第百二十七話『届いた両腕』其の二


 松下と手を繋ぎながら、空を飛ぶ。

 視界の遠くで豆粒みたいだった秦も、ここまで来ればその姿がよく窺える。


「頼むぜ」

「任せてくださいッ!!」


 近付く者全てを葬ろうとする爆撃の嵐は今も健在だ。

 足元を絶え間ない絨毯爆撃で耕しつつ、三次元にも隈なく爆撃の弾幕を張り巡らせている。多少のムラはあるものの、あんな地獄の中に突撃するなど正気の沙汰ではない。


 進むごとに段々と周囲の空気が熱を帯びていく。

 それでも樋田と松下は臆せず進んでいく。

 

 秦の爆撃の射程は実質無限だが、距離が離れれば離れるほど精度に欠く。

 だからこそ、彼女は一定の距離にまでしか弾幕を張っていない。つまりはそこから内側が実質的な爆撃の射程範囲だ。


 もうすぐでその中に入る。

 思わず生唾を飲み込むと同時、不意に進行方向に赤色の巨大な魔法陣が浮かぶ。

 防ぐことなど出来るはずもない。避けるにしても、この速度で急に進路を変えることなど不可能。最早手遅れと言わざるを得ない。


「松下ッ」

「分かってますッ!!」


 松下の『虚空』が発動する。

 爆撃を避けるどころか、一飛びで一気に五十メートルを跳躍する。

 されど、秦に近付けば近付くほど爆撃の精度は増していく。

 加えて松下が『虚空』を使うのも、精々あと二回が限界であろう。


 乱雑に迫り来る爆撃の嵐、二人はその空隙を縫って進んでいく。

 一見簡単そうにも見えるが、これが中々難しい。

 

 爆撃を躱せたとしても、生じた爆風がこちらの飛行を妨げる。

 熱された空気が肌と翼をゆっくりと炙っていく。

 そしてなにより、爆発と同時に撒き散らされる火と光が視界を塞いでしまう。


 だからこそ頼れるのは松下の聴覚だけであった。

 これだけ周囲に音が溢れているにも関わらず、彼女はその異常聴覚を以って最短最善のルートを即座に導き出し続ける。


 しかし、それでもいつかはどうにもならない瞬間がやってくる。

 どこへどう飛んでも決して爆撃から逃れられない。そんな袋小路の曲面が遂に訪れる。


「……残念ですが、私はここまでですッ!!」

「充分だ。あとは俺がどうにかする」


 松下の悔しそうな言葉と同時、再び『虚空』の術式が緊急回避に使われる。

 瞬きの後、最早隣に松下の姿はない。こちらを秦側へ飛ばすと同時に、彼女はその逆側へと飛んだのだろう。

 松下はリスクマネジメントが出来る奴だ。ちゃんと自分が逃げ切れるギリギリを見極めていたに違いない。最悪叩き落とされたとしても、後続の晴が落ちる彼女を回収してくれる。


 だからこそ樋田は目の前に集中する。

 松下のおかげで、秦までの道中は大分ショートカット出来たはずだ。

 先程から弾幕の密度が明らかに厚くなっているのが何よりの証拠。

 ここまで来れば下手に避けようとはせず、逆に全力で駆け抜けた方が良い。


 弓を引くように大きく翼を開き、渾身の力で空を煽ぐ。

 途端に生じるは翼が根元から引きちぎれると思うほどの激痛。更には至近距離での爆発が、樋田の皮膚をじんわりと焦がしていく。

 それでも樋田はそれら全てを無視し、血反吐を吐く思いで全速を維持する。


 このまま秦のもとまで辿り着けるか。

 しかし、現実はそこまで甘くはなく。再び樋田の進路を塞ぐ形で大爆発が巻き起こり――――、


「失せろ」


 即座に『燭陰ヂュインの瞳』を発動する。

 五秒時間を巻き戻し、爆炎をその材料である『天骸』まで遡行させる。


 ――――畜生ッ……!!


 されど、早々に切り札を使ってしまった。

 爆撃の精度を鑑みれば、クールタイムが明ける前に次が来るのは必定。

 それまでに秦のもとへ辿り着けなければ、天使体を爆破され、地に叩き落とされる結末は避けられないだろう。



「ッッ……!?」



 爆撃を消し飛ばしたことで、一瞬目の前の視界が開ける。

 その先に樋田は秦漢華の姿を見た。

 天使を越えた高次元へと上り詰めた彼女の姿は、この低次元な世界においてはボヤけてしまう。されど彼女の真っ赤なガーネットが、一瞬こちらを見てくれたような気さえする。


 思わず目頭が熱くなる。

 あの日の夕方、何故秦を一人で行かせてしまったのか。

 まだあれから半日も経っていないのに、彼女と別れたあの瞬間が酷く昔のことであったように感じる。


 あれから色々とあった。

 何度も死ぬような思いもした。

 だが、全てはここへと辿り着くためだ。

 ようやく、想いを果たすことが出来る。


 ――――ここでビビったら何もかも終わりだろうがッ……!!


 再び進路を塞ぐ形で展開された爆撃の術式を、樋田は最早回避しない。避けるどころか更に速度を上げ、術式を真正面から突貫する。


 それでも術式の中を完全に駆け抜けることは出来なかった。

 爆撃術式が起動し、樋田の下半身を丸ごと消し飛ばす。当然天使体は即座に崩壊し、樋田の体は元の生身へと戻っていく。


「ハハッ」


 しかし、例え翼を失おうとも、宿。樋田の体は変わらず秦の方へと飛び続け、むしろ後方の爆発がそれを後押しする。



「……届けッ、届けええええええええええええええええええええええッ!!」


 

 秦漢華はもう目と鼻の先だ。

 樋田は風圧に抗い、なんとか両手を前へ突き出す。


 直後、樋田の腕は見事に秦を捉えた。

 半ば抱き付くように、彼女の背中に腕を回す。

 ここで落ちては敵わないと言わんばかりに、強く少女の身体を抱擁する。


 ――――まだだ、まだ終わっちゃいねえッ……!!


 秦を確保し、樋田はすぐに思考を次の段階へと切り替える。

 樋田には何も分からない。秦が今どういう状態なのか、そもそも何故彼女がこのようなことになってしまったのかも。

 だからこそ、現時点においても彼は秦を元に戻すための確実的な手段を有しているわけではない。されど、今の自分が取れる最善には目星が付いている。


「俺の予想が正しけりゃッ……!!」


 樋田は秦に自らの『天骸』を流し込む。

 力の名は『統天指標メルクマール』。樋田の『天骸』はありとあらゆる術式の支配権を上書きする。


 秦を異常たらしめる原因は分からずとも、異能絡みである以上そこに何かしらの術式が関わっていることだけは確かだ。ならば、彼女に今かかっている術式の全てを奪い取ってしまえばいい。


「なんだ、これはッ……」


 結果として樋田の判断は正しかった。

 秦に『天骸』を流し込んでから数秒もしないうちに、彼女の額から何か白いカードのようなものが顔を出す。秦の肉体を物理的に突き破るのではなく、少女の体を擦り抜ける形で排出されていく。


 瞬間、樋田の直感が告げる。

 悲劇の元凶は間違いなくこれなのだと。



「戻ってこい、漢華ァッ……!!!!!」



 カードの端を掴んで引っ張ると、それは呆気なく秦の体内から引き抜かれた。


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