第四十二話 『松下希子はかく語りき』
「今の話、私も混ぜてくれませんかね。アロイゼ=シークレンズさん――――そして、
その瞬間、樋田はまるで頭を鈍器で殴られたような衝撃に襲われていた。何故だ何故だと、頭の中を瞬く間に疑問の嵐が渦巻いていく。
何故
そして何より、何故彼女が樋田の名前を知っている?
天使アロイゼ=シークレンズはこの一ヶ月間、常に筆坂晴として振る舞い続けて来たし、樋田に至っては常に『霊体化』していたのだから、本来彼女には名前どころかその存在すらも認知されていないはずなのだ。
しかしその確信はあくまで、松下が『
「……
目を見開いて言う晴と同様、樋田にもそれ以外の答えは思い付かなかった。
二人は勝手に松下のことを異能の領域とは関係かない人間だと思い込んでいたが、恐らくは彼女も樋田と同じ、生まれつき見えるタイプの人間であったのだろう。
そうと分かれば、先程の彼女の奇怪な言動にも納得がいく。
当然『
そんなまさかの事実に驚愕する樋田達を前に、松下はまるで答え合わせだとでも言わんばかりにスラスラと言葉を紡いでいく。
「えぇ、そうです。私にはその人の姿が初めから見えていましたし、貴方達二人の会話も全て聞いていました。なんなら、貴方達が校門の前で里浦先生と話していたその時からずっと――――」
しかし、そんな松下の言葉は、ガチャリという物騒な音と共に突如断ち切られることとなった。
その理由は明白。何故なら晴はいきなり懐から例の拳銃を取り出し、躊躇なくこれを松下のこめかみに押し当てたのである。
「シンプルにいこう。キサマはワタシ達の味方か、それとも敵か? 」
「オイ、やめろ晴ッ!!」
「黙れカセイ。くだらん馴れ合いは身を滅ぼすぞ」
晴は樋田の制止を意にも介さず、そのまま迷いなく引き金に指を掛ける。手際の良すぎることに、いつの間にか発砲準備の方も済ませてあるようであった。
彼女の持つ
「さっさと答えろ。キサマもその歳で両親を悲しませたくはないだろう? 」
その氷のように冷たい声色に、普段の晴の天真爛漫な様子は欠片も見えない。彼女の鋭い群青色の瞳には、冗談では済まない本物の殺意が宿っていた。
アロイゼ=シークレンズは己が善良と定める者は命に代えてでも護ろうとするが、逆にそれ以外の相手には一切容赦がない。もし松下が少しでも敵対する動きを見せたら、この天使は迷いなく引き金を引くのだろう。
まさに一触即発、並の人間ならここで小便を漏らしてもおかしくはない状況だ。しかし、それでも松下は体が震えそうになるのをなんとか抑え、あくまで気丈に振る舞い続ける。
「……銃を下ろしてください。別に貴方達と敵対するつもりはありません。むしろその逆です」
「ほぉ、それで?」
「オイ、テメェいい加減にしろ」
しつこく銃を突きつけ続ける晴に、樋田はそこで遂に我慢がならなくなった。彼が勇気を振り絞って銃口と松下の間に割って入ると、晴はチッと不貞腐れるように舌打ちをする。
「なあ、もういいだろ。少しはアイツの話も聞いてやろうぜ」
「……フン、分かった。ここはオマエの顔に免じて一度引き下がってやろう」
そうして晴が大人しく銃を下ろすと、松下は緊張の糸が切れたようにハァと安堵の息を吐き、そのままどっかりと地面に座り込んでしまう。
確かに去年までランドセル背負ってたような女の子が、いきなり銃なんて向けられれば、腰が抜けてしまっても仕方がないだろう。
そのまま松下の気持ちが落ち着くまで待つ事三十秒。やがて彼女は樋田の手を借りて、ゆっくりとその場に立ち上がる。
「大丈夫かお前?」
「……はい、ありがとうございました。とりあえずは落ち着きました」
そうして松下希子はしっかりと自分の足で大地を踏みしめると、西の方に見える巨大な建物を指差して言う。
「こんなところで長話もなんですし、二人とも私の寮室まで来てくれますか? 特に筆坂さんには色々と見せたいものもありますし……、そこで私が知っている全てを貴方達に話しましょう」
そんな松下の提案に「いいよな?」と晴の方をチラ見すると、彼女も今回は大人しく首肯してくれた。
こうして二人は、松下の暮らす学生寮へと向かうことに相成ったのである。
♢
「女の子の部屋行くとか結構ドキドキするよな」
「……この状況で緊張感のないことをほざきおって。爪の一、二枚でも引き剥がされたいのか?」
裏路地での一波乱がひとまず話し合いの形で収まってから、およそ十五分後。松下希子に連れていかれるがままやって来た学生寮は、やはりこの学園らしく非常に広大かつ、過分なまでに豪勢なものであった。
左を見ても右を見ても大理石だらけな時点で大分金銭感覚が狂ってるし、生体認証を用いたオートロックに怖いぐらいに早いエレベーターと設備の方も大分充実している。
外から見たときは非常に巨大な建物であるように思ったのだが、上記のエレベーターに乗り込むとものの数分で彼女の部屋の前まで到着してしまった。
「悪いですが机引っ張り出すの手伝ってくれますか?」
「おい、見ろカセイッ! ピアノがあるぞ、洒落オツだなッ!」
「緊張感云々はどうしたんだよ」
おもむろに部屋の中を見渡す。
白と黒を基調にしたモダン調の内装、物が少なくあまり女の子の部屋という感じはしない。しかし、とにかく楽器がたくさんあった。晴が指差すピアノに加え、傍の壁にはギターが立て掛けてあり、部屋の奥にはドラムまで見える。
それから松下に言われるがまま樋田は部屋の隅に追いやられていた大きな机を移動させた。あとは各々がそこらの勉強机の椅子やらピアノの椅子やらを持ち寄り、なんとか三人が座って話せる場を作り上げる。
そのあと松下は一度キッチンの方へと向かってしまったが、数分後には人数分の湯呑みを持ってテクテク戻って来た。
「ほうじ茶しかないんですが、二人共大丈夫ですよね?」
「嗚呼、別に私は構わん」
「右に同じく」
松下が湯呑みをテーブルに並べ、崩れ落ちるように座り次第、三人はズズッと一斉に湯呑みを傾ける。
そうして乾いた喉も潤い、ようやく落ち着いて話の出来る環境が整ったところで、まずはじめに口を開いたのは他ならぬ筆坂晴であった。
「そうだな、まずはキサマが一体何者なのか話してもらおうか。キサマを生かすか殺すかは、そのあとでワタシが判断する」
その晴の有無を言わせぬ鋭い視線に、松下はゴクリと生唾を飲みこんでしまう。しかし、彼女はようやく意を決したのか、やがてポツリポツリと己の事情について話し始めた。
「まず最初にこれだけは言っておきますが、私はあのクソ生徒会の仲間なんかじゃありませんし、人に胸を張って言えないようなことは何もしていません。私も紗織も、この学園に来るまではどこにでもいる普通の女の子としての人生しか送って来ませんでしたから」
「ほぉ、その口振りだと、やはりこの学園の異常性には早くから気付いていたのだな?」
先程よりはいくらか声色が柔らかくなった晴の問いに、松下は即座に然りと首肯する。
「はい。この学園がどこかおかしいことには、私も入学してすぐに気が付きました。実は私達は入学式の時にも、あの変な黒い物体を見せられたんです。そのあと起きたことは……、今日とほとんど変わらないものでした。誰もがいつの間にか本気で学園の言う主とやらの存在を信じ始め、挙げ句の果てには先週見たような訳のわからない祈りのようなものを捧げ始めて――――本当私以外はみんな一様そうなってしまったものですから、逆に間違っているのは自分の方なんじゃないかと思ったこともありましたよ」
松下はそこで「そして」と一度言葉を切ると
「最初のうちは特にトラブルのようなことは起こらなかったんですが、それでも私みたいに……、その確か洗脳でしたっけ? それが効かない子が何人かはいたみたいなんです」
その松下の口振りを見るに、やはり彼女は生まれつき『
『
何はともあれ『
即ち『
本来そのような人間はほとんどいないらしいが、何故かこの学園には先天的な『
そしてこの話の本題はそのあとのこと――――松下と同じ先天的に『
「何人かは
晴がそう問うと、松下は苦々しい表情をしながらゆっくり顔を縦に振る。そこには無力で惰弱な自身への怒りの色が滲んでいた。
「はい……、そういう人達はみんな正気を保っていることがバレ次第、生徒会の連中にどこかへと連れていかれてしまいました。それこそ先週飛び降り未遂をした人が典型的な例ですね」
「なるほどな。だからキサマはこれまで食堂でも生徒総会でも洗脳にかかったふりをしていたのか」
「……そうです。まだ自分が正気であることがバレてしまえば、私もアイツらに連行されるのは明白でしたから。ですから別に貴方達を意図的に騙そうとしたわけじゃないんですよ」
そうどこか怯えるように言う松下の姿に、チョロいことに定評のある樋田は半ば既に警戒心を解いていた。
しかし、それでも疑り深い隣の天使サマは、未だ彼女のことを信用出来ないようで、
「何故今になってそれを私達に話す?」
最終確認と言わんばかりの問いに、松下は一瞬目が泳ぎそうになり――――それでも最後には真っ直ぐには晴を見つめ返した。
「貴方達が何かしら特別な人間だということは、確かに最初から分かっていましたよ。正直僥倖だと思いました。もしかしたらこの人達になら、この学園のことを相談出来るんじゃないかって」
「それなら最初から話してくれれば、ワタシもここまでキサマを疑うことはなかったんだがな」
「仕方ないじゃないですか。私も怖かったんですよ。あのときはまだ貴方達がどのような立ち位置にいるのか分かりませんでしたから。貴方達が多少は信頼出来る人格の持ち主であること、そしてこの学園を明確に敵視していることを確かめるまで、不用意に私の秘密を教えたくはなかったんです……」
なるほど、確かにそう言われれば話の筋は通る。
松下は偶然にも『
そんないつ自分が訳の分からない理由で連行されるのかも分からない状況で、そう簡単に人を信じるわけにもいかないのも、当然のことと言えば当然のことであろう。
そう思って晴の方を見てみると、彼女もまた納得したと言わんばかりにコクコク首を縦に振っていた。続いて彼女はハアと溜息をつくと、申し訳なさそうに軽く頭を下げてみせる。
「うむ、なるほどな。これでそちらの事情は大体飲み込めた……。キサマも色々と大変だったろうに、変に疑って悪かったな。今はとりあえず謝らせてくれ」
「えっ、いえ、いいですよ別にそんな。私も私で貴方達を試すような真似をしましたし」
日本人らしくお辞儀にはお辞儀で返す松下だったが、当の晴は許しの言葉を得るや否やガバッと顔を上げる。そして愉快とでも言わんばかりにカラカラと笑い出したのであった。
「おう、そうかそうかッ!! 確かにそう言われればお互い様だなお互い様。いやあ雨降って地固まるとも言うし、これからは一緒にお手手繋いで仲良くやっていこうではないか松下よ。くはっ、ふはははははははははッ!」
「お前なぁ……」
もう松下を警戒する必要はないと悟ったのか、殺伐ぶっ殺モードから普段のアホの子モードに戻る晴であるが、先程の凄まじいプレッシャーを思い出すと、そのどちらが本来の彼女であるのか本気で分からなくなってくる。
晴にそんな訝しげな視線を送る細目チンピラはさておき、続いて目の前のふわふわジト目は控えめに挙手をする。
「あの誤解も解けたところで少し聞きたいんですか……?」
「なんだ。ワタシで答えられる範疇ならば答えてやるが」
「いえ、そもそも貴方達はその、あれが何なのか知っているんですか?」
まあそうなるわなと、樋田は心中で独り言つ。
松下の言うあれとは間違いなく当学に蔓延る洗脳術式のことだろう。
どうやって説明するのかしらと晴をチラ見すると、彼女はいつのまにかそれまでのふざけた表情を引っ込めていた。
そうして彼女はおもむろに懐へ手を入れる。
一体何をするのかと思ったら、何と晴は流れるような動作で黒星を取り出し、再びその銃口を松下の額に突き付けたのだ。
あまりにも突然のことに松下はギョッと目を見開く。
「えっ、ちょっ、なんでッ……!!」
「オイッ、晴ッ!!」
「少し黙れ」
またコイツは極端なことをと樋田は声を荒げるが、対する天使は拳銃を構えたまま構わずに話を続ける。
「キサマには今二つの選択肢がある。一つは今すぐその口を噤んで長生きする賢い選択、もう一つはいっときのくだらん好奇心と正義感のために早死にする愚かな選択だ」
「……余計な詮索をすれば殺すってことですか?」
「勘違いするな。別にワタシが今ここでキサマを殺すわけではない。だがキサマが知らなくてもいいことを知ってしまったならば、必ず近いうちにこうして額に銃を突き付けられるときが来る。これはそういう意味での忠告だ」
これだけ脅せば充分だと判断したのか、晴は再び懐に拳銃をしまう。
「覚えておけ。キサマらのような弱者にとって無知は加護となり得る。何も知らない素人など態々消す理由もないからな。殺されないだけの力が持てないのならば、せめて殺されないための振る舞いぐらい身に付けろ」
「は、はい。肝に銘じます…………ん? つまり、遠回しに心配してくれてんですか?」
「べっ、別に心配なんかしてないんじゃが〜、キサマが余計なムーブをして、向こうにこちらの動きを勘付かれる可能性を事前に潰しているだけなんじゃが〜」
「照れ隠し下手糞すぎだろ、お前」
まあ何はともあれ今の話で松下も納得してくれたようである。
ならばそろそろ本題に入ろうと、晴が口を開きかけたそんなときであった。
「オイどうしたんだ、キコ?」
「――――えっ?」
少女の頬を伝う一筋の涙におもわず意識を奪われてしまう。松下も松下でそこでようやく自分が泣いていることに気付いたのか、慌てて袖口で目元を拭い始めた。
「いやっ……、すみません。なんでしょう。やっと話の通じる人に出会えたせいか、私なんだかホッとしちゃったみたいです……」
松下はそうしみじみと言うと、続いて気持ちを入れ替えんばかりに表情を固く引き締める。そうして最後にはテーブルに手をつき、深く頭を下げてこう続けた。
「みんながみんな洗脳されてしまっていることを抜きにしても、最近紗織の様子が何だかおかしいんです。彼女も普段は普通にふるまっている――――いや、多分なんでもないフリをしているんでしょうね。その証拠にあの子はたまにどこか酷く怯えているような目を見せるんです。それこそまるで私に何かを隠しているみたいに……。多分そのことも、この学園の何かと関係しているんじゃないかと思うんです」
そしてそこで「ですから」と一度言葉を切り、
「樋田さん、筆坂さん。私立
「お前……」
あのプライドの高そうな松下が、友を守るため必死になるその姿に、樋田は自身の胸がじんわりと熱くなっていくのを感じていた。
未だ言葉を交わしたことはほとんどなくとも、樋田は既に彼女のことを好意的に見ている。特に助けてくれと他人化任せにするのではなく、力を貸して欲しいと言ったところが気に入った。
ここで仮に彼女に救いの手を差し伸べず、自己保身のため見殺しにするようなことがあれば――――樋田可成は今度こそ人間をやめなくてはならないだろう。
「あぁ、いいぜ。態々頼まれるまでもねぇ」
そうして樋田は無駄に低い声でカッコつけると、さっきからこそこそ考えていたキメゼリフをドヤ顔で吐こうとし、
「あい分かった。このアロイゼ=シークレンズの名に誓い、必ずやキサマらを元の日常に戻すことを約束しよう。だからそう一人で思い詰めるな、もう何でもかんでも一人で背負い込む必要はないのだからな」
結局隣のロリっ子にいいところを全部もっていかれてしまうのであった。
晴が松下の肩にポンっと手を置くと、御簾のように垂れた癖毛の向こうから「ありがとうございます」と押し殺したような声が聞こえてくる。
まあ実際樋田はさっきから何も喋ってなかったし、松下に対して何かしてあげた訳でもないので、ここはこのロリの皮を被ったイケメンに任すのが道理であろう。
樋田は松下が懸命に涙を堪えてる様に気付かないふりをし、したくもないトイレを理由に一度リビングをあとにした。
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