なしに此処から脱出することは出来ない。


「あっ、先輩。一体今何がッ……?」

 

「うるせぇな、説明は後だッ。どこでもいいから遠くへテレポートしろ。一回じゃ無理でも、何回か飛べば充分クソの縄張りから逃げられるはずだ」


「いや、どこでもは良くない」


 そこでおもむろに晴が口を挟んできた。

 樋田は顎を突き出し、少女に話の続きを促す。


「敵がどんな手段を取ってくるか分からん以上、最善をとるに越したことはない。ワタシが空からこの地を見た限り、一番人影が少ないのは南東の方角であった。であれば其方から逃げた方がいいだろう」


「あぁ、ならそれで行こう」


 松下、そう呼びかけてテレポートを催促する。

 閃光弾の影響が少し心配であったが、松下は大丈夫と言わんばかりに樋田を強い瞳で見つめ返す。


「それじゃあ、御二人方とも適当に私の手握って下さい」


 言われるがまま樋田は松下の右手を、晴は左手をにぎる。

 そして「行きますよ」という掛け声と同時に、周囲の風景がガラリと一変した。

 無骨な機械の一室から、一面視界の開けた営庭へ。

 幸い、周囲に敵の姿は見当たらない。

 あとはこのまま無難な方角へテレポートを繰り返せば――――、



「……冗談だろ」



 瞬間的に喉の奥が干上がる。

 一瞬誰もいないと思ったが、後ろを振り向けば十メートルほど後方に一つ人影が見える。裂かれた脇腹を苦しそうに押さえながらも、


「うっわ、マジですかッ……!?」

「逆に思考読まれてんじゃねえかバァアカッ!!!!」

「うっ……すっ、すまんッ!!」


 最悪だと樋田は舌を打つ。

 つまり北村はこちらが人の少ない南東方面へ逃げることを予想して、事前にあそこで待ち構えていたというわけだ。

 決して逃しはしない。必ず殺す。

 そんな恐ろしい執念を、樋田は奴のしぶとさから感じずにはいられない。


「先輩ダメです。飛べませんッ!」


 当然のように北村は『阻害』の術式を使ってきた。

 向こうが術式を使えたということは、樋田が北村から奪った『阻害』の術式も既に効果は切れたのだろう。


 こうなれば最早走って逃げるしかない。

 だが当然、こちらが逃げれば奴は追ってくる。北村を振り切らない限り、術式は使えないし天使化も出来ない。実際北村は脇腹に傷を抱えながらも、それなりの速度で迫り来る。そんなことをしているうちに、向こうに増援が駆けつけてしまえばゲームオーバーだ。

 

「二人ともこっちだッ!!」


 そういう晴が指差すのは、ここから程近く、それでいて結構な高さのある建物であった。

 何故と態々理由は聞かない。晴ならば何か策があるに違いないと信じ、黙って彼女の後に続く。


「ちょっと待って下さいよッ!! なんでそんな態々袋小路に飛び込むようなことッ」

「お前ちょっと黙ってろ」

「ちょっ、いきなり何するんですかッ!?」


 ギャーギャーと喧しい松下を小脇に抱え、晴の指差した建造物を目指す。

 建物の中へと入る直前、チラリと後ろを振り向けば、ちょうど後藤機関ごとうきかんの増援がここらに集まりだしたところであった。

 ダダダダダダダァッ!! と銃声が連続し、樋田達が直前に通り抜けた地点を鉛玉が抉る。もしあそこで晴の指示にすぐ従わず、問答を繰り広げていたらと思うとゾッとする。


 入った先の廊下を突っ走り、階段を見つけ次第上へと駆け上がる。

 こちらも全力で走ってはいるが、足音を聞くに北村との距離は少しも縮まっていない。代わりに先程見た増援達の足音はどんどん近付いて来ている。

 それでも疲弊しきった身体に鞭を打ち、階段を登って、登って、とにかく登り続ける。


 晴のハンドサインに従い、階段から再び通路の方へと出る。


 その先には壁一面に広がる巨大な窓ガラスが見えた。晴は走りながら黒星ヘイシンを構える。放たれた数発の銃弾はガラスを穿ち、その全体に蜘蛛の巣のようなヒビを刻み込む。


「蹴り破って、そのまま飛び降りろッ!!」

「ハッ、なるほどなッ……!!」


 そこで樋田はようやく晴の狙いに気付いた。

 確かにこのまま走っていても北村を引き剥がすことは出来ない。ならば、


「行くぞオラァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 樋田は助走を付けて跳躍、手加減なしのドロップキックを窓ガラスに叩き込む。窓ガラスは粉々に砕け散り、二人は跳躍の勢いのまま外へと飛び出す。当然即座に重力に絡め取られ、地面へ向けて真っ直ぐ落ちていく。

 手負いが痛みに耐えながらチンタラ走るよりも、自由落下に身を任せた方が明らかに速い。北村も窓から飛び降りれば結局差は付かないが、別に一瞬だけ引き離せればそれで良いのだ。一瞬だけ北村の術式の射程外へ出さえすれば、その一瞬に限って異能の行使が可能となる。


「カセイッ!!」


 樋田、松下の二人より少し遅れて、頭を下に飛び降りた晴が手を伸ばす。樋田もまた上方に手を伸ばし、辛うじてその小さな掌を掴み取り、体ごと引き寄せる。


「先輩、『天骸アストラ』がッ……!?」


 三人団子になっての自由落下の最中、ふとそれぞれの『天骸』が復活する。最早地面激突まで幾許もないが、ギリギリのところで『阻害』の術式の範囲から抜け出すことが出来たのだ。


「飛べぇええええ松下ァアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」


 樋田が叫ぶと同時、急にガラリと周囲の景色が変わる。

 三人が現出したのは後藤機関と碧軍へきぐんがドンパチを繰り広げる真っ只中。されど、松下はそこで再びテレポートを発動する。そのまま数度の瞬間移動を繰り返し、三人はようやく駐屯地から脱出を成し遂げる。


「ふぅ、ワタシの機転のおかげでどうにかなったな」

「お前の奇転のせいで死にかけたようなもんだがな」


 何はともあれ目的は達成した。

 負った傷は決して浅くないものの、これで『叡智の塔』からはたのに『天骸』が流れ込むことはなくなった。きっとこれで彼女は大幅に弱体化しただろう。

 だが、ウカウカはしていられない。樋田が助けるよりも先に、弱体化した秦が他の組織に殺されてしまっては元も子もないのだ。


「なあ松下、お前まだガス欠とかじゃねえだろうな」


「ええ、ですが割と残量キツいですね……。『虚空こくう』を使うのはあと三回が限界ってとこです」


 爆撃の弾幕を潜り抜け、秦に接近するには、松下の『虚空』が不可欠だ。

 されど、これまでの戦いの中で彼女は大分消耗している。三回では秦の下まで辿り着けるか五分五分といったところであろうか。されど、


「あぁ、それだけありゃあ充分だ。あとは俺がテメェでどうにかする。晴は悪いが後ろから普通に飛んで来てくれ。松下が途中でガス欠したら回収して欲しい」

「あぁ、了解した。余計なことは気にせず、オマエは秦を助けることだけに専念すればいい」


 そう言って、樋田は再び天使化する。他の二人も同様にである。

 ふと、肩に圧力を覚える。首だけで振り返れば、晴がそこにポンッと手を乗せていた。


「折角ここまで来たんだ。必ず、救い出してこい」

「あぁ、任せろ」


 晴からの期待の眼差し、松下もまた絶対成功すると言わんばかりに微笑む。二人の思いを受けとりつつ、北の空へと目を凝らす。


 秦漢華がそこにいる。

 誰かが側にいなくてはならないのに、彼女は一人でいる。

 好かれるべき人間が嫌われている。

 そしてなにより、笑っているべき少女が泣いている。


 そんなことは許さない。

 絶対に許容出来ない。


 世界が全力で彼女を不幸にしようとするならば、

 樋田可成は全力で秦漢華に幸福をもたらす。


 そう決めたのだ。男の言葉に二言はない。


「行くぞ、いい加減くだらねえ悲劇は幕引きの時間だ」

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