第二十二話 『交錯する隻翼』


 


 そう一口で言うのは容易いが、この不可能が消え去った世界であっても、叶えられる願いには限度がある。

 そもそも術式とは全知全能の力である『天骸アストラ』から特定の可能性を取り出し、その作用によって世界の理を歪める霊的機構であるが、それは決して万能なものではない。


 『天骸アストラ』が内包する可能性と、術式によって引き起こされる現象の因果関係は、未だに多くが謎に包まれているし、その現象が世界の理から外れていればいるほど、術式の行使にはより多くの『天骸アストラ』が必要となる。


 だが逆に言えばそれに見合うだけの『天骸アストラ』と、適切な術式さえ用意出来れば、理論上ありとあらゆる現象をこの力は引き起こすことが出来る。

 当然この宇宙は時間遡行などという超常現象を認めてはいないが、法外な量の『天骸アストラ』をもってすれば世界の修正力を無視することも不可能ではないのだ。


 己が野望を果たすための膨大な『天骸アストラ』を、王はこの百五十年で既に手に入れた。

 残るピースはアロイゼ=シークレンズが保有する『燭陰ヂュインの瞳』ただ一つ――――だというのに、それで全ての準備は整うというのに、そのあと一つにどうしても手が届かない。


「……奴が消息を経ってから早二日。なるほど、流石は千の天使を振り切り、単身で天界から脱しただけのことはある」


 『異界』の中に聳え立つ絢爛豪華な洋館。その二階に当たるテラスの中で、王は今日も不愉快そうにグラスを傾けていた。

 飲んでいる酒は普段と変わらないはずなのに、これが何故だか酷く不味い。王たる者として心に波を立てるのは好ましくないが、その瞬間王は確かに胸を焼かれるような焦燥感に身を蝕まれていた。


「……三百年の歩みをここで水泡に帰してなるものか」


 焦ってはならない、決して油断してはならないと己が心に言い聞かせる。

 街の全域に首無しを配置している以上、必ずいつかは向こうの方から尻尾を出してくることだろう。


 何もこの東京に潜伏している勢力は、この簒奪王の軍勢だけではないのだ。こちらから下手に動いて、の介入を招く事態だけは避けねばならない。

 

 そうして再び飲みたくもないグラスを傾けようとすると、不意に手元で青白い光が微かに瞬く。

 それは人間界を見張らせている首無し達が、何か重要な情報を掴んだ際の『合図』であった。


「……シークレンズを見つけたか、あるいは悲蒼天ひそうてんが遂に動き出したか。どちらにしても穴蔵を決め込み続ける理由はなくなったな」


 王が人間界の状況を知るのに、態々『異界』の中から外へ出る必要はない。

 視覚に聴覚、そして味覚、嗅覚、あるいは触覚。臣下である首無し達が抱くありとあらゆる感覚は、全てこの王にも任意で共有することが出来るのである。


『――――オイ、さっさと出てこいッ!!』


 まず初めに王の耳――正確には感覚を共有した首無しの聴覚機関――をついたのは、そんな品の無いチンピラの怒鳴り声であった。

 続いて『異界』近くに広がる見慣れた廃ビル街の姿が、王の瞼の裏側へ鮮明に写り込んでいく。


 どうやら感覚を共有した首無しの居場所は、ここから近くのとある廃ビルの屋上のようだ。

 声がする方をおもむろに見下ろしてみれば、如何にも頭の悪そうな顔を焦りに歪め、一人の少年が裏路地の中を必死に走り回っている姿が目にとまる。


『なぁ、いるんだろワスター=ウィル=フォルカートッ……!!』


 切れ長の細い瞳に、炭でも塗りたくったような酷い隈。あれは間違いなく二日前に殺し損ねた黒髪の少年の姿である。

 だがしかし、畏れ多くも王の目を惹きつけたのは、彼が脇に抱える一人の少女の方であった。


 華奢で小柄な幼児体型に、青みがかった黒の長髪。それは正にアフメト二世が三百年に渡って探し求め続けた『燭陰ヂュインの瞳』――――その所有者であるアロイゼ=シークレンズの姿であった。



「……クククッ、フハハハハハハハハハッ!!!!」



 そのあまりにも素晴らしいに、王は思わず笑い狂わずにはいられなかった。

 あの夜、小癪にもこの王に楯突いた時点で期待はしていなかったが、やはり己の見立てに間違いはなかったのだ。


 『燭陰ヂュインの瞳』の人間界への流出に、その持ち主であるアロイゼ=シークレンズの発見。それに加えて此度の一件と、まるで世界の全てがこの簒奪王に味方するように動いているかのようであった。


 それは決してただの偶然ではない。

 時勢という言葉の意味が示す通り、時代には一種の流れのようなものが存在する。そして今の簒奪王は、間違いなくこの流れに乗っているのだろう。


 時勢を掴み、時代を征することが王たる者の必須条件である以上、この幸運はきっと神から簒奪王に対する天啓であるに違いない。


「ムスタファ、メフメト、スレイマン、イブラヒム……――――――――」


 続いて簒奪王は荘厳な面持ちで、黄金の鳥籠に人生を食い潰された皇帝、或いは皇位継承者達の名を次々に紡いでいく。その数はすぐに十を超え、瞬く間に百へと迫る勢いであった。


「貴殿等の生涯への後悔は、その終わりなき世界への憎悪は、必ずやこのアフメト二世が晴らしてくれようぞ」


 そうして王は手にしたグラスを天高く掲げると、中の酒をテラスの外に向けて一思いに振りまいた。


 その振る舞いが意味するのは、こうして人生をやり直す機会も与えられなかった同胞への鎮魂か。或いはその忌まわしき過去を必ず払拭しようという彼らへの誓いか。

 いや、きっとその両方なのだろう。


「さて、それでは参るか」


 

 そうして簒奪王は『異界』の中から消失し、



「小人よ、軽々しく余の名を口にするな」



 その外に広がる人間界――――己を求める少年の目前へと突如顕現する。

 きっと目の前の無知な彼には、何もない虚空からいきなり王が現れたように見えたことだろう。


「なっ」


 そんな超常現象に少年は驚いてみせるが、それもほんの一瞬のことであった。次の瞬間には焦燥にかられていた彼の顔に、ドッと間抜けな安堵の色が広がっていく。


「……ははっ、やっぱここで良かったんだな。そりゃあこの東京で人目につかねぇとこなんて、この辺りの裏路地しかねぇだろうよ」


「御託はいい、疾く要件を述べよ。この簒奪王が卿風情にいつまでも時間を割くとは思わぬことだ」


 目の前の少年が何をしに来たのかは分かっている。それでも王は敢えてそう問うた。


「……約束はこれで果たしたぜ」


 一瞬の重苦しい沈黙の後、少年は脇に抱えた天使をまるでモノのように投げ捨てる。その乱暴な扱いに少女の体は数度地を跳ねるが、彼女が苦痛に呻き声をあげることはない。

 微かに口元から息の根が聞こえる。恐らく彼女は気を失っているだけなのだろう。


「フッ、まさかこの簒奪王の予想を超えてくるとはな……。少年よ、かつて小さき者と嘲笑ったことは撤回しよう。余の生きた時代と比べれば生温いにも程があるが、今世において卿は間違いなく文句なしの外道であろうよ」


 しかし、ただというだけで、少女の身に振るわれた暴力の痕迹は凄まじいモノであった。


 四肢は皆ありえない方向に捻じ曲げられてしまっており、全身を隈なく埋め尽くす青痣がなんとも生々しい。

 余程強く、そして何度も顔面を殴りつけられたのだろう。かつて群青色だった瞳は左右とも失明したかのように白濁しており、歯に至ってはそのほとんどが滅茶苦茶に叩き折られてしまっている。


「いくら見えると言っても卿は所詮ただの人間であろう。仮にも天使であるこの女を、よくぞ召し捕ってみせたものだ」


「そりゃあ簡単な話だぜ簒奪王。確かにコイツはおっかねぇヤツだが、『天使化』してなきゃ所詮はただのメスガキだ。ぐっすり眠りこけてるところを襲っちまえば、俺みてぇな一般人だろうとどうにでもなる。それに、テメェで言うのは何だが、割と信頼されてたからな……」


 初めは饒舌を装っていた少年だったが、その声は次第に小さくなっていき、最後の方にはほとんど聞き取れなくなってしまう。


 彼は心の底から辛そうに、まるで自らの行いを恥じるかのように細い目を伏せる。その長い前髪に隠された顔が、今どのような表情をしているかは分からない。


「……結局、アンタの言う通りだったよ。俺は所詮どこまでいってもただの狐でしかねぇ。もう、流石に思い知ったさ。テメェの理想を通すことよりも、或いはこの女の命を護ることなんかよりも、テメェの命が何よりも惜しい。そう、俺は選択しちまったんだからな」


 そう言って少年はボロボロになった天使の顔を、更に力一杯踏みつけた。そして死んだ魚のような目を、まるで縋るようにこちらへと向けてくる。


「なぁ、わかるだろ簒奪王。俺がここまでやったのはな、テメェなりに忠誠を示したつもりなんだ。アンタは言ったよな、アロイゼ=シークレンズの身柄さえ引き渡せば、俺の命には興味ねぇって……。だから頼む、あの夜ほざいちまったことは忘れてくれ。アンタがその覇道を歩んでいくためなら、俺は俺に出来ることをこれこら何だってする。だから……殺さないでくれ。頼むから俺のことだけは、殺さないでくれねぇかッ……!!」


 少年は地を這い、頭を下げ、その額を何度も何度もコンクリートに擦り付ける。それはまるで絵に描いたような小者の振る舞い、浅ましくも愚かな精一杯の命乞いであった。


 人間というモノはここまで情けない姿を晒すことが出来るのか、ここまで醜い顔をすることが出来るのかと、王は思わず感動を覚えずにはいられない。

 生殺与奪の権を奪われ、惨めに慈悲を求めることしか出来ないこの少年の存在が、アフメト二世の王としての支配欲を満たしていく。


 忌まわしき生前の頃はもとより、意思無き肉塊を従えるだけでは、この全能感と万能感を得ることは決して出来なかっただろう。


「面をあげよ、名は確か樋田可成と言ったな。少年よ、此度の働き誠に大儀であった。卿のその忠勤は、きっと余の覇道の礎となろう」


「あっ、ありがとうございますッ! こっ、この恩には必ず、俺ァこれからの働きで報いて――――――」


「いや、その必要はない。臣下の忠節に報いるのもまた王の務めだ。即ち卿には此度の働きの褒美として」


 そこで態とらしく一度言葉を切り、王はニヤリと心底楽しそうに口角を釣り上げた。



「――――死を賜わろう」



 そう冷たく吐き捨て、簒奪王は指揮者のように右手を軽く振る。


 直後、廃ビル街のあちこちから首無しの奇怪な呻き声が鳴り響き、王の体より青白い『天骸アストラ』が煌々と溢れ出していく。


 かくして術式の発動条件は果たされた。

 王の手元より放たれた不可視の刃は、唸りを上げながら少年に殺到し、真っ直ぐに



「え」



 何が起きたのか分からない――――そう言わんばかりのマヌケ面が、少年が現世で浮かべた最後の表情であった。

 鮮血と共に生首は地に落ち、残された胴体もまた後を追うようにその場へと崩れ落ちていく。


「……アロイゼ=シークレンズは仮にも卿の命の恩人であろう。悪いが、余の国に不忠者は必要ないのでな」


 簒奪王の鋭く氷のように冷たい瞳に、最早かつて少年だった肉塊は映っていない。アフメト二世はまるで何かに吸い寄せられるかのように、その傍に倒れるアロイゼの元へと歩み寄っていく。


「感謝しよう、我が唯一の友『人類王』よ。遂にこの余は己が本望を成し遂げるに至ったぞ……」


 三百年以上に渡り求め続けた『燭陰ヂュインの瞳』は、最早手を伸ばせば届く距離だ。

 あとはこの女の左目を抉り、『天骸アストラ』を集積させている祖国の儀式場へ凱旋すれば、全てが終わる。

 否、全てが始まるのだ。


 まずはかつての己より皇位を簒奪し、返す刀で無能で傲慢な奸臣共を九族皆殺しにしてくれる。

 国内が落ち着いたあとは、我が祖国の力を世界に知らしめすために欧州を喰らうべきだろう。

 野蛮なロシア・ツァーリを完膚無きまでに殲滅し、この簒奪王が今度こそ音楽の都ウィーンを月星章旗で埋め尽くしてみせるのだ。

 

 黄金の鳥籠の中で過ごした無意味な四十年をやり直し、アフメト二世の名を稀代の名君として歴史には残すには、これから果たさなくてはならない使命がまだまだいくらでもある。

 それでもようやくそのスタートラインに立てたこと、そしてようやく真に皇帝として祖国に君臨出来ることに、簒奪王は少し早い充足感を感じずにはいられない。


 そうして王がアロイゼ=シークレンズの左目、神権代行たる『燭陰ヂュインの瞳』をえぐりとろうとした――――正にその直後のことであった。



「なッ……!?」



 そのあまりにも奇怪な現象を前に、簒奪王は思わず伸ばした手を引っ込める。


 なんと地に横たわるアロイゼの体が、側に打ち捨てられた少年の死体諸共、突如目の前から消え失せたのである。

 いや正しくは消えたというよりも、彼等の体が無数の小さな『天骸アストラ』の塊に分解され、そのまま宙に霧散してしまったのだ。

 つまり先程まで王の目の前に写っていた二人の姿は、術式によって生み出された幻影でしかなかったのである。


「……ッ、『顕理鏡セケル』を応用した映像分身ホログラムか。おのれ、量産天使ホムンクルス風情が小賢しい真似をッ……!!」


 そう忌々しげに言葉を吐き捨て、簒奪王は即座に己を切り替える。


 この状況から考えられる可能性はただ一つ、それは映像分身ホログラムを囮にした死角からの奇襲だ。

 あの隻翼の天使はどこにいると王は周囲に目を配らせるが、最早彼の力ではその運命を覆すことは出来ない。


 狂王の首を撥ね飛ばし、その暴虐を終わらせるための正義の鉄槌は、既に王の頭上すぐ側まで迫っていた。



 ♢



 アロイゼが簒奪王を暗殺する為に立てた作戦の概要は以下の通りであった。


 まず鍵となるのは彼女が保有する唯一の異能であり、『天骸アストラ』を目に見える情報として解析することが出来る『顕理鏡セケル』の力である。


 そうしてもう一つは、二日前に森林公園でカセイと行ったあの長ったらしい実験だ。あれは具体的な目的に対して何の成果も得られなかった一方、全くの無駄骨に終わったわけでもない。


 実験と情報解析に丸一日を費やした甲斐もあってか、今のアロイゼの『顕理鏡セケル』の中には樋田可成の外見、声色、そして『天骸アストラ』に関する詳細なデータが保存されている。


 そこへ当能力が電子モニターを展開するのに用いる三次元投影技術を応用すれば、簒奪王ほどの実力者でも容易には見破れない精巧な映像分身ホログラムを生み出すことも決して不可能ではない。


 別に王の目を完全に騙し切る必要はないのだ。


 ほんの一瞬でもヤツの注意を惹きつけ、周囲への注意を逸らすことさえ出来れば、その隙にこのアロイゼ=シークレンズが簒奪王の首を見事狩りとってみせる。


「くははっ、まさかこのワタシが緊張しているとでもいうのか……」


 丁度眼下でカセイの映像分身ホログラムと簒奪王が接触し始めた様子を、晴は彼らの傍に聳え立つ高層ビルの屋上から見下ろしていた。


 胸の鼓動がやたらとうるさく、先程から生唾を飲み込んでばかりだが、別に失敗して死ぬのが怖いわけではない。


 もしここで自分が簒奪王を仕留める事が出来なければ、ヤツはこれからも己の目的の為に多くの罪無き人々を殺していくのだろう。

 そして何かの弾みでその矛先が、あのに向かう可能性だって考えられなくはない。強いて言えばそんな最悪の結末こそが、アロイゼの心に残る唯一の憂慮であった。


「……しっかりしろ、アロイゼ=シークレンズ。だからこそ、ここで決着をつけるのだろう」


 そう言って天使は固く下唇を噛みしめる。

 それで余計な感情は全て消え去った。

 心は燃えるように熱いというのに、頭だけは驚く程に冷めている。

 そもそも千の天使に喧嘩を売り、この身ひとつで天界から出奔したときから、既に覚悟は出来ているのだから。


「フフッ、そうだったな。このワタシはたった一人で天界を滅ぼそうとしているのだぞ。これくらいの大物食い、演じられずしてなんとするッ!!」


 そしてアロイゼは一思いに柵を跨ぎ、宙にその身を投げだした。

 浮遊感が全身を包み込むと同時に『天使化』し、続いて左肩の隻翼を力強く展開。まるでビルの側面のギリギリを這うように、天使は簒奪王の頭上目掛けて真っ直ぐに突っ込んでいく。


 ――――チャンスは一度きりだ。


 ここでしくじれば簒奪王はきっとこれまで以上に奇襲を警戒するだろう。

 例え仮に生きて戦線を離脱出来たとしても、天使としての実力も手札の数でも圧倒的に劣っているアロイゼでは、最早ヤツを仕留めることは出来なくなる。

 だから、


 ――――簒奪王ッ、キサマは必ずここで殺すッ!!


 既に三百キロ近いスピードが出ているところへ、アロイゼは更に無理な加速を断行する。

 ボロボロの体を限界以上に酷使するその様は、最早無茶を通り越して自殺行為に等しいと言えるだろう。

 しかし、それで簒奪王を殺せる確率が少しでも上がるなら、それだけでアロイゼはどんな苦痛にも耐えることが出来る。

 ただそれだけで常人なら戸惑う後一歩を、躊躇なく踏み込むことが出来る。


 全身を叩く凄まじい風圧に、全身を劈く古傷の残り香。そして何より瞬く間に迫る地上との距離。


 もう、すぐそこだ。もうすぐで全てが終わる。もうすぐで簒奪王の首に、この刃が届く――――と、その直前までアロイゼは確かにそう信じていた。



「偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽ッ!!!!」



 視界の先十メートル、即ちアロイゼの真下で異変が生じた。

 ビルの窓ガラスが突然内側から弾け飛び、そこから一人の『顔の無い男フェイスレス』がこちらに向けて掌を伸ばしてきたのである。


 その指先は既に十分な濃度の『天骸アストラ』を纏っていた。間違いない、コイツはこちらに向けて術式を放つつもりなのだろう――――しかし、それがどうしたというのだ。


「――――肉塊風情がッ、このワタシの邪魔をするなあああああああああッ!!」


 首無しの手から不可視の刃が放たれると同時に、アロイゼはスピードを落とさないまま無理矢理に体を捻った。

 前方より迫り来る刃を紙一重でかわし切り、続いてすれ違いざまに化け物の体を容赦無く真っ二つに斬り飛ばす。


 それは見るものが見れば思わず見惚れてしまうほどに、無駄の無い精錬された動きであった。生じたタイムラグはほとんどないに等しいだろう。


 ――――まぁ、そんな甘い考えが通用するとは端から思っていないがなッ!!


 されどその程度の僅かな遅れも、圧倒的な強者との戦いでは大きな命取りとなる。


 己が頭上で繰り広げられた一連の攻防に、簒奪王は即座に反応した。

 天を見上げる王と、王を見下ろすアロイゼの視線が、正面切って交錯する。


「――――――ッ、『霊の剣エル=ミラ』!」


 直後、簒奪王お得意の不可視の刃が迎撃に放たれた。向こうの力量を考慮すれば、先程のように紙一重でやり過ごすのはほぼ不可能であろう。

 攻撃の筋が分からない以上大きく迂回してかわすのがベストだが、ここで日和っては折角の奇襲が意味を無くしてしまう。


「悪いがッ、キサマの死は決定事項だ」


 そこで、アロイゼは即座に特攻を決意した。されどそれは自暴自棄に陥っての無意味な捨て身攻撃ではない。

 天使はその巨大な隻翼を盾のように前へ構え直すと、そのまま重力と慣性に任せて王のもとへ突っ込んでいく。


 それでも翼の隙間を縫って、幾つかの斬撃がアロイゼの体を喰らった。

 両腕に二箇所、両足に三箇所、そして脇腹を大きく切り裂かれながらも、彼女の進撃が止まることはない。


 そしてその直後、二人の隻翼の天使が遂に正面から交錯した。



「粛々とっ、死ね。簒奪王オオオオオオオオオッ!!」



 アロイゼは左の隻翼を天高く振り上げ、簒奪王の首目掛けて力一杯に斬りつける。


 ザンッ――――その直後、一撃を放った遠心力に身体は振り回され、視界の方もぐるりぐるりと不安定を極める。

 しかし、それでも翼の先には肉を裂いた確かな手応えがあった。


「……やったかッ!?」


 アロイゼは即座にバランスを取り直し、コンクリートの大地へしっかりと両足で着地する。

 そうして期待の眼差しで前方を見やり、



「……誇りに思うがいい。卿の刃は確かにこの簒奪王に届いたぞッ」



 そこには首を中ほどまで断たれながらも、未だ不敵に微笑む簒奪王がいた。その傷口からはみるみるうちに血肉が溢れ出し、落とされかけた首を一瞬で胴に繋ぎなおしていく。


 しまった――と、アロイゼは思わず下唇を噛む。


 その傷口を見るに、明らかにの入りが甘い。

 恐らくはヤツの『霊の剣エル=ミラ』を防ぐ過程で、翼撃の軌道が変わってしまったのだろう――――いや、違う。変わってしまったのではなく、変えられたのだ。


 あの一瞬で簒奪王は攻撃を避けることも、こちらを撃ち落とすことも無理だと判断し、その一撃を逸らすことが最善だと判断した。

 その咄嗟の判断が、勝利の女神を王の方へと微笑ませることとなったのである。


 奇襲が失敗した時点で最早アロイゼに勝機は皆無。これより始まるのは天使と天使による闘争ではなく、強者が弱者を一方的に嬲るだけの虐殺でしかない。


「だが、それでも卿は所詮、粗製乱造の『量産天使ホムンクルス』に過ぎぬ」


 そう鼻で嘲笑うようにつぶやいて、簒奪王は再び右手を天高くに掲げる。

 その動きに呼応するように周囲から首無しの雄叫びが上がり、続いて王の体より青白い『天骸アストラ』が煌々と燃え上がっていく。

 その凄まじい規模は、先程の一撃を軽く三倍は凌駕していた。


「――――まずいっ」


 明らかな大技の気配に、アロイゼは慌てて飛び立とうとするが最早間に合わない。



「――――『聖句サルク=イン唱歌=エフェソス』」



 その直後、世界より全ての色と音が消失した。


 不可視の刃が嵐となって唸り、王以外の全てを滅茶苦茶に斬り飛ばしていく。その威力は斬撃というよりも、爆撃に例えた方がイメージとしてはよっぽど近い。

 足元のコンクリートは巨大なクレーターと化し、周囲の廃ビルは揃ってその横っ腹をごっそりと抉り取られる。


 簒奪王の正真正銘の全力を前に、アロイゼの小さな体もまた、その場から血の一滴も残さずに完全消滅した。

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