第百二話『秦周音と草壁蜂湖』其の二
「さて、オマエはオマエでやるべきことを果たせ」
「あぁ、そっちもうまくやってくれよ」
モノレールが学園の敷地内に到着し次第、樋田はすぐに晴と行動を別にした。
群青の天使は街中に仕掛けた『顕理鏡』を洗うために『叡智の塔』を、樋田は里浦響子から秦の過去を聞き出すために中等部の職員室をそれぞれ目指す。
本日は日曜だが、晴曰く里浦響子は
――――つっても、こんな状況で通報なんてされたらたまったモンじゃねえからな。
しかし、流石に樋田のような如何にもな悪漢が女子校に入るのはまずかろうと、彼はまず来客用の入り口へと立ち寄った。
受付のお姉さんにでっち上げた来校の目的を伝え、危険人物でないことを信じてもらうためにもと一応保険証も見せる。
幸い以前晴の保護者代理としてやって来たときの記録が残っていたので、すぐに職員から「来校者」と書かれた首掛けを受け取ることが出来た。
これで一応こんな見た目でも不審者扱いされずに校内を動き回ることが出来るだろう。
受付コーナーを通り過ぎ、今度は長い廊下を目的地目指してズンズン進む。
本日は休日であるにも関わらず、学校の中にはそれなりに女生徒の姿が見える。しかし、皆樋田の凶相を見るなり慌てて道を譲るので、先を急ぐのに苦労はしなかった
「――――ッ!!」
「――――――ッ!!」
異変。
職員室に近付くにつれて、段々と焦る教師の怒鳴り声のようなものが聞こえ始めてくる。
それもそのはずである。彼等にとってはつい先程自校の生徒が爆発事件に巻き込まれ、今もなお行方不明という悪夢のような状況なのだ。
保護者や学校関係者への説明、更には餓狼の如きマスメディアにも記者会見という餌を与えてやらねばならない。
例えそれらを抜きにしても、いきなり教え子が亡くなったかもしれないと伝えられたのだ。冷静でいられるはずがない。仮に表面的には冷静を装えたところで、言動や態度にはどうしてもマイナスの感情が浮き出てしまう。
そして、職員室がようやく遠くに見え始めた頃、その予想は確信へと変わった。
一瞬の断絶もなく、ひっきりなしに鳴り続ける電話の音。話し声の海に紛れて、何度も張り上げられる怒号。職員室から絶えず教職員等が出たり入ったりと、人の流れ的にも随分と荒れている様子であった。
――――畜生ッ、これじゃ里浦を引っ張り出すのも一苦労かッ……?
されど、僥倖。
幸運にもそこで丁度、職員室の中から目的の人物が飛び出して来たのだ。
安っぽいジャージに、如何にも活発そうな短い髪型。胸の前に大量の書類を抱えるその女性は、間違いなく里浦響子であった。
「里浦先生ッ!!」
声を上げつつ、その背中を追いかける。
幸い、向こうは自らを呼ぶ声にすぐ反応してくれた。こちらをガバリと振り返り、そして振り返るなり驚いて目を丸くする。
「ええと、樋田可成くんでしたよね……? どうしてここに……?」
以前会ったときは快活な、ともすれば空回りしそうなほどに明るい印象を受けた里浦女史であるが、その面影は最早カケラもないと言っていい。
普段上向きな眉毛は八の字型で、瞳も絶えず不安気に揺れている。元々生徒の自殺未遂に心を痛めて泣き出してしまうような人だったのだ。秦邸の事件があった直後で、これまで通りに振る舞える性格だとも思えなかった。
「……教えてもらいに来ました」
「教えるって、何を……?」
「秦――秦漢華があんな風になっちまった理由についてです」
余計な前置きも、小賢しい遠回りも必要ない。
ただ今最も知りたいことを単刀直入に問いかける。
秦漢華。状況が状況なだけに、その名を聞いた途端、先生は辛そうに眉間をしかめた。
「ごめんねッ、先生たち今忙しいから、また今度で……」
「オイ、ちょっと待てやゴラァッ!!」
「あひぃッ!?」
「……いや、すんません。とかく自分の話を聞いてください」
先生にこのまま逃げられないためにも、樋田はその場ですぐに、無理矢理だと分かっていても話し始める。
始めは、自分が秦邸での事件をニュースで知ってここまでやって来たこと。
そして、秦漢華が何か重たい過去を背負っていることに気付いたということ。
これまでの秦との関わりから異能や天使と言ったものへの言及は省き、それでもなんとか筋道が通るように自分と彼女の関係を説明する。
「……はぁ、なんでよりにもよって私のところに」
しかし、その甲斐はあったようだ。
里浦先生はいくらかバツの悪そうな顔をしながらも、いつのまにかちゃんと話を聞く態度になってくれていた。
これなら聞き出せると確信する。しかし、それでも樋田はまだ一つ大切なことを話していなかった。出来れば見落として欲しかったのだが、目の前の女性も流石にそこまでは鈍い御仁ではなかった。
「言いたいことは分かりました。ですが、そもそも一体君と秦さんはどういう……?」
「幼馴染です」
仕方なく、しかし即答する。
「幼馴染、ですか……?」
「はい、といってもガキの頃だけの付き合いで、そのあとはずっと離れ離れだったんです。それで最近久しぶりに再会したんですけど、何故か昔とは人が違ったみてえになっていて……それで」
ここへやってくるまでに考えていた、辻褄合わせのための嘘をつく。しかし、誰かを不幸にする嘘というわけではないのに、不思議と口にするだけで心苦しくなる。
それは昔とは人が違ったと、昔の彼女のことなど知りもしない癖に、分かったような口を聞くことに対する罪悪感であろうか。
「……ずっと聞こうとは思ってたんです。どうすれば俺はアイツの力になれるかだなんて殊勝なことも考えていたんです。だけど、アイツは俺の助けなんかハナから必要としてねえみたいで、そもそも俺なんかがアイツの事情に首突っ込んでいいのかも分からなくて……」
半ばうつむき、嚙み殺すように樋田は唸る。そして、次の瞬間彼は一気に顔を上げた。
「だが、あんな事が起きた以上もう尻込みは出来ねえッ……俺ァアイツのことを、秦漢華のことを知りたい、理解してやりたい。何でもかんでも一人で背負い込めば良いと思ってるあの馬鹿女に、助けてって言わせる方法はもうそれしかねえんですよッ……!!」
初めは嘘をついていたはずなのに、いつのまにか本音が入り混じっていた。どこからどこまでとは言わないが、本当格好がつかないにも程がある。
だが、なりふり構っていられるか。体裁だとかプライドだとか、そんなものは秦を助けると決めたときにまとめて捨てて来たのだから。
「……分かりました」
しかし、思いは通じたのか。
先生は覚悟を決めるようにすうと息を吸い、そして背後に続く廊下の先を指さしながら言う。
「付いて来てください。ちょっと行ったところに空き教室がありますから」
樋田は無言で頷き、されどそれだけでは済まない気がして軽く頭を下げる。そうして彼は先行く教師の後ろを、ところどころ早足になりかけながら付いて行くのであった。
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