第二十五話 『叛逆への道筋』


「降りるぞ」


 晴に抱えられたまま夜の空を飛び回って暫し。

 飛行中に発動させた『顕理鏡セケル』の電子モニターを覗き込みながら、彼女は抑揚のない声でぼそりと呟いた。

 恐らくは周囲に首無しの反応が少なく、簒奪王さんだつおうからもそれなりに距離がある安全地帯を見つけられたのだろう。

 そうして晴が向かったのは、視線の先に聳え立つ廃ビルの一つ。一行はその窓ガラスに空いた巨大な穴を潜り抜け、これまた随分と荒れ果てた建物の中へと侵入する。

 見た限り環境は劣悪だが、一時的に休息を取るなり作戦を立てたりする分には困らなそうであった。


「ふぅ、なんとか助かったな――――べばッ!!」


 これでようやく肩の荷を下ろせると樋田が安堵の息を吐いた次の瞬間、晴は突如少年の体を足元に向けて投げ捨てた。

 彼はそのまま成すすべなく落下し、四メートル下の地面に背中から激突。ついでにゴツゴツしたコンクリートの上を転がさせられ、既に痣だらけの体に更なる生傷が追加された。


「バッ……、痛ッてぇええええッ!! いきなりしやがんだコノヤロウ――――――――――うっ」


 そのあまりにも理不尽な扱いに文句を言おうとする樋田であったが、こちらを睨む晴の凄まじい剣幕に思わず言葉を飲みこんでしまう。


 大きな瞳は瞳孔が開きっぱなしで、その顔は一瞬能面かと見間違うほどの無表情。これは明らかに怒っている。というか、滅茶苦茶怒っている。

 前に彼女が樋田の首を刎ねたとき、あるいは『燭陰ヂュインの瞳』を奪われたときですらも、確かここまで怖い顔はしていなかったと思う。


「何故キサマがここにいる……?」


 それは冷たく鋭いまるで刃物のような一言であった。

 そう問われることは覚悟していたというのに、彼女の纏う刺々しい雰囲気に、樋田はつい気圧されそうになってしまう。


「そっ、そんなもん。テメェを助けるために決まって――――」

「だからっ、何故助けに来たかと聞いているんだ。痛いのは嫌だ、死ぬのは怖い。あの夜そう情けなく喚き散らしていたのは、紛れもないキサマではないか……?」


 痛いところを突かれて、樋田はゴクリと生唾を飲み込む。

 こちらを睨む晴の目が冷たいのも当たり前だ。己が救いようのないクズであることは、態々他人に言われずとも分かる。

 樋田可成はあの夜、人として決して言ってはいけないことを口にした。自分の弱さを免罪符に、被害者という立場に胡座をかいて、彼女を罵り、侮辱し、その命を必要な犠牲だと決めつけて見捨ててしまった。


 今更のこのこと助けに来たところで、どのツラ下げてと蔑まれるのが関の山なのかもしれない。

 一度口にしてしまったその罵詈雑言は、そして何より一度犯してしまったその罪業は、決して無かった事になど出来はしないのだから。


「ハッ……、そりゃ怖えに決まってんだろ。俺ァ今でもこんなクソみてぇな争いに巻き込まれんのは御免だって、心の底からそう思ってるわ」

「だったらヘタレはさっさと家に帰って――――」

「だがなッ、俺ァ気付いちまったんだよッ!!」


 それでも樋田は確かに命を賭ける覚悟をして、この戦場までやって来た。

 別に端から許してもらおうなんて都合のいいことは考えていない。この場で晴に拒絶され、腹いせに首を刎ねられても仕方がないと本気で思っている。それでも彼は、少年は、樋田可成は――――。

 

「確かに死ぬのは怖い。こんな歳で何かを為すことも無いまま地獄行きだなんて冗談じゃねぇ……でもな、それでもなあ、晴。俺はテメェが死ぬことなんかより、お前を喪うことの方がずっと怖いってッ、そう、気付いちまったんだよ……」


 それでも樋田可成は、筆坂晴を助ける。

 この理不尽で残酷な世界から、その命を完璧に救い出す。そんな身の程知らずの理想こそが、彼が最後に自分で選び取った唯一の答えなのだから。


「……カセイ」


 言いたい事を言い切ったせいか、樋田はその瞬間場違いにもスッキリとした気分になっていた。対する晴は思わずといった具合に下を俯き、その小さな体を小刻みにプルプルと震わせ始める。

 その顔のほとんどは長い前髪の下に隠れてしまい、彼女が今どのような表情をしているのかは分からない。


 やがて、晴は意を決したとばかりに顔を上げる。そして樋田のことを真顔で見つめ返すと、

 


「ぶッ――――くっ、くはははははははははッ!!」



 両手で腹を抱えて馬鹿みたいに笑い出した。


 ――――は……?


 何故この幼女は笑っている。何故この状況で、この流れで、こんなにも楽しそうに笑っていられる。

 あまりにも予想外な展開に呆然とする樋田を尻目に、晴はより一層明るく楽しく笑い狂う。その幼い見た目にはとても似つかない豪快な笑い声に、直前までの重苦しい雰囲気が、まとめて吹き飛ばされたしまったかのようだった。

 やがて、彼女は目元の笑い涙を袖で拭いながら言う。


「……全く、キサマはこのワタシを笑い死にさせるつもりか? なーにが『自分が死ぬよりも、お前が死ぬ方が怖いから助ける』だ。あんな如何にも覚悟決めましたーみたいな顔をしておいて、結局願望の方向性は超ネガティブとか滑稽にも程があるぞ――――ふっ、ふはははははははははははッ!!」


「わっ、笑いすぎだ馬鹿野郎ッ!?」


 反射的に言い返してしまったものの、なるほど確かにそれは滑稽だ。いざ他人の口から言われてみると、何だかとんでもなく情けない事を口走ってしまったような気がしてくる。

 やはり生まれ持っての人間性はそう簡単に変わることなど出来はしない。樋田も多少は人間として成長出来たが、その本質は未だヘタレのまま変わってはいないのだろう。


 にわかに恥ずかしくなってきた樋田は、晴から少し離れて、顔を隠すように背中を向ける。しかしそれでも晴の弄りという名の追撃はとどまる事を知らない。


「足、震えているぞ」

「うるせえ、見逃せ」

「ワタシはかつてキサマを殺した女だぞ」

「知ってる。だがそれ以上に俺はテメェに救われた。悪いが借りっぱなしは性に合わねえんだよ」

「ハッ、たかだか出会って三日しか経っていない相手のために命を賭けるとは……キサマもしかしてワタシのことが大好きすぎるな?」

「うるっせぇな、やる気失せっから少し黙りやがれッ!! つーかそれはテメェも似たようなモンだろうがッ!!」


 しつこい晴の口撃に思わず声を荒げたものの、樋田はすぐに気が抜けたようにフッと笑った。


 まだ彼女と別れてから三日も経っていないと言うのに、こうして言い争うのが何だか遠い昔のことであったかのように感じてしまう。晴もこちらと似たようなことを考えていたのか、その口元が緩んでいるのが見てとれた。


「フッ、生半可な覚悟で首を突っ込んで来たならば、簒奪王よりも先にこのワタシがキサマを殺してやるところだったが……うむ、その覚悟は確かに伝わった――――以後キサマのことは遠慮なく戦力として考えるが問題はあるまいな?」


 そんな晴の真剣な問いに樋田は黙って首を縦に振る。

 そうして少年の目付きが優から厳に切り替わったことを確かめると、晴はかつて天界より共有された簒奪王の情報をつらつらと説明しだした。


 彼女の話によれば、天使ワスター=ウィル=フォルカートが保有する術式は、今現在判明している分だけでも五つを数えると言う。


 一つは、奴自身の人生を昇華した権能で、触れた相手に紋章を刻み、そこから延々に『天骸アストラ』吸い取り続ける天骸収奪術式『黄金の鳥籠セラーリオ』。


 一つは、自らの手で殺めた人間を、生前のスペックそのままに、意思無き肉塊として使役する神権代行術式『未練の奴隷エターナルアクト』。


 一つは、『神の言葉はサタンと戦う為の霊の剣である』というエフェソ書の記述を術式化したもので、特定の聖句を唱えることにより不可視の刃を生み出すことが出来る霊的斬撃術式『霊の剣エル=ミラ』。


 一つは、莫大な天骸の消費と引き換えに、凡ゆる外傷を瞬時に修復する無限再生術式『覚醒細胞イモータル』。


 この他にも簒奪王は空間の一部を『異界』として切り取る術式を持っているとのことだが、直接戦闘で考慮すべきなのは上記の四つのみであると晴は言う。

 そうは言っても簒奪王が有する術式は、素人の樋田でも分かるほどに強力なものばかりだ。越えねばならない壁はあまりにも高いと言わざるを得ない。


「……それにしてもふざけた野郎だな。なあ晴、ヤツの殺し方に何か当てはあんのか? 」


「そうだな……『未練の奴隷エターナルアクト』を出し抜き一騎打ちに持ち込んだあと、全ての『霊の剣エル=ミラ』をかわしながら肉薄、『黄金の鳥籠セラーリオ』の発動を避けるため凡ゆる攻撃を完璧に避けた上で、『覚醒細胞イモータル』が機能しないよう一撃で即死させれば、流石にヤツも死ぬのではないか?」


「言ってて無理ゲーだと気付かねぇなら、テメェは相当のお花畑だな。まぁ、ここまできた以上やるしかねぇんだけどよ――――つーかテンパってて聞くの忘れてたんだが、完全に天使化したら天界に居場所がバレるんじゃなかったのか?」


 思い出したように言いながら、樋田は晴の右の翼を指差す。

 先程煙に巻かれただけに、やはり一応その答えは聞いておきたい。実際晴ならば何かしらの対策はしているだろうから、樋田自身あまり心配はしていないのだが――――。


「あぁそりゃあ間違いなくバレたな。恐らくあと十五分、いや十分もすれば、空から天使がわらわらと舞い降りてくるだろうよ」


 そんなまさかの爆弾発言に、樋田の甘い考えは刹那で消し飛んだ。大丈夫だと高を括っていたこともあり、その平たい顔からは瞬く間に血の気が失われていく。


「……それ、まずいんじゃね?」


「キサマはあの場で八つ裂きにされた方が、今の状況よりもマシだったと? それにマズイことは確かだが、これも作戦のうちだ」


「俺の頭でも分かるように説明してくれ」


「簒奪王の視点に立って考えてみろ。このまま戦いが長引いて天界の連中が乱入してくれば、ようやく手が届きそうな『燭陰ヂュインの瞳』を横取りされる危険が出てくるんだぞ。そうなれば、一体ヤツはどうすると思う?」


 樋田は虚空を見つめて一瞬考えるような顔を見せると、


「焦る、ってことか……?」


「そういうことだ。付け加えるならば、首無し共だけではワタシ達を仕留めるのに時間がかかりすぎると考え、恐らく次は簒奪王が自ら前線まで出てくるだろう……で、そこに隙が出来る。こちらとしては数に任せて持久戦を取られるのが一番絶望的な展開だからな。強制的に短期決戦に持ち込めることは、ワタシ達にとって大きなアドバンテージとなろう」


「お前本当によく考えてるな、素直に尊敬するぜ。で、こっちの問題は如何にその猪を上手く狩るかってことか」


「そうなるな。ヤツは人海戦術と中距離アウトレンジに頼り切りで、正直白兵戦はワタシ以下だ。首無し共を何とか引き剥がし、一気に接近すれば勝機はあるだろう……」


 その晴の言葉に、樋田は胸の内が静かに高揚していくのを確かに感じていた。彼女と情報を共有し、作戦を煮詰めていくにつれて、不可能かと思われた簒奪王討伐が少しずつ現実味を帯びてくる。

 これならいけるかもしれない。いや、必ずそうしなくてはならいのだと、少年は決意と共に固く両の拳を握りしめる。



「――――と思っている時代が私にもありました」



 されど、そう気まずそうに続ける晴の一言に、ようやく見えかけた前途の光明は早くも幻だったと気付かされる。


「……オイ晴、そりゃどういうことだ?」


「万全の状態ならばそれでも充分勝機があったんだが、残念ながら今のワタシはこのザマだ。両翼化して多少はマシになったが、未だ翼の状態は酷いし、『天骸アストラ』の方もほぼ尽きかけている。上手く事を進めても、正直ヤツの首落とすのは難しいと言わざるを得ないだろう……」


 その晴にしてはやけに弱々しく絶望的な声色に、樋田は思わず言葉を返すことが出来なかった。


 つまり最初から樋田が彼女に手を貸していれば、簒奪王を倒すことも充分に可能だったのだ。

 そうすれば当然晴がここまで追い詰められることは無かっただろうし、罪無き犠牲者の数ももっと少なく済ませられたかもしれない。


 されどそんな素晴らしい未来、より良い可能性は、樋田可成の醜悪な自己保身によって既に失われている。

 少年は確かに新たな一歩を踏み出すことには成功したが、あまりにも一人で立ち上がるのが遅すぎたのかもしれない。


 やがて二人は口を閉ざすと、それきりしんと黙り込んでしまう。途端に重苦しい空気がドッと肩にのしかかり、荒れ果てた室内の陰湿な雰囲気が更にそれを助長する。


 手詰まり、ふとそんな言葉が頭をよぎった。


 いや、違う。ダメだ、考えろ。必ず晴を助けると、そう樋田は誓ったのだ。

 必ずどこかに弱点があるはず、一見完璧に思えるヤツの戦法にも綻びはあるはずだ。それを見つけ出せ、考えろ、考えろ考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ――――しかし、いくら樋田が頭を捻ったところで、そんな都合のいい妙案は浮かんでこない。

 そうして樋田が完全に思考の泥沼にはまっていると、突然思い出したように晴が口を開いた。


「カセイ、一つ疑問なんだがいいか?」

「…………ん、そりゃ構わねえが」

「オマエ、どうやってここまで来たんだ?」


 もう自分達が合流してから大分長い時間が経っているというのに、何故彼女は今更そんな事を聞くのだろう。質問の意図は分からないが、晴が言うからにはそこに何か突破口があるのかもしれない。

 そう信じて樋田は全てを正直に話した。


「どうやってと言われてもな……まあ、そりゃ普通に走って――――」

「そういうことじゃない。何故ワタシと簒奪王がここで戦っていることが分かったのかと聞いているんだ? 考えなしにそこらを走り回っていたら偶々見つかったと言うわけでもないんだろう?」


 樋田はそこまで言われて、ようやく嗚呼と晴の言いたいことを理解する。確かに彼女の言う通り、彼がここまで辿り着いた経緯はとても真っ当なものではなかったのだ。

 窮地に次ぐ窮地の連続ですっかり頭から抜け落ちていたが、確かには彼女に報告しなくてはならない事柄であろう。


「あぁ、そりゃこれだ」


 樋田は長袖をまくり、その下の右腕――――正確にはそこに刻まれた『獣の牙を髣髴とさせる赤い紋章』を晴に見せつける。


 直後、彼女が信じられないとばかりに目を見開いたのは当然のことであった。


「『黄金の鳥籠セラーリオ』の紋章ではないかッ!! いや、キサマも簒奪王に襲われたのだから、それを刻まれていてもおかしくはないか……いや、待てよ」


 何やらいきなり大声をあげたかと思えば、晴はそのまま口元に手を当てて考え込んでしまう。もしかして何か簒奪王を倒す為の妙案を思いつきでもしたのだろうか。

 話しかけるのは邪魔になりそうだが、それを黙って待っているのも時間の無駄。よって樋田はこれまでの経緯を概して話すことにした。


「実際お前の言う通り、助けに行こうと決心したはいいもの居場所が分からなくてな。パニクって闇雲にそこらを走り回ってたら、急にこの赤い紋章が浮き出てきたんだよ」


 晴からのリアクションはないが、何かしらのヒントになるかもしれないのでそのまま続ける。


「で、とりあえず試しに俺の『天骸アストラ』を流し込んでみたら、この場所のイメージが頭に浮かんで来たってわけだ。それこそまるでコイツが教えてくれてるみたいにな。流石に都合が良すぎるとは思ったが、他に当ても無ぇしと走って来てみれば、まさかのビンゴって寸法よ」


 そう樋田が一思いに言い切った後も、晴は暫く取り憑かれたように考え込んだままであった。されど、やがて彼女は顔を上げると、こちらの右腕をおもむろに掴み取る。


「『顕理鏡セケル』」


 囁きと共に少女の周囲に電子モニターが展開されるが、それもほんの一瞬のことであった。

 どうやら此度の調べ物にそれほど時間はかからなかったのだろう。

 すぐに納得したとばかりに術式を解除し、晴はこれまでと変わらず偉そうに腕を組む。


「つまりは、そういうことか……」


「オイ、勝手に一人で納得するのやめろ」


「いや、考えてもみろ。『黄金の鳥籠セラーリオ』は紋章を刻んだ者から延々に『天骸アストラ』を吸い取り続ける術式だぞ。キサマが初めて首無しと接触したのは三日前の夜、そんな長い時間『天骸アストラ』を吸い取られ続けているというのに、キサマは何故生きているんだ? 」


 晴は得意げにそう言うと、そこでいちど言葉を区切り、


「結論から言えば、この紋章の力は最早機能していない。いや正確には簒奪王の力は機能していないんだ。ここまで話せば、もうワタシの考えていることはわかるな? 」


 そうして最後に彼女は樋田の左目を真っ直ぐに見つめた。正確には、かつてこの少年が隻翼の天使から『奪い取った』神の力を見つめたのだ。


「喜べカセイ、この街の夜明けは近いぞ」


 そう断言してニヤリと微笑む晴の表情は、彼女と出会ってからの中で最も頼もしく、そして最も活き活きとしたものであった。

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