第四十六話 『使い捨ての一撃』


 人体実験。

 そんな不穏な単語が自然と頭の中に思い浮かぶ。


 事実カプセルの中にいる少女達の体は、尋常ならざる色彩へと変化していた。かつて黒や茶であっただろう瞳は、無機質な群青色に染まっており、頭や爪にもところどころ鮮やかな黄金色が混ざっている。


 そうして樋田がカプセルを食い入るように見つめていると、実験室の中に再び絹を裂くような悲鳴が響き渡った。カプセルの中に閉じ込められた三人の少女達、そのうちの一人がまるで気でも狂ったかのように暴れ出したのである。


 カプセル内を満たす『天骸アストラ』はたちまちに泡立ち、床の魔法陣もギラギラと怪しげな光を放ち始める。そして、彼女の全身に刻まれた術式もまたそれに呼応し、その体を凄まじい勢いで何か別のものへと作り変えていった。


 その頭上には銀河を思わせる天輪が浮かび、まだらであった髪は瞬く間に金一色へと統一される。そして最後には、その左肩の肉を突き破る形で、本人の体よりも大きなが飛び出したのであった。


「オイオイ、これじゃまるでッ……」


 樋田や晴は今回の事件を「生徒会組織を中心とした学園中枢部が、何かしらの目的で生徒に精神改竄を施している」程度のものだと考えていた。しかしその実態は更に闇深く、おぞましいものであったと言わざるを得ない。 

 態々誰かに説明されずとも分かる。今少女の体に起きた一連の変化は間違いなく、莫大な『天骸』によって仮初めの体を作り出す――――『天使化』と呼ばれるものであるに違いない。


 晴曰く、『天使化』は天使にのみ許された一種の権能で、むしろ『天使化』が出来ることこそが天使であることの絶対条件なのだという。

 つまりカプセルの中の少女達は、元が人間であるにも関わらず、無理矢理に天使へと作り変えられようとでもしているのだろうか。


「ナンバーG2143の『天骸』に短時間での異常増幅を確認。陶南統合学僚長に天使創生システム『Sophia』の一時的な凍結を要請――――承認。これより対象へ『火の戦車』の反転記号の入力を開始する」


 しかし、そうして少女が暴れ出しても、周りの天使達の対応は冷徹極まるものであった。


 彼女達が『顕理鏡セケル』の電子モニターを操作すると、瞬く間にカプセルの中へ新たな術式が注がれていく。

 それはまるでパソコンからコンピュータウイルスを除去しているかのような光景であった。先程まで狂ったように暴れていた少女はすぐさま気を失い、全身に刻まれた術式の過剰反応もまた徐々に終息していく。

 そして、頭上の光輪や左肩の隻翼も、まるで宙に解けるようにして、どこかへと霧散してしまった。


「なっ、なんなんですか。これは――――――」


 そうして樋田が思わず呆然としていると、いつのまにか松下も彼の後ろから部屋の中を覗きこんでいた。そのあまりにもおぞましい光景に、彼女は思わず膝をつきそうになるが、樋田に支えられて何とかバランスを取り戻す。

 しかし、そうして不用意に物音を立ててしまったのが、二人の運の尽きであった。


 直後、十を超える天使達が一斉に、ギョロリとこちら側を振り向いたのである。



「っざけんじゃねぇぞ松下コラァアアアアアッ!!」

「あのっ、すっ、すみま――――」

「るっせぇッ!! いいからさっさと走れや、このクソ間抜けがッ!!」



 されど、そこからの樋田の動きは迅速であった。

 彼は天使が動き出すよりも早く、松下の手を引いて、一気に階段を駆け上がり始める。しかしそれでもすぐに扉は開かれ、中からウジャウジャと天使の群れが這い出て来た。

 しかし、狭い通路に大人数が殺到すれば当然渋滞となる。そうして彼女達がもたついてる隙に、二人はなんとか階段を登り切ると、咄嗟に近くの小部屋の中へと身を滑り込ませた。


 そのまま口元を覆い隠すように松下を抱きかかえ、呼吸も最低限にひっそりと息をひそめる。やがて地下から出てきた彼女達はすぐさま分散し、それぞれフォーマンセルで四方の通路へと散らばっていった。

 壁越しにぞろぞろと足跡が過ぎていくのが聞こえてからおよそ二十秒、そこで樋田はようやくほっと安堵の息をつく。


「……っぶねぇ、普通に詰んだかと思ったわ」

「あの、すみません。ちょっと手どけてもらえませんか。いや、その、確かに助かりましたけども」

「あぁ、悪い悪い」


 悪いとは言いつつも、変なところは一切触ってないので罪悪感は皆無である。そうして松下を解放してやると、彼女はまるで逃げるようにそっぽを向き、その癖毛をうねうねと弄り始めてしまう。


「私さっきから守られてばかりですね……」

「ああん? ガキが一丁前ににんなこと気にしてんじゃねぇよ。俺としちゃきっちりバテずに走ってくれるだけでも大助かりだわ」

「ですが……」


 なおも一人で何かボソボソと呟く松下であったが、それでもようやく心の整理がついたのだろう。彼女はやがてハァと溜息をつき、先程見た実験室の方へと話題を変える。


「それにしても戯言で言っていたはずの人体実験説がまさか本当だったとは……あの子達は一体何をされているんですか?」

「いや、そんなこと俺に聞かれても知らねぇよ。まぁ、ろくでもねぇことってだけは確かだろうがな」


 息を吐くように嘘をついた。いや、言葉を濁したと言った方が正しいかもしれない。

 しかし、人間が天使に作り変えられているなど、どこから説明していいのか分からないし、何より今はそんなことをのんびり話していていいときではないのだ。


「つーか今はそんなことよりも、どうやってこっからズラかるかだろ。あんだけ人数がいんなら、どこに隠れていてもすぐに嗅ぎつけられちまうぞ」

「いやそうは言いますけども、何か具体的な当てはあるんですか?」

「っるせぇな。一応あるっちゃあるんだぜ。ただビックリするぐらい空振り三振しまくってるってだけで」


 そうして樋田は一度長剣を置くと、黒星ヘイシンに銃弾を補充しながら、思い出したように部屋の中を見渡してみる。

 実際はそれなりの大部屋なんだろうが、多くの棚で空間が区切られているせいで、思ったほどの広さは感じられない。それらの中には如何にもオカルティックな蔵書や、胡散臭い調査書のようなものが無数に敷き詰められている。


「うわっ、なんじゃこりゃ」


 試しにそれらの資料をパラパラとめくってみるが、少しも内容を理解することは出来なかった。日本語で書かれた記述は一つ見当たらないし、そもそも何語で書かれた資料なのかすらも全く検討がつかない。


「どうやら何かの資料室みたいですね。中に何が書いてあるかは欠片も分かりませんが……」

「いや、そう悲観することもねぇだろ。晴に見せりゃ何とか解読出来るかもしれねぇ。ハッ、確かに偶然にしちゃいささか出来すぎだが、ようやく俺らにも運が向いてきたみてぇじゃねぇか」


 樋田は資料の山に目を通しながら、いつの間にかニヤリと意地の悪い笑みを浮かべていた。

 この書庫があの実験室の近くにある以上、ここにある書物も、それらに関連したものであるに違いない。何はともあれ、綾媛りょうえん学園の秘密に迫るに、これ以上の手がかりはないだろう。


 しかし、そうは言ってもこちらはあくまで追われる身。持ち出す資料を一々選別している時間はない。

 そうして樋田はいくつかのレポートを適当に掴み取ると、服の中へ乱暴にしまいこんでいき――――そして、そこでようやく背後より迫り来る人の気配に気が付いた。


 本能的に背後を振り返ると、そこではちょうど一人の天使が樋田に向かってロングソードを振り下ろしたところであった。


「――――チッ、ざけんじゃねぇぞゴラァッ!!」


 樋田は咄嗟に剣の側面を殴りつけ、ギリギリのところで斬撃を右へ逸らす。そしてそのまま手に持っていた黒星で、額に三発ほど鉛玉をぶちこんでやった。

 たちまちに天使体は崩壊し、気を失った少女の体もまたその場に沈む。そこでようやく隣の松下は敵の出現に気付いたようで、


「先輩大丈夫ですかッ!?」

「全然大丈夫じゃねぇよ。勘が働かなかったら普通に死んでたわ……畜生ッ、まさかこんなに早く嗅ぎつけて来るとはな」


 なんとかこの場はやり過ごすことが出来たが、このままではすぐに他の十五人も集まってくることだろう。

 最早迷っている時間はない。樋田は棚の上から長剣を回収すると、そのまま足早に書庫の出口へと向かう――――――しかし、そこにはちょうど部屋の中に入ろうとしているもう一人の天使の姿があった。


「死に晒せえええええええええええええッ!!」


 しかし、それでも樋田は駆けるスピードを緩めはしなかった。

 天使の横を無理矢理に通り過ぎる直前、その左胸に長剣を刺し逃げし、松下と一気に部屋の外へと走り去る。

 そうして書庫の外に出て四方を見渡すと、四つある通路のうち、三つからは既にこちらへと天使の群れが殺到してきていた。二人は仕方なしに残された一つに逃げ込むが、彼女達もすぐに合流して一斉に後ろを追いかけて来る。


「オイ、モジャモジャッ!! さっきからハァハァハァハァるっせぇぞッ。流石にもうへばっちまったかッ!?」

「はぁ? 全然疲れてなんかいませんよ。松下はっ、まだちゃんと……走れますからッ!!」


 そうは言うものの、彼女の息は確かにかなり荒くなっていた。上体が無駄に揺れ始め、フォームは既に滅茶苦茶。顎は下がり、視線も段々と下を向きがちになってしまっている。

 先もまだ逃げ道は続いているが、これでは捕まってしまうのも時間の問題だろう。


「なら逃げんのはもうヤメだ。ここで全員まとめてブチ殺してやるッ!!」

「はぁ? 馬鹿なこと言わないでくださいよ。さっきは五人相手だって結構ギリギリだったじゃないですかッ!?」


 しかし、そうして明らかに追い詰められていながらも、樋田は口元には猟犬を彷彿とさせる獰猛な笑みが浮かんでいた。そこで彼はいきなり足を止め、くるりと天使達の方へと向きなおる。



「心配すんな。俺ァ昔から手癖が悪ぃんだよ」



 続いて彼が懐から取り出したのは、鋭くしなやかな一本の魔杖。それは先程書庫から飛び出す際に、天使の手元から盗み取ったものであった。


 少年はそのまま迫り来る天使達へ迷いなく杖を向ける。当然その使い方など分かるはずもないが、それが術式である以上、樋田可成に使いこなせないものなどない。


 『統天指標』による術式の乗っ取り、言い変えるのならば使い捨ての一撃インスタントアタックとでもいったところであろう。彼は他人の術式に己の『天骸』を上書きすることで、一時的にその使用権を奪い取ることが出来るのである。


「『黄金の鳥籠セラーリオ』」


 そのしゃがれた低い声と共に、右腕に刻まれた赤き紋章が怪しく光り輝く。そこに蓄えられているのは、かつて簒奪王より奪った莫大な『天骸』だ。

 そこから必要な分の力を引き出してしまえば、最早術式を発動する準備は整ったも同然である。


 まるで先程見た天使の動きを再現するように、樋田は細やかに所作と詠唱とを紡いでいき、



「天骸抽出完了、再演術式展開――――擬似聖創『破滅の枝レーヴァテイン』ッ!!!!」



 そうして、必殺技と言わんばかりに力強く杖を振り下ろした。

 直後、その先端からは竜の咆哮が飛び出し、狭い通路の中を瞬く間に埋め尽くす。一列となっていた天使達はろくに避けることも出来ず、全員まとめて炎の洗礼を受けることとなった。


「ひひっ、げひゃひゃひゃひゃひゃッ!! タマンねぇなオイッ!! オラオラ燃えろ、骨の髄まで焼き尽くせえええええええええッ!!」


 樋田は欠片も容赦することなく、更に炎の勢いを強めていく。床は溶け、壁は蒸発し、肌が痺れるほどの熱がこちらまでビリビリと伝わって来る。

 そうして魔杖が全ての炎を吐き出し終わったあと、その場に残されたのは全身を隈なく焼き尽くされた十二体の天使体のみであった。それら仮初めの肉体は即座に崩れ去り、一人残らず元の少女の姿へと戻っていく。


「チッ、やっぱ反動の方はどうにもならねぇか……」


 しかし、あれほど濃密な『天骸』の負荷に晒されて、ただの人に過ぎぬ少年の体が無事で済むはずがない。

 かつて簒奪王と死闘を繰り広げた際と同様、彼の全身にはまるで火に炙られたような火傷が広がっていた。そして、手にしていた魔杖の方もまた、炭となって無残に崩れ落ちていってしまう。


 使い捨ての一撃インスタントアタックは何も万能な能力であるわけではない。

 その名の通り奪った術式は基本的に使い捨てであるし、身の丈に合わない術式を使えば、その重い副作用から逃れることは出来ない。


「先輩、その傷……」

「ああん? まぁ、別に大したことはねぇよ。モノがきっちり握れりゃそれで充分だ」


 確かに外から見るとかなり痛ましい火傷だが、実際そこまで傷が深いわけではないのだ。

 痛みさえ我慢すれば、まだ手も足もしっかり動く。逃げるにしても戦うにしても、現時点ではまだ大きな支障はない。


 ――――さて、残りは一体どこで何をしてやがんだか。


 これで大方の天使は一掃出来たが、まだ油断するには少し早い。

 最初あの実験室の中にいた天使の数は確か十六人であった。今焼き殺した十二人に、先程書庫で仕留めた二人を足しても、まだ充分ではない

 向こうも大幅に数を減らした分、もうそう簡単に姿を現してはくれないはずだ。むしろこれからの方が、気を引き締めて事に当たらなければならないだろう――――しかし、そんな彼の予想はその直後に否定されることとなった。


「全く、我等『綾媛百羽』がこうも簡単に退けられてしまうとは」

「貴方がかなりの実力者であることは分かりました。ならば我等もその強さに敬意をもって、全力でお応えしましょう」


 樋田の予想とは真逆に、残りの天使達はもう逃げも隠れもしなかった。彼が『破滅の枝』を放ったのとは逆の方向から、二人の少女がゆっくりと姿を現わす。

 されど、彼女達は他の十四人のように何か武装を携えているわけではない。むしろ全くの丸腰であった。


「そうか、ならとっとと死ね」


 向こうが何を仕掛けてくるのか分からない以上、先手をとるのが一番だと、樋田は迷いなく黒星の引き金に指をかける。

 しかし、そのとき先手を取ったのはむしろ二人の天使の方であった。こちらへ姿を現わす前に、彼女達の切り札は既に切られていたのである。



「天骸抽出完了。隷従召喚術式展開――――出でよ傲慢を司りし希国の御使『鷲獅子の道ルートオブグリフォース』」



 きっかけはそんな力強い詠唱であった。

 突如彼女達の足元に魔法陣が生じ、その中から莫大な『天骸』が溢れ出していく。そのまるで洪水のような大噴出の後、そこには何か巨大なの影のようなものが現れていた。



「……へはっ、冗談キツイぜ」



 その影のあまりの恐ろしさに、樋田は思わず銃を撃つことも忘れ、無意識のうちに乾いた笑いを浮かべてしまう。


 鷲の上半身に獅子の下半身を持つその姿は、西洋世界に伝わるグリフォンのイメージに近い。しかし、とにかくサイズが規格外であった。

 体長は軽く八メートルに迫るほどで、その鋭い爪はまるで巨大な斧のよう。口元からは泡立った唾液がぼとりと零れ落ち、本物のままに生きる獣の瞳が、ただ真っ直ぐにこちらを見つめている。


 巨大であるというのは、ただそれだけで恐ろしいものである。まだ人類が他の哺乳類と野を駆けていた頃の原始的な恐怖が、少年少女の体を遺伝子レベルで震え上がらせた。


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