第百二十話『不和を断つアダマント』其の二


「ッ……!!!!!!!!!」


 陶南は反射的に四翼を広げた。

 そのまま音速を超える速度で、ドッッッ!! と後方に飛ぶ。


 直後、ぐらりと大海獣の体が大きく傾いた。

 校舎に食堂、『止まり木』と呼ばれる綾媛りょうえんの娯楽施設群。周囲のありとあらゆる構造物を押し潰しながら、全長二百五十メートルの大質量がゆっくりと地に倒れ伏す。


 まるで隕石でも落ちたのかと思った。

 マザンが地と接した瞬間、学園の基礎である人工島すら僅かに傾いた。

 一瞬のタイムラグの後、世界の全ては轟音と衝撃に埋め尽くされる。

 最早陶南は今自分の目の前で何が起きているのかも分からなかった。ただ一つ分かるのは、今この場に存在するありとあらゆるものが形を失っているということだけであった。


 まるで津波の如く押し寄せる衝撃の余波、砂、煙、礫。

 陶南は反射的に右手を前に突き出す。ただそれだけでありとあらゆる衝撃は無効化される。飛来物も陶南の肌に触れるやいなや、瞬間的に運動エネルギーを失い、彼女の足元にボロボロと力無く落ちていく。


 それからいったいどれだけの時間が過ぎただろうか。

 視界全体を覆い隠していた砂塵のベールが晴れるや否や、陶南萩乃はその向こうに目を凝らす。


 やはり、大海獣マザンは完全に地に腹をつけていた。

 最早二足での進撃はおろか、四肢で立つことすら叶わない。

 どうやら既に体を蛞蝓のようにうねらせ、ゆっくりと地を這うのが限界の様子であった。


「流石に、少し肝を冷やしました」


 無表情ながら、陶南萩乃はホッと微かに息をつく。

 一度右手の日本刀をかちゃりと鞘の中へ収める。

 これで大海獣マザンの進撃は事実上停止した。まだ完全に倒しきったわけではないが、あとは最早ろくに迎撃も出来ない大きな的へ、一方的な遠距離攻撃を叩き込み続ければいい。時間はかかるだろうが、それでいつかは削り切れるはずだ。



「……ギィ、グュ、ギャガギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



 そんな希望的観測は刹那で消え去った。

 力尽きて、地に倒れ伏して。

 それでも大海獣マザンは再び大口を開いた。

 その口腔の中に、業火が灯る。


「ッ――――!!!!!」


 陶南は反射的に右手を前に突き出した。

 ここで火を吐かれるのはまずい。これまで見てきた破壊力もさることながら、なにより立ち位置が悪い。

 その首が向く先は綾媛の生徒や教師等が身を隠す地下シェルター。ここで陶南が熱エネルギーの全てを没収出来なければ――――仮に僅かでも業火を背後に逃してしまったら――――その時点で数百人の蒸発が決定する。


 決してミスは許されない状況。しかし、陶南の能力をもってすれば、十中八九マザンの攻撃は消し切れるはず――――にも関わらず、よりにもよってこんなときに。

 その瞬間、陶南の右足、つまりは彼女の天使体の中でも最も薄くなっていた部分が、不意にボロリと崩れ落ちた。


 バランスを崩し、仰向けに倒れる。

 慌てて手を付いて立とうとするも、今度は両腕が肘の辺りで折れてしまった。

 しかし、絶望する暇すら今の陶南にはない。顔を上げると、ひどく眩しかった。マザンの口腔に集積された莫大なエネルギーが、ついに臨界点を迎えたのだ。



「一体、なにが」


 

 しかし、光線が放たれることはなかった。

 それはあまりにも唐突で、思わず夢かと思うほどに都合が良い。

 マザンが今まさに吐き出そうとした熱エネルギーが、突如暴発したのだ。 

 そしてボンッと、まるで出来の悪いB級映画のように、怪物の首から上が圧に耐えきれずに吹き飛んだのである。


「グルアァアアァアアァアアァアアァアアァアアァアアァアアッッ!!!!」


 すぐさま失った頭部を補うための再生が始まるが、それもすぐに勢いを失った。

 再生が止まるや否や、今度は逆にマザンの肉体は傷口からどんどん腐っていく。頭から首、そして首から胴へ。それまでの大型爬虫類を模した姿はどこへやら、気付けば元の肉と内臓をこねて丸めたような醜い姿に戻っている。しかし、やがてそれすら保てず、みるみるうちに形を失い、瞬く間に崩れていく。

 苦痛に喘ぐ咆哮が聞こえなくなったとき、大海獣は既にただのグロテスクな泥の塊と化していた。

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