プロローグ2『全殺王≠絶対悪』


 いる。

 兄がいる。

 草壁蟻間くさかべありまがそこにいる。

 ただそれだけの事実で、気が狂いそうになる。


 しかし、そうして草壁蜂湖くさかべほうこが一人悶々としているうちにも、全殺王ぜんさつおうは監獄内に続く門の前へと向かっていく。


 巣鴨プリズンはその性質上、囚人の奪還を防ぐため、通常の刑務所よりも遥かに厳しい警備体制が敷かれている。

 そして、その正門の付近でも、当然のように二人の刑務官が警戒に当たっていた。

 彼等は草壁の姿を発見し次第、警棒片手にズカズカとこちらへ歩み寄ってくる。


 面会を行いたい関係者や弁護士用の出入り口は他にあるというのに、未成年の少女がこんなところに突っ立ていては不審がられるのも当然であろう。


「オイそこの君、面会の受付は――――」

「人間風情が。この俺の前に立ち塞がるな」


 正に一瞬の出来事であった。

 少女の体を操る何者かは、向かい来る刑務官に対し、まるで虫を払うような仕草で軽く右手を振るう。


 すると、


 ――――えっ。


 呆気なさすぎて一瞬何が起きたのか分からなかった。

 しかし、そのあまりにも凄惨な死体と、ツンと鼻をつく嫌な音に、人が死んだという事実を脳がようやく認識する。

 こうして体の主導権を奪われていなければ、草壁はまず間違いなく今日食べたものを全て地面にぶちまけていただろう。


 ――――……オイ、殺す必要なんてねえだろッ!! 親族なら未成年でも面会くらい簡単に出来るってのにッ!!


 しかし、そんな草壁の悲痛な叫びを聞いても、全殺王の心が欠片たりとも動くことはない。

 むしろその悪魔はこちらの言うことが理解出来ないとでも言わんばかりに眉を顰めて言う。


「そうだな、確かにそういう選択もあるにはある。だが、絶対悪たるこのアンラ=マンユが、何故そのような善を強いられねばならんのだ。折角殺せる人間がそこにいるのだぞ。ならば、四の五の言わずに殺すべきだろう」


 ――――テメェはッ……!!


 その一言をもって草壁蜂湖は確信する。

 ダメだ、この悪魔に言葉は通用しないと。

 恐らく自分達のような人間とは、そもそも考え方が根本的なところで異なるのだろう。


 ――――なんで、なんでこんなことになっちまったんだ……あたしはどこで何を間違えたんだ。


 つい一時間程前、友人二人とくだらない話をしていたのが酷く遠くのことに感じられる。


 その悲劇はあまりにも唐突で、そしてあまりにも理不尽であったためか、草壁蜂湖はいつのまにか現実感というものを失っていた。

 こんなものは現実ではない。いや、現実であっていいはずがないと、最早そんな幻想に逃げることでしか、少女は自らの心を保つことが出来なくなってしまったのである。


「――――フッ、ようやく身の程を思い知ったようだな人間。それでいい。お前はそのまま俺の中で眠っていろ」


 そこへ追い打ちをかけるように全殺王の声が重なる。


 その一言こそが、少女の耳に届いた最後の言葉となった。

 ただでさえ曖昧になっていたあらゆる感覚が唐突に途切れ、草壁蜂湖の意識は完全に断絶した。




 ♢




 絶対悪たる全殺王アンラ=マンユが、態々潜入などという善良な手段を取るはずもない。


 悪魔が選択したのは、正門を破壊しての正面突破であった。


 抗う者は全て殺す。抗わない者も全て殺す。

 視界に入った者は必ず殺す。視界に入らなかった者も、必ず見つけ出して皆殺しにする。


 行く手を阻むありとあらゆる障害物は、ただ全殺王が触れただけでボロボロと朽ち果てていく。

 監獄中から次々と駆けつけてくる刑務官達は、ただ全殺王に存在を認識されただけでゴミのように死んでいく。


「ハハハハッ、甘美甘美甘美ィッ!! そうだ。喚け、嘆け、苦しめ、そして死んでいけッ!! 人の世には随分と忌まわしき善の色が蔓延してしまったようだが……構わん。この俺がその全てを今一度黒と悪と死とによって染め直してやろう」


 これこそが絶対悪。

 これこそが全殺王。

 そうしてアンラ=マンユは、まるで自らの存在を誇示するかのように、甚大な破壊と虐殺を伴う進撃を継続する。


「ククッ、草壁蟻間。果たして貴様はこの俺の依り代に相応しい悪性であろうか」


 件の死刑囚の所在情報は既に把握している。


 巣鴨プリズン東棟四階にあるとある独房、そこにアンラ=マンユが求めるかの青年は捕らえられているはずだ。

 そうして全殺王は再び権能を発動し、正門同様東棟への入り口を朽ち果てさせる、そのまま冷たい質感を持った建物の中へと入っていく。


 そうして、悪魔がちょうど東棟の二階に差し掛かったあたりのことであった。



「オイ、そこの女。一体どこから入ってきた」



 ふと死角から呼びかけられ、全殺王はクルリと背後を振り返る。

 するとそこには、先程の騒ぎを聞きつけて駆けつけたと思わしき五人の刑務官が立っていた。

 前方で拳銃を構える四人の後ろで、それを従える壮年の男は、こちらから視線を外さないまま無線を取り出して言う。


「侵入者を発見した。至急応援を頼む」


「高村副看守長、応援なんて必要なんですか? 相手はただの子供ですよ」

「……馬鹿かテメェは。この巣鴨プリズンに単身乗り込んでくるヤツが真っ当なワケねぇだろ。ほら、いいからテメェらは黙って銃構えてろ銃ッ」

「……はっ、はい。すいません」


 そうして高村と呼ばれた刑務官は全殺王をギロリと睨みつけると、抑揚のない事務的な口調をもってこちらに呼びかけてきた。


「五秒以内に両手を上げてひざまずけ。然もなくば発砲する」


「フンッ、職務とはいえ哀れな輩だな。ただの人間でありながらこの全殺――――――」



 副看守長のその一言が文字通り引き金となった。  

 部下の四人は一切躊躇することなく、アンラ=マンユ目掛けて一斉に銃弾を撃ち放つ。


 しかし、それは全殺王の体にかすりもしなかった。

 悪魔はその場でヒラリと身を翻し、迫り来る弾幕の空隙に上手く体を滑りこませると、


「再教育だ。黒にまみれて浄化しろ」


 その舞うような回避運動に連続し、右手から何かガスのようなものを射出する。

 それは瞬く間に黒い大蛇の形を象ると、その大口をもって刑務官の一団をまるごと包み込んだ。


 そのガスのようなもの、正しくは瘴気に物理的な破壊力はない。


 しかし、瘴気は全殺王の司る悪の概念――即ち病気、災害、老化、そして死などの記号を多分に内包したものだ。

 そんな如何にも凶悪極まる代物を、ろくに『天骸アストラ』への適性も持たない一般人が浴びれば、一体どうなるであろうか?


「何だ、これは……ギグァチッ」


 効果は一目瞭然であった。


 大蛇に飲まれた刑務官達の肉体は突如、まるでガスでも孕んだかのように膨張し始め、続いてその肌はみるみるうちに赤黒く醜い色へと変色していく。

 その果てには、彼等の体から何か拳大の腫瘍のようなものが無数に生じ始め――――そして、その全てが一斉にグチャリと弾け飛んだ。


 部下の四人は完全に人としての形を失い、辺り一面の床はグロテスクな血の海と化す。


 あまりにも呆気なく、そしてあまりにも一方的なその結果に、アンラ=マンユは思わず不平を漏らさずにはいられない。


「順当過ぎてつまらぬな。せめて悲鳴の一つや二つほど、あげてから死んでもいいものを……ん?」


 そのとき全殺王は明らかに油断していた。


 所詮ここを守っているのは、ろくに『天骸』も認識出来ない雑魚ばかりだと、そう決めつけていたのだ。


 確かに前に立っていた四人の青年達は瘴気に当てられて即死した。

 しかし、彼らを率いる最後の一人は、その全身を赤い肉団子のように変化させられても、まだその場に立っていた。


 マズイ。


 そう本能的に悟った正にその瞬間、高村副看守長は全殺王めがけて数発の銃弾を放つ。

 悪魔は再びこれをなんとか紙一重で回避する――が、その次が本命であった。


 絶対悪が一瞬よろけた隙を突き、瀕死の副看守長は一気にこちらとの距離を詰めてきたのだ。


 既に肉体は半ば崩れてかけているにも関わらず、真っ直ぐ首元目掛けて突き出される軍刀の白刃。

 対する全殺王はこれを素手で防ごうとするが、そのまま腕を貫かれ、背後のコンクリートに身体を縫い付けられてしまう。


 然して、全殺王の動きは封じられた。

 そのまま副看守長はトドメを刺そうと、悪魔の額に銃を突きつけようとし――――、



「……



 しかし、その最後の銃弾が発射されることはなかった。


 刑務官の左手が銃の引き金を引く直前、これまで気力だけで動いていた高村副看守長はそこで遂に絶命したのである。

 そのことに何となく拍子抜けのような気分になりながら、アンラ=マンユは赤い肉団子と化した刑務官の死体を乱暴に引き剥がし――――そして、そこで一つの違和感に気が付いた。


「これはどういうことだ……?」


 高村に一部を貫かれただけの右腕、なんとその全体がいつのまにかズタズタに切り裂かれていたのだ。


 しかも、重傷を負っているのは腕だけではない。

 頭のてっぺんから足の裏まで。最早依り代の肉体に切り傷のない箇所はなく、今も全身からドクドクと血が滲み出し続けている。


 しかし、その理由はすぐに分かった。


「なるほど。俺の力が容れ物のキャパシティを超えてしまったということか……。だが、それにしてもあまりに貧弱すぎる。唯一生娘だということを除けば、最早豚の死骸にも劣る価値しかあるまい」


 全殺王はそう結論付ける。

 一応権能を振るうぐらいのことは出来たが、やはりこの体はあまりに使い勝手が悪い。


 例え『天骸』も識らない一般人を虐殺することは出来ても、天使や擬天使が相手であれば、まともに戦うことも出来ないだろう。

 折角四千年ぶりに悪の権化として蘇ったというのに、なんの爪痕も残さぬまま、再び地獄へ送り返されるなどという事態だけは避けなくてはならない。


「……草壁蟻間、か。まあ、本格的な容れ物を探すまでの繋ぎぐらいにはなるだろう」


 やはり、今は一刻も早く新たな依り代を手に入れるべきだろう。

 全殺王はそんな焦燥感に急かされるように、東棟を上へ上へと登っていく。

 先程の戦いが終わってからというもの、そこらから刑務官が駆け付けてくることもなくなった。


 そのまま順調に歩を進め、ようやく絶対悪は目的の場所へと辿り着く。


 四〇〇二三。

 そう数字が刻まれただけの鉄扉がそこにはあった。


 本来ならば鍵がいるのだろうが、あらゆる負の概念を司る悪魔にそんなものは必要ない。

 アンラ=マンユがそっと鉄扉に触れると、ただそれだけで頑丈な金属は瞬く間に劣化し、やがてただの砂となってボロボロと崩れ落ちていく。


「フンッ、やはりこの時代の独房は気に食わん。昔は糞にまみれた囚人が蛆に集られ、ろくに食事も与えられないまま惨めに死んでいったというのに……随分と息苦しい時代になったものだ」


 死刑囚の部屋というと如何にもおどろおどろしい光景を想像してしまうが、実状は欠片も過酷な空間ではない。


 壁紙は清潔感あふれる白塗りで、部屋の大きさは大体畳三畳分。

 確かに手狭であるが、別にここで暮らすのもそこまで不便ではないだろう――――と、そんなことよりもと、全殺王は独房の奥に見える人影に目を向ける。


 草壁蟻間。

 件の青年はこちらに背を向けたまま、大人しく文机の前で本を読んでいた。


 想像していたよりも、かなり印象が薄い男であった。髪の色がやや明るいことを除けば、これといって特徴的な点は見当たらない。


 ――――粗末……ではあるが、もうこの体を捨てられるならばなんでもいいだろう。


 元からそこまで掘り出し物を期待していたわけではないのだ。

 とりあえずさっさとこちらに乗り換えてしまおうと、絶対悪は土足で独房の中に上がりこみ、草壁蟻間の肩にポンと手を置く。


「草壁蟻間だな。あとはもう首を吊り、無様に排泄物を垂れ流す未来しかない貴様に、この全殺王がいっときの自由を与えてやろうでは――――」



 しかし、そこでアンラ=マンユは思わず口を噤んでしまう。否、正しくは



 ――――ありえんッ、何だこれはッ……!!


 何故だか体が動かない。

 そして、動機が止まらない。

 気がつくと四肢までもがブルブルと震え始めていた。

 それこそそれはまるで、先程全殺王に身体を乗っ取らかけていたときの少女のように。


 何故だ。

 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ。


 この青年は間違いなく、擬天使どころか『天骸』もろくに感じないただの人間だ。

 まさかこの全殺王アンラ=マンユが、そんなただの人間風情に臆しているとでもいうのか。


 ――――ありえないッ、ふざけるなアアアアアアッ……!! きっ、貴様は、一体何者だアアアアッ!?


 あまりの怒りと悔しさに嘆く全殺王を、草壁はその視界に捉えることすらしない。

 折角独房の扉が開けられたというのに、彼は目の前の本に夢中で、一切そちらに興味を示そうとはしない。


 だがしかし、やがて青年はふと気付いたように、ゆっくりと悪魔の方を振り向き、



「――――全殺王。もしや、お前はアンラ=マンユか?」



 草壁蟻間と目が合った。

 その直後、巣鴨プリズンの約半分が文字通りに吹き飛んだ。

 

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