第六十六話 『終末の予兆』


 それは、アロイゼ=シークレンズとの話し合いを終えた後のことであった。


 この綾媛りょうえん女子学園のほぼ中心に位置し、屋上部分が雲にかかるほどの高さを誇る巨大なランドマーク。通称『叡智の塔』と呼ばれるその建造物の内部は、人類王の手によって実際の体積を遥かに上回る広大な異界と化している。

 そんな異界の中に位置するとある書斎の中で、王とその敬虔な眷属は、窓から差し込む月明かりにぼんやりとその身を晒していた。


 部屋の中央に位置する机に座すは、真っ赤な瞳に絹のような銀髪が印象的な壮年の紳士。かたや彼と向かい合う形で机の前に佇んでいるのは、この学園の高等部生徒会長と統合学僚長を兼ねながら、人類王直属の天使集団『綾媛百羽』の第二位でもある陶南萩乃すなみはぎのの姿であった。


 ――――一体、先生は何を考えておられるのでしょうか。


 冷徹宰相は自問する。

 陶南萩乃という一人の少女にとって、目の前の人類王とは己の全てを尽くして支えるべき主人であり、また自身の行動・思考全ての根幹となる絶対の基準でもある。

 その心酔とも言うべき忠誠心は底知らず、地球上の全人類は皆この教師に教え導かれるべきだと確信しているほどである。


 そして、陶南萩乃は主人に仕える己の役割を人ではなく機関であると自認している。

 王の語る理想を現実のものとするがため、その言葉から決して逸脱することもなく、機械のように腰の刀を振るい続ける――――それこそが彼女にとっての唯一の存在意義であるのだ。


 そこに低俗な思惑や欲望はなく、何か具体的な見返りや賞賛を求めたことだって一度もない。

 故に本来陶南萩乃が人類王の行動と思考とに疑いを挟む道理はないのだ。しかし、そんな彼女も今回ばかりは少々勝手というものが違った。


「問います。先生、本当にこれでよかったのですか?」


「これで――というのは、樋田可成とアロイゼ=シークレンズに屋上の『鐘』を壊されてしまったことかな?」


 陶南は即座に首を縦に振る。

 自分こそが人類王の考えを最も熟知していると自認する彼女だが、此度ばかりはその行動の意味するところが全くもって理解出来ないのである。


「はい。何故先生は私に彼等の排除を命じては下さらなかったのですか? 確かに私も松下さんと秦さんだけでも戦力的には充分だと思ってはいました。しかし、あのあと私がすぐに彼等を追撃していれば本丸は守り切れたはずです。それに、あのとき手の空いていた執行さんとヒスカルトさんを遊ばせていた理由も分かりません」


「へぇ、君が僕を訝しむとは珍しいね」


「先生の所業を疑っているわけではありません。ただ私は例え先生の指示を仰げない状況であっても、その考えから一歩たりとも逸脱したくはないのです。ですので、先生のお考えを理解出来ない場合は、その真意を確かめ、少しでも先生と同じ考え方ができるよう思考回路を擦り合わせる必要があります」


 そう淡々と問いかける第二位に対し、人類王はその涼しげな表情を崩しもせず、まるで謳うように言葉を紡いでいく。


「あぁ、分かった。なら話そう。そうだね。君達五人がそれぞれ六大天使の因子を発現した時点で、もうアレも『Sophiaソフィア』も既に役割を終えたようなものであっただろう。ならば壊れてもいいモノを壊されたところで一体何の問題がある? それに、いくら僕の正体を隠すためとはいえ、この学園に基督教のファクターを置いておくのは不愉快だったからね。むしろ彼等がアレを壊したとき、僕はどこかスッとした気分になったぐらいだよ」


「合理的判断に基づいた不良財産の切り捨て及び嫌悪物の排除による心身的安寧の受容。否、先生の本当の狙いはそこではないと予想します」


「フッ。まぁ、そうだね。樋田可成に手綱をつけられたことが、今回の一件における一番の収穫さ。彼には僕の敷いたレールの外で好き勝手に死なれたりしたら困るからね。それに、こうして早い段階で彼のことを統率しておけば、前回よりも早く、良い形であの結末まで辿り着いてくれるかもしれないだろう?」


 しかし、そこで再び陶南は無表情のままコクリと小首を傾げる。


「恐れながら欲をかくのは危険ではありませんか? 既に前回との齟齬が生じている以上、出来うる限り前例をなぞる方向に努めるのが定石かと」


「なるほど、真面目な君らしい意見だね。だけど僕は教師、即ち教え導く者だ。だから上に伸ばせるものを目の前にして何もしないというのは信条に反する。それに、未だ総体としての人類すら見捨てていないこの僕が、たかが人一人を正しい方向へと導けないでどうするというんだい?」


 人類王はおもむろに席を立ち、書斎奥の棚の前へと静かに歩み寄る。

 そうして王は棚の上に置かれている萎びた丸い木塊を手に取ると、まるでそれと対等に語り合うかのように視線を合わせた――――否、王が手に持っているそれはただの木の塊などではない。

 その塊には目があり、耳があり、口があり、上部には未だ微かに頭髪のようなものまで残っている。


 そう、それはであった。


 顔つきを見るに恐らくは四十歳前後の東亜人男性であろう。切れ長の細い瞳に、頬のこけた窶れ顔立ちが特徴的。首から切り落とされたあと何か特殊な処置が加えられたのか、その生首は死の直前の苦悶の表情のままミイラのように固まっている。


 しかし、人類王はそのミイラをただのオブジェとしては扱わない。つい数週間前まで人であったそれを、逆に言えば既にただの肉塊と化したその生首に、まるで旧知の友のような口調でボソリと話しかける。


「なぁ、君の息子は僕の期待に応えてくれるだろうか? それとも、君のように僕を裏切り、哀れ物言わぬ肉塊と化してしまうのだろうか――――? まぁ、心配せず草葉の陰より見守っていてくれ。彼のような子羊が道を外さぬように教え導くのも、我々教師の役割なのだからな」


 そうして人類王は樋田可英ひだよしひでの生首を小脇に抱えたまま、ゆるりと陶南の方を振り返る。

 その色気すら感じる精悍な顔つきに、まるで面白い悪戯を思いついた子供のようなテクスチャを貼り付けながら。


「それにしても『綾媛百羽』の中でも僕のお願いを素直に聞いてくれるのは、陶南君きみぐらいのものだよ」


「して、次の天命とは?」


「あぁ、そうだった。君にこのような配慮は無用のものだったね。まぁいい、なら、その言葉に甘えさせてもらうとしよう」


 人類王はそう言って懐から何か紙切れのようなものを取り出すと、シュッと投げナイフの要領で陶南に向けて投げつけた。

 陶南はこれを二本指で挟み込んで受け取る。ただの紙ではない。ツルツルとした手触りのそれは、とある少女の姿が写った一枚の写真であった。

 まるでガーネットをそのまま埋め込んだような真紅の瞳に、薔薇ですら恥じらいを覚えるほどに鮮やかな赤髪。わざわざ言うまでもなく陶南はその少女のことを知っている。


「……秦さんですよね? ご存知の通り、彼女とは旧知の中です。別に態々写真を渡さずとも、口で言っていただければ結構でしたのに」


「やった理由はかっこいいから、ただそれだけのことだよ。まぁ、確かに意味は無いけど、お約束というか風情は重んずるべきだよ。くだらない争いを引き起こす輩は、大抵余裕と遊び心が乏しいものだろう」


「して、王よ。私は具体的には何をすればよろしいのでしょうか?」


「君は本当に真面目だね。それは僕の目指す水瓶座時代アクエリアン・エイジにおいても美徳となり得るものだ……と、いい加減御託はこれぐらいにしておこうか」


 四角四面極まる陶南の言葉に、人類王は一瞬呆れるような、それでいてどこかそれを楽しむような曖昧な笑みを浮かべる。そのまま王はゆるりと陶南の元へと歩み寄り、その肩にゆっくりと手を乗せると、


「此度の一件で樋田可成と秦漢華の人生は再び交錯した。しかも彼女はどこか例の少年に執着している節がある。その構図が良いんだ。救われるべき少女と、それを救うだけの力を持つ少年。精神構造の未熟な子供たちは、ただ順当に行き詰まるだけの大人とは違って、いつも僕に新たな可能性を見せてくれるからね。それに、これからのことを考えれば彼らの関係を有効活用しない手はないだろう?」


「……もしや、試運転を兼ねて『叡智の塔』を本格起動するつもりなのですか? しかし、それでは多くの人間が死んでしまいます」


「あぁ、そうだね。確かに死ぬだろう。死んで殺され滅び尽くして、この帝都は死体の山と化すに違いない。だが、それでも誰も死にはしないさ。恐らくはただ一人の少女を除いてね」


 そうして古き王は、陶南の持つ写真に視線を走らせ、爽やかでありながらどこか邪悪でもあるそんな笑みを浮かべて言う。


「なに、僕はただかつて巻いた種を芽吹かせてみたいだけだ。例えそのあとどのような悲劇が起ころうとも、それをどうにかするのは主人公を自認するものの役割だろう。なぁ、。左目の所有者にして新たな理の礎となる者よ」


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