第百二十三話『陽桜』其の四

「晴」


『ようやく腰を落ち着けたか。全く、あんな風に空をブンブン飛び回られては、こちらから連絡の一つも入れられないだろうが……』


 晴は画面越しに樋田の顔をチラリと見やる。

 ハアと溜息をつくその様は、呆れ半分心配半分といったところだろうか。


『よく全殺王を倒してみせた。とか褒める雰囲気ではないな』


「晴、お前にはアレがなんだか分かるか……?」


 樋田や松下にはさっぱりなことでも、百年以上の時を生き、かつて天界に身を置いていた晴ならばもしかしたら。

 しかし、そんな甘い希望はすぐに否定される。


『お前はワタシを無学の境地に達した仏か何かと勘違いしているのか? ワタシかて知らんことは知らん。近付いて『顕理鏡』を使えば何か分かるかもしれないが、少なくとも今のところはさっぱりだ』


 しかし、晴はそこで「ただ」と言葉を切る。


『一つアドバイスをするならば、アレは明らかに法則を無視している』


「法則……?」


『法則というよりも、術式を使えば必ずそれに見合う分の『天骸』が消費されるという常識の話だな。仮に秦が天使から更に上の存在へとシフトしていたとして、その法則から逸脱することは決して出来ない』


 晴の言う通りそれは当前の話だ。

 当たり前すぎて、言われなければ意識することすらない。

 だからこその盲点であった。

 樋田もその瞬間、晴の抱いている違和感の状態に気付いた。


『にも関わらずだ。アイツはアレだけの大規模術式を連発していながら、一向に息切れする様子を見せん。これはあくまで仮説だが、奴の莫大な力はどこからかリアムタイムで供給されているものだと考えるのが自然だろう』


「……どこから?」


『知るか。それが分かれぱ苦労せん』


 晴は吐き捨てるように言う。

 そしてその瞬間、携帯にメールの着信があった。


 こんなときになんだよと思いつつ開いてみると、発信元は晴からであった。今リアルタイムで会話をしているのに何故メールなど送ってくるのか。


 件名には「『天骸』の供給源について」と記されていた。


「バッ……!!」


 思わず声を上げそうになるもなんとか堪える。

 晴がメールにしたためた本文曰く、「『顕理鏡』を用いての通信は傍受される危険がある。故に、ここはあえて俗世の手段で情報を伝える」とのことであった。

 その後には「メールの中身を読みながら、適当に会話を続けるふりをしろ」という指示が書かれている。


「分からねえって、結局何も手掛かりねえのと一緒じゃねえか」

『だが、現状出来そうなことはそれくらいしかないだろう。ワタシもこちらから『顕理鏡』を使ってサポートする』


 それらしい会話を続けながら、隙を見て本文に目を走らせる。

 そして、そこに記されていた真実に樋田は目を丸くする。

 

 秦に注がれる『天骸』の出処は『叡知の塔』で間違いない。


 続く文章曰く、例えるならばハッカーが海外のサーバーをいくつも経由して国内にハッキングを仕掛けているようなもの。『叡智の塔』から無数の中継地を介し、それでいて最後には秦へと達する『天骸』の流れが微かに確認出来るのだと言う。


「どういうことだよ……」


 樋田は戦慄する。

 まさか秦が暴走するように何かをけしかけた黒幕の正体は人類王勢力だというのか。

 携帯を握る手が震える。

 それでも樋田は意を決し残りの文面に目を通す。


 ――――人類王勢力が裏で手を引いている可能性がある以上、ワタシの方から出来るサポートは限られる。こちらが連中を疑っていることがバレれば始末されるかもしれないからな。


 ――――故に、オマエに託す。秦漢華を救いたいのならば今度こそ『叡智の塔』を攻略してみろ。我ながら無茶を言ってる自覚はあるが、今の秦と正面切って戦うよりかは余程マシなはずだ。


 健闘を祈ると、そこで文章は終わっていた。

 樋田は傍の松下へ携帯を放り、手の仕草だけで読むように促す。


 ――――『叡智の塔』か……。


 晴の言う通り、確かに今の秦と戦うよりかは余程マシな選択肢だろう。

 しかし、結局ほぼ可能性がない難問であることに違いはない。

 今ある戦力だけで果たして『叡知の塔』を攻略出来るのか。

 塔が人類王勢力の重要施設である以上、其の中に侵入して連中が黙っているはずもない。


 天使へと昇華した今の樋田でも陶南萩乃には勝てないだろう。

 場合によっては、まだ見ぬ綾媛百羽の第一位と第三位を同時に相手取ることになるかもしれない。そして、極め付けは人類王だ。


 実際樋田と晴は二週間前、あの塔に攻め込んだが結局中枢を攻略することはできなかった。しかも今はダエーワという危機に対応するため、学園にも人類王勢力の戦力が多く集まっているに違いない。


 これを一体如何にして攻略するべきか。

 人、組織、そして今のこの状況。ありとあらゆる観点から最善の可能性を見つけ出す。


 樋田可成、筆坂晴、松下希子、秦漢華、陶南萩乃。

 碧軍、悲蒼天、後藤機関、人類王勢力。

 本来は常日頃から殺し合いを繰り広げる関係性。

 ダエーワに対抗するため、自然に発生した暗黙的な同盟関係。

 人類の敵の滅亡、そして新たな敵の出現――――、



「ははッ」



 樋田は思わず嗤う。

 よくもまあクソみたいなことを思い付くと自分が自分で嫌になる。

 松下を誘き出すため隼志を殺す演技をしたときも感じたが、やはり自分は根っからのクソヤロウなのだろう。


 だが、それでも構いはしない。

 元々樋田可成とはそういう人間だ。

 正義だとか悪だとか、これは正しくてこれは過ちだとか、そんな誰かが決めた基準を気にするような性格ではない。


 樋田可成は究極のエゴイストだ。

 彼にとっての善とは自分が善だと思うこと。

 彼にとっての悪とは自分が悪だと思うこと。


 彼の善悪が一般的な善悪と一致しているとき、樋田可成の姿はまるで正義の味方のように映るだろう。

 しかし、逆にその善悪が世間上の善悪と反目した際には、樋田可成は自らが信じる善のためにありとあらゆる悪を許容する。


「そっちがその気だってんなら、こっちも手段は選ばねえぞ……」


 既に樋田は自らの手で草壁蟻間を殺害した。

 この手は最早、汚すのを躊躇うほど綺麗なわけではない。


 元々誰からも認められる正義の味方に対する憧れがあっただけに、幾らかの葛藤はあった。

 しかし、そんな女々しい考えは即座にねじ伏せてやった。


「松下」


 樋田は傍らの少女に向き直る。

 こちらの顔を一目見て、松下は驚愕に目を見開く。

 手に持っていた樋田の携帯を取り落とし、思わず二三歩後退る。

 ゴクリと生唾を飲み、やがて彼女は絞り出すように呻いた。


「先輩、どうしちゃったんですか……?」


「悪いな。お利口ちゃんはもう死んじまった。さようなら。そして、はじめましてだ」


 それだけ告げて、樋田は屋上の縁に立つ。

 その視界の先に救うべき少女の姿を捉える。

 少年の瞳はいつのまにか、まるで泥水のように濁っていた。


「今のこの状況なら、上手くいくかもしれねえ。クソ野郎はクソ野郎らしく、人間の悪意に賭けさせてもらう」

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