第六十話 『百識幻浪舞鏡』


「……興醒めね。随分と啖呵を切るものだから多少は期待していたのだけど――――もう、興味ないわ。それが底ならとっとと沈みなさい」


 そして、その隙を秦漢華はたのあやかが見逃すはずもなかった。

 慌てて後ろに退がろうとする晴の腕を、秦はその剛腕をもってガッチリと鷲掴みにする。その怪物じみた握力はまるで万力のよう、或いは鰐にでも噛み付かれたかのようであった。


「――――その浅瀬にね」


 しかし、そんなことはどうでもいい。

 今一番の問題は、この赤髪の天使がありとあらゆるものを、触れただけで起爆物に変換する権能の持ち主であることなのだから。


 ――――致し方あるまいッ……!!


 筆坂晴は死を悟った。

 そして、同時に覚悟を決めた。


 秦の赤い瞳が更に紅く輝いたその瞬間、掴まれた右腕に爆撃の魔法陣とよく似た文様が這い始める。

 だから、アロイゼは迷うことなく中折れの翼を振り下ろし、掴まれた右腕を文字通り切り捨てた。


 そしてその直後、『殲戮』の術式によって爆発物と化した右腕が起爆し、そして炸裂する。

 

 晴のすぐ目の前で生じる爆炎と衝撃波。

 しかし、此度は秦自身も近くにいるせいか、その火力は幾らか控えめだ。むしろ晴はその爆風と衝撃波を上手く利用し、一度肉薄してしまった距離を再び取り戻していく。


 然して晴が仕切り直しを済ませた頃には、既に第四位の姿は二十メートル先の遥か彼方。対する赤髪の天使はまるで感心したとでも言わんばかりの薄ら笑いをこちらに向けていた。


「へぇ、なるほどね。いくら天使体だからと言っても、そこまで割り切れるのは流石だわ。もしかして若いのは見た目だけで、中身は百戦錬磨のクソババアだったりするのかしら?」


 しかし、それでも神の炎はすぐに元の仏頂面を取り戻すと、


「だけど、結局そこまでなのよね。例え負けを幾らか先延ばしにすることは出来ても、この圧倒的な劣勢を覆すことは絶対に不可能。あれだけくだらない小細工を思い付けるだけの頭があるなら、それぐらいのことすぐに理解出来るはずだと思うのだけれど」


「……ふん、一々癪に触るガキだ。で、キサマはそれで一体ワタシに何を言わせたい?」


「ハッ、それ態々私に言わせる気? やめてよそれじゃなんか私が性格悪いみたいになるじゃない……でも、まあいいわ。分からないならアンタのちんまい脳味噌でも理解出来るように教えてあげる」


 然して秦がフィンガースナップを鳴らすと、晴のすぐ隣の空間が再び前代未聞の大爆発に飲み込まれる。

 然しそれでも瞬き一つすらしないアロイゼに、秦は若干苛立ち紛れに舌を打つと、


「もう分かったでしょ。アンタみたいな粗製乱造の量産天使ホムンクルス風情が、この秦漢華に勝てるはずがないって。なら、こんな無意味な戦いをいつまでも続ける意味が一体どこにあるのかしら。最初から命まではとらないって言ってんだから、さっさと哀れに惨めに屈服してくれると助かるんだけど」


 なるほどな、と量産天使は何となく目の前の敵の心情を予測してみる。

 恐らくは明らかに劣勢な立場でありながら、小細工でいつまでも戦いを引き延ばそうとする晴に、いい加減向こうも面倒臭くなってきたのだろう。


 しかし、対する晴は呆れたと言わんばりにハアと長い溜息をつく。

 ああ、この女は何も分かっちゃいない。そう心中で毒吐きながら、群青の瞳の天使はどこか遠くを眺めるように傍の窓枠へと視線をやり、


「……まぁ、それもそうだな。確かにキサマは強い。ワタシはこれでもリアリストだからな。こちらに勝機がないことぐらいは潔く認めてやろう」


「だったら」


「だが――――」


 そして、晴はどこか嘲るような表情を秦に向ける。


「勝敗の帰結など素より些末なこと。ワタシはワタシがそうするべきだと思ったからこそ、今この場にこうして立っている。ハッ、嗤わせるな。勝てないから、或いは死にたくないから。このアロイゼ=シークレンズが一度自分の意志で決したことを、そんな幼稚極まる理由で撤回するとでも思うたか。それが分かったならば、とっととその私欲にまみれた薄汚い物差しをしまえ。それだけ強大な力を持っていながら、外道の腰巾着程度で満足しているキサマのようなカスと、このワタシを同じ尺度で測ろうとするのはやめてもらおうか」


 しかし、晴が最後までその言葉を紡ぐことはなかった。


 黙れと、そう言わんばかりにアロイゼの四方を魔法陣が取り囲み、それらが一斉に前代未聞の大爆発を引き起こしたのだ。

 嵐の如き衝撃波が、燃え盛る爆炎が、理不尽なまでの絶対的な暴力としてアロイゼに襲いかかり、その小さな体を跡形もなく消し飛ばす――――必ずそうなるに違いないと、秦漢華はそのときその瞬間まで確信していた。



「……そう急くなよ早漏女」


「――――なッ!!!!!????」



 しかし、あらゆるものが消し飛ばされた爆撃の中心点、何故かそこから最早聞こえるはずのない声がはっきりと聞こえてくる。

 その爆炎の中で薄らぼんやりと揺らめくは、どこか見覚えのある中折れの隻翼に、銀河の如く煌めく頭上の天輪。今の一撃で確実に天使体を消し炭にしてやったはずなのに、しかしアロイゼ=シークレンズの体に一切の傷はなく、今もしっかりと光の灯った瞳でこちらを真っ直ぐこちらを見据えている。


「アンタ、一体どんな手を……?」


 絡繰は単純。

 晴はこれまでの秦の言動から、彼女が嫌々この学園の悪事に手を貸していることを察し、まずは言葉巧みにその罪悪感を刺激。そうして彼女の判断力・観察力が激情で鈍った隙をつき、本体と映像をこっそりと入れ替えただけのことだ。


「また映像ってこと……ハッ、くだらないわ。同じネタを使いまわすことしか出来ないなんて、アンタは天使としてもピエロとしても三流なのね」


 その程度の仕掛けには秦もすぐに気付いたのか、彼女は露骨な嫌悪感を交えて吐き捨てる。しかしそんな赤髪の天使に対し、晴の映像は爆炎に包まれながらもニヤリと意地の悪い笑みを浮かべていた。


 そう、ここまではあくまでただの下準備。

 されど、これで漸く全ての手順はなぞり終えた。

 然らば、これよりはこの筆坂晴の独壇場。最早守勢にまわり続ける必要も、小細工で時間を稼ぐ必要もない。アロイゼ=シークレンズが司る観測・解析・再現の三要素、その真髄をこの愚かなクソガキに見せつけてやろうではないかッ!!


「フンッ、見たものをそのままの印象でしか捉えられないのは幼さ故か。愚かよな。目の前の敵を弱者だと切り捨て見下していいのは、実際にその者の首の胴と離れるを見届けてからに限られるというのに」


 そう言って晴の映像が手を左右に大きく広げると、彼女の小さな体を中心に数十の電子モニターが一斉に展開される。

 これまで守勢に回り続けて来た晴が、この戦いの中で初めて見せる大技の気配。そんな明らかに何かを仕掛けて来そうな雰囲気に、流石の秦漢華も思わず身構えずにはいられない。


「……アンタ、そんな死に損ないの身で一体何をするつもり?」


「そう怯えるな戦闘処女。何、そう大したことではないさ。ワタシはキサマの言う通りただの量産天使。素より観測と解析、そして再現を除けば他に取り柄などない。されど――――――――」


 そうしてアロイゼが挑発気味に微笑んだその直後、





 赤髪の天使の背後から、突如その耳元へ吐息交じりの言葉が囁きかけられる。


 此度も絡繰は極単純。

 爆炎の中に包まれている晴の映像が、秦の意識を引き寄せているうちに、もう一人の晴がこっそりと彼女のすぐ隣まで這いよっていたのである。


「そっちが本体かッ!?」


 だが、その程度のことで恐れ慄く秦ではない。

 彼女はそのまま振り返る勢いにのせて、強烈な肘打ちを背後の晴へと向けて放つ。


「残念、ハズレだ」


 しかし、その一撃は此度も虚しく宙を切った。

 今回秦の背後に忍び寄っていた晴も、その正体は『顕理鏡セケル』によって生み出された映像に過ぎない。まるで意味の無い攻撃をした秦を嘲笑うかのように、ただの電子データはそのまますぐに宙の中へと霧散していく。


「……だからくだらないって言ってるでしょ。アンタは私のことを翻弄してるつもりかもしれないけれど、だからってそれで何かアンタが有利になっているわけでもない。むしろ『天骸アストラ』を無駄に消費してる分、どんどん自分をより不利に追い込んでいると思うのだけれど――――」

 

 そうして秦はその顔に明らかな怒りの色を浮かべながら、再び爆炎に包まれる映像の方へと向き直る。



「え」



 しかし、彼女はそこで思わずその切れ長の瞳を驚愕に見開くこととなった。


「嘘、でしょ……?」

「だから言っただろう。ワタシはまだ底を見せてはいないとな」


 秦が驚いたのも無理はない。

 それはまるで筆坂晴の飽和状態とでも言うべき異常な光景。なんと赤髪の天使の周囲を取り囲む形で、いつの間にか軽く五十を超える数の筆坂晴がその姿を現していたのである。


 しかも、変化はそれだけに止まらない。

 続いて発生した異常現象は、この異界そのものの変容であった。西洋歴史主義建築を模し、赤煉瓦と科学的な特殊素材によって構成されている『叡智の塔』の内装。それらは瞬く間に無色透明と化し、続いてまるで鏡と氷の中間のような謎の物質へと変貌していく。


 万物が鏡と化した世界の中で、美しく誇り高く舞い踊る無数のアロイゼ=シークレンズ。更には周囲の鏡にその姿が反射し、映像はすぐに数百数千とその数を爆発的に増やしていく。

 その一種の狂気を孕んだおぞましい姿は、秦漢華の心にまるで自分が万華鏡の中にでも閉じ込められたような印象を抱かせたことであろう。


「我が尊名が背負いし二文字は因果、我は真理の探究を司りし天の御使なり。冒瀆者よ、我が眼前にその罪業の全てを晒すが良い」


 然して、天使アロイゼ=シークレンズは高らかに宣言する。



「暴け、『百識幻浪舞鏡ブロウズアイファンタジア』」



 『百識幻浪舞鏡』。

 それこそは無数の映像に対象を多角的に観測させることによって、その権能や力量、そして戦闘時の癖などを残らず暴き出す『顕理鏡』の最終奥義である。


 確かに現状筆坂晴に秦漢華を打倒する術はない。

 だが、ないならば今から作り出してしまえばいいだけのことだ。


 秦の動きをあらゆる方向、あらゆる観点から数百・数千の瞳で観察し尽くし、その癖を、その隙を、そしてその死角を完全に把握することが出来れば――――天使としては圧倒的に格下なはずのアロイゼが、この『神の炎ウリエル』を殺す手段を導き出すことだって決して不可能ではない。


「ふっ、イナゴみたいにワラワラと気持ち悪いのね。けど、いくら数が増えようと所詮小細工は小細工、あくまで分身に実体は存在しないのだし」


 しかし、対する秦漢華の方も黙ってやられるばかりではない。そう呟いて神の炎が再びパチンとフィンガースナップを決めると、


「なら、本体に当たるまで延々と焼き尽くすのみよ。延々にね」


 全てが鏡と化した世界の中を、これまでのなかで最大範囲最大火力の大爆発が吹き荒れた。

 しかし、実体を持たない映像達に物理的な影響はなく、今回はどこかに潜んでいる筆坂の本体にもその破壊力は及ばなかったようである。


 だが、攻撃が当たらなかったのならば、それを当たるまで繰り返せばいいだけのこと。秦はそうして再び座礁爆撃を放とうとするが――――――、


「オイ、許可なく足を止めるな。ワタシがよいと言うまで延々に踊り続けていろ」


 対する晴の本体は数百数千の映像に紛れながら、秦に向けて黒星ヘイシンによる連続射撃を敢行する。

 当の赤髪の天使も即座にこれを翼や素手で弾き飛ばすが、そのせいでどうしても座標爆撃は発動を途中で邪魔されてしまう。


「クソッ、ちょこまかとッ……!!」


 更には秦が銃撃を防ぐたび、数百数千の筆坂晴は彼女の一挙手一投足を隈なく観察し、その膨大な戦闘データを頭の中に次々と積み上げていく。


「踊れ、生娘。ワタシはキサマを――――」


 然して、再び晴は銃弾を放つ。


ているぞ」


 銃弾を放ち、それを防ぐ秦の姿を、ただひたすらに観察する。


ているぞ」


 銃弾を放ち、それを防ぐ秦の姿を、ただひたすらに観察する。


ているぞ」

調ているぞ」


 銃弾を放ち、それを防ぐ秦の姿を、ただひたすらに観察する。


ているぞ」

ているぞ」

ているぞ」


 瞬く間に八発を撃ち尽くしては、即座に次弾を装填。そうして合計五十六発の銃弾を消費し、合計五十六通りの動きを観察した果てに――――、



「もうよい。キサマの殺し方は理解した」



 筆坂晴は勝負に出た。

 数百数千の映像達の中に紛れながら、彼女は緩やかに秦の背後へと接近。更には中折れの翼を無理矢理に捻じ曲げ、なんとか短槍として扱える程度の形に拵える。


 ――――粛々と死ね、秦漢華。


 然して暗殺者は必殺の一撃を繰り出した。

 秦の動きの癖を完全に把握し、その未来を完全に読み切り、最適な位置の最適な角度から最適の死角へ向けて最適のタイミングかつ最適の速度で翼を振るう。

 防げるはずがない。反応出来るはずがない。もし秦がこちらの攻撃に気付くことがあったとしても、それは自らの首が胴と永遠の離別を遂げたあとのことであろう。


 ――――やったか……!?


 そしてインパクトの直後、そこには確かな手応えがあった。

 結局最後まで秦がこちらの攻撃に気付くことはなく、晴が導き出した最適は、寸分違わず赤髪の天使のうなじへと叩きこまれたのである。されど――――――、


「…………何、故だッ?」


 だというのに、何故か秦漢華の首は落ちない。

 晴の槍は確かに秦の首を突いた――――しかし、あまりにも威力が足りなさすぎたのであろう。

 晴が放った渾身の一撃は、完全に秦の不意を突いたにも関わらず、その表面の皮膚を僅かに削るに留まったのである。


「……やっぱり、最初から底は見えてたじゃない」


 その絡繰の正体は秦の有する第二聖創『鎧装不動がいそうふどう』だ。先程の『天骸』を圧縮したシールドを盾とするならばこちらは鎧。体の表面に高密度の『天骸』を纏うことによって、彼女は天使体の防御力を飛躍的に向上させていたのである。


 されど、本来『鎧装不動』はそこまで強力な聖創というわけでもない。並みの天使では打撃などの面攻撃を軽減するのが精一杯で、刺突や銃撃といった点を突く攻撃を防ぐのはほとんど不可能なまずなのだ。

 だがしかし、例えそんなありふれた初歩的な術式であっても、王クラスの『天骸』を持つ秦が使い手となれば、それはたちまちに理不尽極まる鬼畜スキルへと変貌してしまう。


 技術も経験も、或いは戦術を組み立てるために必要なセンスにおいても、アロイゼ=シークレンズのそれは秦漢華のそれを大きく上回っているはずだ。

 しかし、圧倒的で致命的までの天使としての素質の差。その一面のみをもって、晴は今まさに百歳以上年下の相手に敗れようとしている。


「ははッ……」


 こうなっては最早笑うしかない。

 これでは敗北というより、むしろ挫折だ。


 秦以上に強い天使も晴は確かに知っているが、これほどまでに己に無力感を覚えたのは初めてであった。

 積み重ねられた技術と経験とで翻弄し、己の中で最高の一撃を放っても尚、決して乗り越えられぬ巨大な壁。あれだけ激しく胸の中で燃え上がっていた戦意が、みるみるうちに弱々しく萎んでいくのがよく分かる。


 ――――……まだまだワタシも未熟だな。ここで今一度踏ん張れなくては、あのチンピラ崩れに嗤われてしまうではないか。


 しかし、それでも晴は強く唇を噛み締め、即座に気合いを入れ直す。そこで一度心が屈しかけたのを、何とか形だけでも持ち直したのは流石であると言えるだろう。

 だがしかし、その一瞬の隙こそが、そうしてコンマ数秒秦から意識を逸らしてしまったことこそが、この戦いの勝敗を決定する天目山となってしまった。


「まだそんな風に笑えるだなんて、随分と余裕そうじゃないッ……!!」


 もう逃さないと言わんばかりに、秦の踏みつけが晴の足を杭のようにその場へ縫い付ける。そうして晴の意識が足元に向き、ガラ空きとなった胴へ放たれるは鉄槌の如き正拳。秦はそこで思わずうずくまる晴の後頭部に肘を叩き込むと、そのまま彼女の小さな体を持ち上げ、中にめり込みそうな勢いで傍の鏡へと叩きつける。


「ガッ……!?」


 その一連の攻防によって、筆坂晴の敗北は決定した。

 爆撃じみた衝撃とともに、背後にはクレーターが生じ、最早上げることも出来ない頭にポロポロと壁の破片が落ちてくる。

 更には『顕理鏡』で生み出した鏡の世界もまた、まるでガラスのようにひび割れ、或いは砕け散り、元の西洋建築へとその姿を巻き戻していく。


 ――――おのれ、ふざけるな。まだどこかであのバカが戦っているかもしれぬというのにッ……!!


 そして何より、まるで風呂の中に入れられた入浴剤のように、いつのまにか晴の体からはボンヤリと小さな光の粒が生じ始めていた。

 それは明らかな天使体崩壊の予兆。もう一度何かしら大きな衝撃を与えられれば、この体は一瞬で元の何の変哲もない少女のそれへと戻ってしまうであろう。


「フンッ、哀れね。この学園を倒すだとか、天使にされた女の子達を救い出すだとか、何かカッコいいことほざいていたけれど――――ほら、これが現実よ。自分の手の届く範囲のものなら何でかんでも救いたいだなんて、そんなものは善でも偽善でもないただの傲慢に過ぎないわ。この世の中にはね、いくら嫌だって子供みたいに駄々こねたところで、どうにもならないことがたくさんあるの」


 そう忌々しそうに吐き捨て、秦はまるで断頭台のように頭上高くに手刀を振り上げる。


「『黄金の鳥籠セラーリオ』ッ……!!」

「だんまりを決め込むつもり? まぁ、いいわ。約束はちゃんと守るし、アンタらの命は私が保障する。だけどもう、こんな風に自分達のことを勝手に救世主だと思い込んで、助けられもしない人達に手を差し伸べるような無責任極まる真似は止すことね――――グブッ」


 しかし、その手刀が晴の天使体を崩壊に追い込むことはなかった。


 突如ドガアアアアア!! という凄まじい音とともに、秦漢華の姿が目の前から消失する。いや、違う。正確には赤髪の天使の背後から現れた謎の人影が、その手元の鉄パイプで彼女のことを力いっぱいにぶん殴ったのだ。

 『神の炎』の体はまるでおもちゃのように宙を舞い、軽く十メートルは離れた壁に頭から勢いよく突っ込んでいく。


「……全く、これ以上ない絶妙なタイミングで現れおって」


 その如何にも正義の味方じみた登場の仕方に、晴は思わず笑ってしまいそうであった。

 誰が助けに来たか、などとは態々言うまでもない。

 なぜなら晴はずっと信じていた。例えいくら秦漢華にその希望を否定され続けても、あの少年は必ず自分のもとに駆けつけて来てくれると、そう信じ続けていたのだから。


 彼をよく知らぬ人が見れば、悪鬼羅刹のように映るその凶相も、天使の目には悔しくもどこか頼り甲斐があるように映ってしまう。

 例えそれが自分にとって不相応なものだと分かっていても、遥か高き理想を夢見て突き進まずにはいられない――――そんな筆坂晴にとっての樋田可成ヒーローが、確かにそこには立っていた。



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