第百六話『綾媛学園攻防戦』其の二
「…………残念です」
ギュンッ!! と、まるで坂を猛スピードで下る車が急ブレーキをかけたような音があった。
起点は少女の肌であった。
彼女の身体を瞬間的に絶対零度の冷気が包み込み、一挙に拡散する。それはまるで押し寄せる濁流の如くであった。大気も水蒸気も彼女の周囲にあるありとあらゆるものは瞬時に凍りつく。そしてそれは、直近まで陶南に集っていたダエーワも例外ではなかった。
空を飛ぶための翼が凍りつく。
それどころか全身に霜が下りていく。
陶南の直近にいた悪魔はすぐさま氷像と化し、そのまま地上へ向けて真っ逆さまに落ちていく。
これに驚いたのが、陶南から離れていたために冷気を避けることが出来たダエーワ達であった。今の一瞬で陶南萩乃の脅威を認識したのだろう。先程までの威勢の良さは何処へやら、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げようとする。
「……旧時代から新時代への過渡期、未だ今世に水瓶座の理念が浸透しているわけではなし。故にこれは仕方のないこと。えぇ、仕方のないことなのでしょう」
陶南は呟き、右手で腰の大刀を抜き放った。
続いて彼女は空いた左手で残りのもう一本、脇差よりも短い儀式刀に手を掛け、その濃口を僅かに切る。ガチャリと、聞こえたのはまるで錆び付いた鍵穴を無理矢理に抉じ開けるような音であった。
変化はその直後、開放音とほぼ同時。
バリバリバリバリバリバリという嵐のような轟音と共に、既に闇に包まれた空が一瞬だけ明るくなる。陶南の頭上遥か上空、そこに超巨大な光の塊が突如として姿を現わしたのだ。
それはまるで天に浮かぶ力の大元から、陶南萩乃という端末にエネルギーが注ぎ込まれたかのようであった。
追撃を開始する。陶南萩乃の体が急加速する。その足裏から膨大な『
正に神速。光輝く刀身が揺らめくや否や、五匹のダエーワが一瞬で細切れにされた。化け物達にはきっと反撃どころか、そもそも陶南の挙動を目で追うことすら不可能であろう。
首を刎ね、逆袈裟に斬り飛ばし、縦横無尽に刃を巡らす。確かに化け物を屠るのは容易い。しかし、それでも一匹ずつチマチマと狩っていくのは非効率。やはり大群を無力化させるには、線ではなく面による攻撃が不可欠であろう――――、
「剣を鞘におさめよ。剣による者は、みな剣によって滅びる。剣は人に過ぎたるものなり」
故に、陶南は長刀を天にかざした。
途端に、その刀身がこれまでとは比にならないほどの輝きを放ち始める。
「よって、汝らの敵に神の怒りが降り注ぐのを待たれよ」
恐らくただの人の身では、それに近付くだけで全身が蒸発するほどの圧倒的高温。あまりにも高密度な『天骸』の集積によって、空気が、いや大地が震えていた。
白銀の刀身が横に構えられる。まるで赤子でも扱うように、ゆっくり、繊細、かつ精錬された動作で刀を構え――――、
「
そして、その超火力を一気に撃ち放った。
それは戦略級の面攻撃であった。具代的には軌跡の全てを蒸発させる白銀の洪水であった。
避けることなど出来るはずもない、防ぐことなど以ての外。ただその光線を認識したその直後、悪魔達は為すすべなく蒸発するしかない。
確かに、天は薙がれた。
雲は掻き消され、一時は夜の闇すら白に塗り替えられた。されど、
「……予想はしていましたが、やはり散兵の掃討は面倒ですね。もしや私の『神の薬』が持久戦に向かないことを知っているのでしょうか?」
陶南の嫌な予感は的中した。
確かに彼女は視界に捉える限りのダエーワをまとめて殲滅した。しかし、それで終わるはずがない。相手は人類王の居城たるこの綾媛学園を攻め落とそうとしているのだ。まさかこの程度の寡兵で攻勢が止むとは思えない。
ドドドドドドドドドドドドッ、バララララララララララッと、再び本土の方から無数の羽音が聞こえてくる。
先程まで巨大な雲かなにかだと思っていたそれは、まぎれもない千を超えるダエーワの大群であったのだ。
「なるほど。この日、この時、この場所こそが私の天王山というわけですか。いいでしょう。貴方方が暴力という野蛮をもって我等の地と友を冒そうとするならば――――、」
再度、長刀の刀身に眩いばかりの光が収束する。その生真面目そうな瞳を凛と細めながら、陶南萩乃は小さな声でそっと囁いた。
「次の時代には不要なものとして切り捨てさせてもらいます」
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