第二十四話 『双翼の攻』


 なんとか間に合った――――そう樋田ひだはほんの一瞬場違いにも安堵しかけ、すぐにその緩んだ顔を固く引き締め直す。

 確かに晴が生きていたことはこの上ない喜びだが、簒奪王との戦いは未だ始まったばかりだ。この忌まわしき男を地獄の底に叩き落とすまで、決して肩の力を抜くことは許されない。


「……オイ、カセイッ!! 何故キサマがここにッ!?」

「テメェの言いたいことは分かるが、説教は後にしちゃくれねぇか」


 背後でうるさく喚く晴を宥めつつ、樋田は真っ直ぐに簒奪王さんだつおうを睨みつける。向こうも晴と同じく少年の乱入に一瞬驚いた様子であったが、既にその表情は元の王らしい余裕と優雅を取り戻していた。


「……律儀な男だ。折角拾った命を、態々余に献上しに舞い戻るとはな」


「バカ言ってんじゃねぇよ。俺ァいつでもテメェの命最優先の臆病モンだぜ。そんな俺が勝算も無しにのこのこテメェの前に出てくる訳ねぇだろうがッ」


 鉄パイプを王に向けて突き出したまま、ニヤりと意地の悪い笑みを浮かべる樋田。そのおよそ彼らしくない余裕な態度に、簒奪王もまた愉快そうに口の端を釣り上げる。


「なるほどな。確かに卿のような小人に命を賭けて闘う覚悟などない……か。フッ、いいだろう。しからば、その勝算とやらを篤と此の王の前で披露してみせるがいい」


「……ほざいたな。後でケツ突き出しながら謝る羽目になっても知らねぇぞ」


 そんな威勢のいい言葉と共に、樋田の纏う飄々とした雰囲気がガラリと切り替わる。元から鋭い目付きは更に薄く研ぎ澄まされ、そこから溢れ出るドス黒い感情は、紛れもない本物の殺意だ。


 樋田も簒奪王も、最早一瞬たりとも互いから目を逸らしはしない。己の生唾を飲む音と、胸の鼓動以外何も聞こえない極限の緊張感が、この廃ビル街を丸ごと包み込み、息をするのも憚れるほどに圧迫する。


「テメェを倒す方法、そんなモンはな――――」


 その膠着状態を先に打ち破ったのは樋田の方であった。彼はさりげなく傷付いた晴の体を背中に背負うと、



「そんなモン、超逃げるだけに決まってんだろうがあああああああああああああああああッ!!」



 迷いなく憎き敵に背を向けて、その場から脇目も振らずに逃げ出したのである。そのあまりにも堂々とした敗北宣言に、晴はおろか簒奪王すらも一瞬呆気にとられてしまう。


「……オイ、少し、待て、カセイッ!! ワタシは、キサマに、言わねば、ならない、ことが、あるッ!!」

「ごちゃごちゃうるせぇぞ死に損ないがッ!! 最終的にはブチのめすにしても、ここは一旦引くしかねぇだろうがッ!!」


 一見樋田が臆病を晒しただけのようにも見えるが、この瞬間において確かに彼の判断は正しかった。

 樋田可成と筆坂晴、その二人の力を合わせても簒奪王の実力には遠く及ばない。あのまま碌に作戦も立てずに正面からぶつかるのは、下策中の下策と言わざるを得ないだろう。


 樋田はその背に晴を背負いながらも、瓦礫だらけで足場が悪いなかを巧みに走り抜け、みるみるうちに簒奪王との距離を離していく。

 しかし腕の一振りでビルを両断するような怪物の追撃を、たかが人間の足だけで振り切れるはずもなかった。


「――――興醒めだ」


 王がそう吐き捨て、前方へ右手を構えると、再び周囲の首無し達が一斉にあの耳障りな慟哭を響かせる。そして次の瞬間、逃げる樋田の背中に向けて真っ直ぐに一筋の斬撃が放たれた。


「――――オイッ、カセイ後ろッ!?」

「んなこたぁ分かってるッ!!」


 荒々しく空気を切り裂きながら、瞬く間に少年の背後へと迫る不可視の刃。重荷を背負った樋田の体ではこれを防ぐことは勿論、紙一重でかわすことすらもままならない。


 だから、彼はその一撃を黙って受け入れることにした。



「カセェェェエエエエエエエエエエッ!!!!!!」



 直後、晴の悲痛な叫び声と共に斬撃が一閃し、少年の両足は根元から呆気なく斬り飛ばされた。


 痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い死ぬほど痛い。声にもならない絶叫は瞬く間に少年の全身を駆け巡り、想像を絶する凄まじい激痛に冗談抜きで一瞬意識が飛びかける。


 ――――クッソ、痛ッてぇえええええええええええええええええッ……!! だがなッ、こんぐらいのクソ展開はきっちり想定済みなんだよッ……!!


 両足と共にバランスを失った樋田の体は、そのままグラリと前のめりに崩れ落ちていく。


 以前までの樋田ならば、ここで全てを諦めていただろう。理不尽に抗うことも、自分の理想を通すことも諦めて、その絶望をすんなりと受け入れてしまっていただろう。


 だが、今は違う。この絶体絶命の局面を覆そうとするだけの根性が、或いは覆せるだけの手段が今の彼にはある。

 そしてそれ以上に、こんなところでは倒れられない理由が樋田可成にはあるのだ。


 筆坂晴の命を完璧に救い、忌まわしき簒奪王を地獄に叩き落とす――――そんな身の程知らずな願いを叶えるため、少年は己が左目に宿る力に全てを託した。



「オラァァァァアアアアアッ!! ぶっつけ本番『燭陰ヂュインの瞳』イイイイイイイイイイイイッ!!」



 その獣じみた咆哮と共に、少年の左目より白とも白濁ともつかない歪んだ色が溢れ出す。

 幸い『天骸アストラ』の生成と、術式の起動には問題なく成功した。あとは『燭陰ヂュインの瞳』が有する時間遡行能力を、実際に行使するだけである。

 大丈夫だ、自分を信じろ。失敗を恐れる必要などどこにもない。晴と共に繰り返したあの長い実験の中で、異能を扱う感覚は既に掴めている。


 時間遡行の対象は、哀れにも斬り飛ばされた己が両足。その状態時間を五秒前に――――即ち不可視の刃によって切り裂かれる前の状態へと巻き戻す。


 直後、世界に一つの歪みが生じた。


 それはまるで一度ガラスのように砕け散った空間が、別の形へと再構築されていくような摩訶不思議な光景。

 そしてそんな一瞬の超常現象が収束した直後、両断された樋田の両足は何事もなかったかのように元通りになっていた。


「――――――――ぎひっ、げひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃッ!! オラァッ、どうにかなったぞ馬鹿野郎オオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 崩れかけた足元のバランスを何とか取り戻しつつ、樋田はまるで鬼のように叫び狂う。実際足を斬り飛ばされてから、術式を発動するまでにかかった時間は一秒にも満たないだろう。

 足さえ取り戻すことが出来ればこっちのもの――――少年はそう言わんばかりに、そのまま全速力で裏路地の中を駆け抜けていく。


「何故あの小人が『燭陰ヂュインの瞳』を……なるほど、先の言葉はそういうことか」


 後方で簒奪王が何やら呟いているのが微かに聞こえるが、樋田にそんなことを気にしている程の余裕は未だない。

 二日前の闘いを思い出してみるに、こちらの位置は未だに不可視の刃の射程圏内だ。このまま走って逃げるにしても、最低あと一回はあの一撃をやり過ごす必要があるだろう。

 どうやらその予想は晴の方も同じだったようで、


「おいカセイ、次はどうするつもりだッ!? 『燭陰ヂュインの瞳』ではクールタイムに間に合わんぞッ!!」

「ええと、それはだな……」


 されどそれに対する樋田の言葉は、何故か凄まじく歯切れが悪い。そんなヘタレの煮え切れない態度に、晴が思わず声を荒げたのは当然のことであった。


「時間が無いッ!! 策があるならば早く言えッ!!」

「……こっか、……ランだ」

「だから、はっきり喋れッ!! 次言葉を濁したら簒奪王より先にワタシがキサマを殺してや――――」

「こっから先は完全ノープランなんだよッ!! だから、このクソみたいな状況をさっさとどうにかしてくれ筆坂晴ええええええええええええええええええッ!!」


 と、樋田は恥も外聞もなく己の手詰まりを正直に告白した。元より『燭陰ヂュインの瞳』を封じられてしまえば、彼手に切れる手札など一枚もない。

 確かに樋田は晴を救う覚悟を決めたが、別にそれで彼が急に強くなったり、賢くなったりするわけではない。

 そんな少し本気出したくらいで何でもかんでもうまくいくようなるほど、この世界は甘く作られてはいないのである。


 チラリと背後を振り返れば、簒奪王は既に次の術式を放つ寸前だ。防ぐにしろ避けるにしろ、次の一撃は晴に何とかしてもらうしかない。


「全くっ、キサマというヤツはッ……!!」


「……返す言葉もねぇ。だがな、こんな俺でもお前の事を信じることは出来る」


「テメェ、マジでブッ殺すぞッ!!」


 悪びれるどころか当然のように全ての責任と判断を押し付けてくる樋田に、晴は様々な感情の入り混じった複雑な顔をする。その瞬間、彼女の頭の中でどのような逡巡があったのかは分からない。

 だが、晴はやがて腹を括ったようにその整った眉をしかめると、


「チッ、こうなれば致し方あるまい。『双翼の攻エンジェルアーツ』ッ!!」


 そんな神秘的な一言と共に、大きな群青の瞳を強く見開いた。直後、既に天使化している晴の体に、更なる大きな変化が生じる。


 これまでの彼女は天界の追跡から逃れるため、常に『天使体』の力を制御した状態にあった。その証拠に彼女の長い髪は未だ半分が黒髪のままであるし、本来二枚あるはずの翼も左肩からしか生やしていない。


 言うなれば、その枷を遂に晴は取り払ったのである。


 途端に半ば尽きかけていた『天骸アストラ』は数倍にも膨れ上がり、ボロボロだった体も瞬く間に元の活力を取り戻していく。


 そしてそれ以上に樋田の目を奪ったのは、より一層天使らしくなっていく彼女の姿の方であった。

 その頭上の光輪は更に煌々と燃え盛り、黒と金のツートーンだった髪は残らず黄金へと染まる。そして最後に右肩からもう一枚の翼が飛び出せば、それで全ての変異は終わりを迎え、完全なる天使の御姿がこの現世に燦然と顕現した。


「オイッ、お前それって確か……」

「少し黙れ、舌を噛むぞ」


 完全に天使化してしまえば天界に居場所がバレてしまうのではないか――――そんな不安がふと頭をよぎったが、確かに今この場で議論することではないだろう。

 晴は問答無用とばかり樋田の首根っこを鷲掴みにすると、そのまま夜の空に向けて飛び立ち、一気にその高度を上げていく。


 直後、先程まで樋田が走っていた場所を不可視の刃が一閃し、その場にあった全てのモノを滅茶苦茶に切り裂いた。

 仮に少しでも飛び立つのが遅れていたら、間違いなく二人そろって八つ裂きになっていただろう。そんなあったかもしれない最悪の可能性に肝を冷やしながら、彼等はそのまま速度を落とすことなく一気に戦場から離脱した。


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