第七十二話 『秦漢華、無理をする』


 とりあえずは、落ち着いて話が出来る場所に移動しようということになった。


 樋田が泣きじゃくる少年の手を引き、三人はひとまず近くの市民公園の中へと入っていく。

 すぐに待ち合わせ用のベンチを見つけ、そこに樋田・少年・秦の順で腰掛ける。

 それでも少年はまだ怯えた様子であったが、秦が優しくその背中をさすってやると、段々と落ち着きを取り戻していった。


 ――――俺ァ口挟まねえ方が良さそうだな。


 今更なことを言うが樋田は凶相だ。

 しかも体格は服の上からでも分かるほどのゴリラだし、ついでに声はガサガサガラガラのハスキーボイスときている。


 我ながら子供を怖がらせる要素しかないので、小さい子の相手はひとまず秦にブン投げることにした。


「大丈夫? もう怖いのはいないから安心していいわよ」


 いつになく優しい口調で秦は少年に話しかける。

 樋田に対するつっけんどんな物言いとは正に真逆だ。

 しかし、差をつけられたことへの不快感はない。

 むしろこの女もやろうと思えばこんな顔が出来るのかと、樋田は素直に感心した気分になる。


「ボク、お名前はなんていうの?」

「……日高ひだか佳徳よしのりです」


 ――――オイ、謎のニアミスやめろ。


「うん、ヨシくんね。私は秦漢華はたのあやか。で、そっちのヤクザが樋田可成。まぁ、見た目ほど悪いヤツじゃないから怖がらなくても大丈夫よ」

「……はい。漢華お姉さんと、可成お兄さんですね」


 ――――オイ、ヨシくんはやめろ。ここにもヨシくんいるんだぞ。


 片側で汚い方のヨシくんが微妙な気分になっているのはさておき、秦はその母のような笑顔を絶やさずに続ける。


「それじゃ、ヨシくん。ゆっくりでいいから何があったか話してくれるかしら? 大丈夫、お姉さん達は君の味方だから」


 決して急かさず、そして問い質さず、向こうから話し始めてくれるのをじっと待つ。

 相手がまだ幼い子供で、そのうえ今は精神が不安定であろうから、秦もかなり気を遣っているのだろう。


 然して、そんな彼女の努力は無事実り、ヨシくんはゆっくりながらも事情を話し始めてくれた。


「えぇと、ボクおかあさんと一緒に遊びに来てたんですけど、いつのまにかはぐれちゃいまして……それで狭いところを歩いてたら、その、怖いのがいきなり襲ってきたんです」


 改めて少年のことを見てみると、なんだか年の割には落ち着いた印象を受ける。言葉遣いも丁寧であるし、意外としっかりした子のようであった。


「その怖いのって、どんな感じだった?」


「えぇと、あまり覚えてないんですけど、顔は確かヤギみたいな感じでした。大きさも結構大きい感じで……」


 瞬間、そのときのトラウマがフラッシュバックしたのか、少年の目の下に薄っすらと影が差す。


「それでボク、とにかく走って逃げたんです……一回腕を掴まれたときは死んじゃうかと思いましたけど、うまい感じに抜けられて、そうしてそこからあの場所まで逃げてきました」


「で、私達を見つけて助けを求めたってわけね」


「……はい。僕が見たのは、ちょうどお姉さんが怪獣を空に投げ飛ばしたところでした。色々怖かったし、分からないことだらけだったけど、とにかく今はこの人達に頼るしかないって思ったんです」


 二人の予想通り、この少年は恐らく街をうろつくダエーワに襲われたのだろう。


 突然訳の分からない怪物に襲われ、それでも命からがら逃げ出して。その先に同じような怪物を楽々と倒すヒーローが現れたとなれば、例え幼子でなくともこれに縋るに決まっている。


 しかし、そんな超常の力が本当に存在すると知れば、人間誰しも混乱せずにはいられまい。

 そもそも少年からしてみれば、樋田や秦がどのような存在であるかなど、まるで分からないのだから。


「あの、なんか色々ありえないことばかりで混乱してるんですけど……お姉さんたちは、その、やっぱり不思議な力を使う正義のヒーローみたいな感じなんですか?」


「むっ」


 秦の表情が固まる。

 それもそうであろう。『天骸アストラ』だとか天使だとかダエーワだとか、こんな小さい子に本当のことを話しても分かるはずがない。それに、この質問にどう答えるかによって、今彼が抱える不安をどれだけ払拭出来るかが決まってしまう。

 だからチャイナ娘はムムムと頭を抱えたあと――――最善のためにキャラを捨てることにした。


「ふっふっふ、バレちゃあ仕方がないわね。そう、ヨシくんの言う通り、私達は日夜あのバケモノから人々を守るために戦っている正義のヒーローなのよッ!!」


 なんかスゲェ声張ってるし、なんかスゲェ明るく振舞ってるし、なんかスゲェ可哀想になってきた。


「ほっ、本当ですかッ!? じゃあ、ボクを襲ったあの怪獣も――――」


「当然よ。こっちのお兄さんはともかく、私はかーなーり強いからね。だから安心しなさい。ヨシくんの言う怪獣だなんて、お姉ちゃんがすぐボッコボコにしてあげんだからッ!」


 私が来た! と言わんばかりに力強いガッツポーズで微笑んでみせる正義のヒーローはたのん。

 その頼もしく勇ましい姿に、ヨシくんの顔から不安が一瞬で消し飛んだ。


「さあて、じゃあお姉ちゃんはお兄ちゃんとちょっとお話ししてくるから、ヨシくんはここで待っててね」

「うっ、うん。わかりましたッ!!」


 なんだか興奮覚め止まぬ様子のヨシくんを微笑ましく思っていると、彼を挟んで秦がチョイチョイ手招きしてくる。

 そんな秦の誘いに従い、二人はベンチ近くの木陰の方へと移動した。


「うぅ、はぁあああぁぁぁ…………」


 普通に話してもヨシくんには聞こえないぐらい距離をとった途端、そこで秦はドットと重苦しい溜息をつく。

 ただでさえ常に疲れた様子である秦が、今は更にげっそりとしていた。そんな彼女の姿に「あぁ、さっきのあれやっぱ無理してたんだ」と樋田はなんとなく悟る。


「とりあえず、お疲れさん」

「……ふふっ。分かっちゃいたけど、やっぱ慣れないことはするもんじゃないわね」

「だが、よかったと思うぜ。そりゃあんだけ景気いいこと言ってもらえりゃあ、あの子も俺達を信じて安心出来るだろうよ」

「……ありがと、そう言ってもらえるだけで救われた気分になるわ」


 しかし、気を抜けるのはそこまでであった。

 次の瞬間、秦は至極難しそうな顔をして言う。


「で、早速本題だけど、正直マズイことになったわ」

「だと思ったわ。で、一体なにがどうマズイんだよ?」


 何はともあれヨシくんはダエーワから無事逃げ切れたようであるし、見たところどこか怪我をしている様子もない。

 確かに彼を襲ったダエーワが未だ健在なのは心配だが、そもそもこの街は今あちこちに同様の存在が溢れているのだ。


 樋田としては別に何か状況が悪化したとは思っていない。しかし、秦は深刻そうな表情のまま、こう続ける。


「いやね。別にダエーワも誰彼構わずヒトを襲っているわけじゃないのよ。そもそも天使に飲み食いは必要ないからね。それでもヤツらが人間を襲うのは、人の持っている『天骸』が欲しいからなの」


 樋田はその言葉で全てを理解する。


「……つまり、襲われてんのはってことか」


「そういうことよ。見える人間と見えない人間では、それこそ宿している『天骸』の量に天と地ほどの差があるからね。本当はこんなこと言いたくないのだけど、正直適性持ちなのに術式を知らない素人なんて、ヤツらにとっては足のないウサギのようなものよ」


 見える人間はダエーワに狙われる。

 そんな事実を聞かされ、樋田は思わずヨシくんの方へなんとも言えない視線をやる。


「……クソッタレがッ。そんじゃあ交番に預けて、あとはお巡りさんにお任せって訳にはいかねえじゃねえか」

「まぁ、手の打ちようはあるけどね」


 一体何するの漢華お姉ちゃん? とハテナマークを浮かべる樋田を尻目に、秦はスマホでどこかに電話をかける。

 そして、出た相手に何か二言三言告げると、彼女はすぐに通話を切った。


「誰だよ」

「私の下についてる隻翼の子達。私達がヨシくんと離れたあと、代わりに護衛してくれるようお願いしといたわ」


 なるほど、それは妙案。

 しかし、そこに一抹の不満がないと言えば嘘になる。


「隻翼なあ……アイツらだけでちゃんとあの子守り切れるのか?」


「こういうのもなんだけど、あんな小さい子を取り逃がすような雑魚に、ウチの子達が負けるとは思えないわ。まぁ、本当は私達がついてあげたいんだけど、人材リソースが有限な以上そういうわけにはいかないし……」


 物事には優先順位というものがある。

 小に拘るあまり大を損なってはそれこそ本末転倒だ。樋田達にはこれ以上の被害者を出さないために、一分一秒でも早く今回の黒幕を見つけだす使命があるのだから。

 あまり時間をかけることは出来ない。先程ダエーワに喰われた幼子を見せられたこともあり、その考えは二人の意識の中に強く刻み込まれている。


「気持ちは分かる。だが、落とし所としては妥当だと思うぜ。んで、その隻翼ちゃんは一体いつごろこっちに来れるんだよ?」


 しかし、対する秦の反応は芳しくないものであった。


「うーん……どうやら向こうも向こうでゴタついてるみたいでね。正直今から何時間後になるかは分からないわ」


「はぁ、マジかよ。そうするとなると……」


 樋田はどこか逡巡するような視線をヨシくんの方にやり、


「仕方ない。連れてくしかないわね」


 その言葉の続きは秦が拾ってくれた。

 しかし、意見の一致を見たにも関わらず、樋田の表情は硬いままである。


「あまり気は進まねえがな」

「そうね。リスクがないとは言い切れないわ。でも、だからと言って、何もしないでボーと待ってるのもナンセンスでしょ。そもそも今この街は、それこそどこにいたってダエーワに襲われる危険があるようなものなのだし」


 秦が言うことは間違っていないと思う。

 確かに樋田達と一緒にいれば何かしらの危険に巻き込まれるかもしれないが、彼をこの悪魔蔓延る街の中で一人にするよりはよほどマシであろう。


 余計な心配で判断を誤るな。そう己が心に言い聞かせる。


「まぁ、そうだな。それで行こう。テメェの言うことにも一理ある」

「決まりね。じゃあ、ボチボチ出発しましょうか」


 そこでようやく意見の一致を見た二人は、そのまま足早にヨシくんの元へと戻ろうとする。

 しかし、こちらの接近に気付いた彼の方が、すぐにトテトテと歩み寄ってきた。


「お話、終わりました?」


「うん、終わったわよ。ところでヨシくん。悪いんだけど、しばらくお姉ちゃん達と一緒に来てくれないかな? お母さんには心配かけちゃうと思うんだけど……」


「……うん、分かりました。お姉ちゃん達がそう言うなら」


「ありがと。もちろんその代わり、ヨシくんのことは私達が絶対に守ってあげるからね。信じてくれていいわよッ!!」


 あっ、また秦が無理してる……とか思ったのはさておき、とりあえずこれで話はまとまった。色々と遠回りをしてしまったが、樋田達は再び東京タワーを目指す道のりを進み始める。


 先頭を秦が(無理して)元気よく進み、それにつられてヨシくんも後ろをテクテクとついていく。


 しかし、樋田はそこからすぐには動かなかった。なんであろう。うまく言語化出来ない。しかし、目の前の光景に何か違和感というか、引っかかるものがあるように感じるのだ。


 ――――あぁ、そういうことか。


 と、そこまで考えて、樋田は本日が月曜日であることを思い出す。


「なぁ、坊主」

「えっ、なんですかお兄さん?」


 急に後ろから飛んで来た樋田の声に、少年は思わず顔を硬ばらせる。

 しかし、樋田は気にせず、そのままこう続けた。


「いやな。今日は平日だってのに、学校はどうしたんだよ?」

「あー、今日は開校記念日で休みなんですよ。折角平日に休めるんならってことで、今日はここまで遊びに来たんです」


 即答であった。

 されど、樋田はそれでもヨシくんの目をギロリと睨み続け――――しかし、やがて諦めたように溜息をつく。


「そうかい。折角の休みだってのにそりゃ災難だったな」

「ちょっとアンタ。なにそんなちっちゃい子いじめてんのよ」

「虐めてねえ。だらねえこと言ってねえで、とっとと行くぞ」


 然して、二人に更に一人を加え、一行は再び東京タワーを目指すことと相成った。

 かつて日の本一の高さを誇ったあの塔から、ダエーワで溢れるこの街がどのような姿に見えるのか。樋田も秦も未だ知りはしない。

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