第六話 『燭陰の瞳』


「我が王よりこのアロイゼ=シークレンズが賜った『時を支配する力』だ」


 嫌みたらしく釣り上がる口角と、自信に満ち溢れた対の群青。目の前の黒髪少女はそんなファンタジーじみた妄言を、まるで当然の事のように悠然と言い放つ。


 その言葉のあまりの衝撃を前に、樋田は一瞬彼女が何を言っているのか理解することが出来なかった。


「なっ……!?」


 時を支配する力。即ちそれは『時間』という概念を自由自在に操れるということだろう。

 効果範囲や持続時間などの条件にもよるが、それがとてつもなく恐ろしい力だということは流石の樋田でも分かる。


 そんな馬鹿げたモノがこの世界に存在するというのか、いやまさか存在するはずがない――――と、少年の頭は目の前の現実を必死に否定する。されど天使のその自信に満ちた瞳を見る限り、とても彼女が嘘を言っているようにも思えなかった。

 それに、仮に時間操作なんてモノが実在するならば、樋田がこうして生きていることにも説明がついてしまう。


「時を支配ってことはつまり、俺は……」


「ほぉ、話が早くて助かる。まっ、そういうことだ。キサマでも理解出来るよう超絶適当に説明してやるならば『時間を巻き戻して生き返らせてやった』とでも言ったところだな、くはははははははははッ!!」


 自分が働いた暴挙もすっかり忘れて、したり顔で高笑いをキメる少女もとい殺人天使。そのこれ見よがしなドヤ顔が、短気な樋田の神経をあからさまに逆撫でする。


 ――――このクソアマがァッ、こっちが下手にでりゃ調子にのりやがって……!!


 勿論ヘタレである樋田にそんな暴言を口に出すだけの勇気はない。されど今日一日理不尽を強いらされ続け、腹が立っているのもまた確かであった。

 どっかの神の子ではあるまいし、いくら生き返るからといえ、そんな気軽に串刺しにされては堪ったモノではない。


 ――――まぁ、いい加減やられっぱなしにも飽きてきたしな。


 そんな溜りに溜まった鬱憤も相まって、樋田は天使に対してちょっと口答えをすることを決心した。本当は感情に任せて怒鳴り散らしたい気分であるが、彼女の気分を害してまた殺されるのは怖いのであくまで口答えである。


「ハッ、何が超絶適当だ。こう見えて俺は元中二病患者だぜ。定義がややこしい概念系意味不能力なんてむしろ大好物の範疇だっつーの。つーか人のこと殺しといて、そんなフワフワした説明で済ませようとしてんじゃねぇぞコラ」


 暴言のレベルを落とし、声を荒げるのも極力我慢した。これぞ正に理想的な口答えであると言えるだろう。

 それにこちらは実際に一度命を奪われたのだ。『時間を巻き戻して生き返らせてやった』なんて曖昧な言い方では、到底納得出来るはずがない。


「ふむ、そうか。チューニビョーとかいうのはよく分からんが、それは悪いことをしたな。よし、ならば的確に言い直そう」


 しかし樋田のそんな安い挑発に対する天使の対応は、どこまでも真っ直ぐで、そしてどこまでも誠実なモノであった。

 少女が喉を鳴らすように唾を飲み込んで暫し。彼女はその瑞々しい唇を可憐に震わせると、


「『時間の矢』理論における反復不可能の一回的な時間観に基づき、観測した過去の時間進行を加速、現在の時間軸に投影することによって世界構造における矛盾を犯さずに――――」


「すいませんでした、俺が悪かったです。ぼくらはボケツホリダーでしたッ!!」


 思っていた以上の小難しい言葉の濁流に樋田は迷わず白旗を上げる。

 雑魚なりの意地をかけたちっぽけな反抗は見事失敗に終わったが、取り敢えず自分の身に起きたことは大体わかったので良しとしよう。


「……まぁとりあえず理解は出来たぜ。だがっ、それを信じるかどうかはまた別の話だ。いくら今日一日でテメェの常識滅茶苦茶にされたとはいえ、時間操作なんてふざけたモン易々受け入れられるほど俺の頭は柔らかくねぇからな」


「むうぅ、可愛くないやつだな。まぁそこまで言うのならば、我が力をもう一度見せてやるのもやぶさかではない。そうだな、再びキサマを殺したあと、また生き返らせてやればそれで納得するか?」


「するか馬鹿野郎ッ!! そんなに串刺しが好きなら中洲でバーベキューでもしてやがれッ!!」


 そんな天使からのトンデモ鬼畜提案に樋田は思わず声を荒げるが、当の本人は「なぜ?」とても言いたげに小首を傾げる始末だ。


 その無邪気な表情を見る限り、恐らく少女の発言に悪意は含まれていないのだろう。どうせ生き返るのだから、もう一度殺したってなんの問題があるのか――――なんてふざけたことを彼女は本気で思っているのかもしれない。


 ――――つーか、なんでこんなキチガイ殺戮天使と普通にお喋りしてんだよ……俺。


 それにしてもあまりにも雰囲気が和やかすぎる、とここで一言感想を述べておく。


 会話の内容は未だに殺伐としているが、二人の間に流れる雰囲気はとてもついさっきまで殺し合い(樋田が一方的に殺されただけ)を演じていた者同士のモノとはとても思えない。


 例えるならばそう、今の樋田は正しく天真爛漫な姪っ子に弄ばれている親戚の叔父さんみたいな状態である。ソレナンテ・エ・ロゲ。


「ふむダメか。ならば次善の策で行こう」


 樋田が上の空でそんなくだらないことを考えているうちにも、少女は少女なりに何か考えが固まったのだろう。

 彼女はトテトテと玄関の方へ向かうと、そこに放置されていた一振りの木刀を持って来る。そしてそれをこちらへ向けてすっと差し出すと、悪戯っぽい笑みを浮かべながら自分の頭を指差して言う。


「オイキサマ、これでワタシの頭を思い切り殴ってみろ。多分額が割れて血がドクドク出てくるだろうが、時間を戻せばあらま不思議と元通り、キサマはワタシの力を信じる――って大体そんな流れでいいか?」


「……びっくりするぐらい善の要素がねぇな。こんなモン使って女の子しばくとか気が進まないどころの話じゃねぇんだけど。つーか不思議パワー見せびらかしたいならそこらへんのモン適当に壊しゃいいだろ」


「いや、いくら直ると分かっていてもヒトのモノを壊すのは良くないだろ。キサマ、常識ないのか……?」


「そこまでの良心があるなら初対面で串刺しとかやめてくれませんかね……」


「……やれやれ、文句の多い奴め。仕方ない、じゃああれでいいか」


 天使はそう言って樋田の手から強引に木刀をもぎ取ると、リビングの奥へ向けてステステと歩いて行ってしまう。

 一体何をする気なのかと樋田はしばしその姿を呆然と眺めていたが、やがてそれは大きな後悔へと繋がることになる。


 リビングの隅に行ったあたりで、少女はおもむろに立ち止まる。そして彼女はその背中が反るほどに勢いよく木刀を振り上げると、



「チェストオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」



 気合一喝、一片の躊躇もなくこれを振り下ろしたのであった。


 そう、今日も一日の仕事を終えて静かに安らいでいた円盤型の家電――――俗に言う『お掃除ロボット』へと向けて。



「ルンバあああああああああああああああアアアアアアアアッ!!」



 彼女がやろうとしたことに気付いた頃にはもう遅い。少年の悲痛な叫びも虚しく、木刀越しの馬鹿力は、ロボットのボディを容赦無く真っ二つに叩き割った。

 ネジがぶっ飛び、プラスチック片が哀れに宙を舞うなか、樋田は慌ててそんなロボットだったに向けて駆け寄る。そしてまるで親の仇でも見るような険しい瞳で、鬼畜天使の方を睨みつけると、


「テメェッ、俺のたった一人の家族になんてことしてくれんだッ!? 黙ってても勝手に部屋綺麗にしてくれる存在とか、最早母ちゃんだと言っても過言じゃねぇんだぞッ!?」


「だ、だってキサマさっきそこらへんのモノ壊せって……まぁいいだろう。どうせ直るのだからっ!!」


 被害者という立場をフルに活用しギャーギャーと喚く樋田に対し、天使は思わずといった具合に申し訳なさそうな顔を見せるが、それもほんの一瞬のこと。

 すぐにどうでもいいとばかりに視線を逸らすと、少女は再びその大きな瞳をゆるりと閉じる。


 次の瞬間、周囲の空気が不自然なまでにガラリと変わった。

 目に見えないプレッシャーを感じるというか、あるいはその場の雰囲気に完全に飲まれてしまったというか。まるで不可視の重圧が肺に満ちていくような違和感に、樋田は騒ぐことも忘れて思わず口を噤んでしまう。


 ――――まさかマジでやるのか時間操作……?


 こんな異常な感覚、それこそ異能なんてふざけたモノを持ち出さなければ説明がつかない。

 果たしてその予想は見事に的中した。次の瞬間、再び常識外れな『現象』が、少年の目の前で堂々と展開される。



「――――――『天骸アストラ』抽出完了。神権代行術式展開」



 小鳥の囀りのような天使の声と共に、その瞳の黒い部分はすうと薄らいでいき、代わりに先程見た白とも白濁とも付かない歪んだ色がジワリと浮かび上がっていく。

 そんな天使の異質な左目が、彼女の足元で転がる哀れな鉄屑を優しく見下ろす。慈愛に満ちた瞳に、和やかに緩んだ可憐な口元。上手く言葉では言えないが、そのさまはまるで母親が自分の子供を愛でているときの姿のようであった。


「――――――――『燭陰ヂュイン』」


 天使がぼそりと呟いた次の瞬間、樋田にはさながら世界が大きくかのように見えた。


 彼女の背後に大小様々な時計の幻影が浮かび上がると共に、樋田の視界に映る限りの空間が丸ごと歪む。

 この表現を使うのも何度目になるか分からないが、そのあたりにも幻想的な光景に、樋田は思わず息を呑んでいた。


「へはっ、ヤベェな……こりゃ」


 これはホンモノだ、と口に出さずとも心の中で確信する。

 間近でこれ程までに神秘的な光景を見せつけられれば、『時間操作』なんていう胡散臭い代物にも現実味が増してくる。


 天使は確か「どうせ直るのだから」と言っていた。その言葉が仮に本当ならば先程樋田を生き返らせた際のように、時間を戻して元の状態を復元しようとでもしているのだろうか。


 これで本当に直ってしまったならば、流石に自分も彼女の言うことを信じなくてはならなくなるだろう。

 樋田はそのように内心ワクワクしながら、スクラップと化したはずの掃除ロボットへ再び視線を向けてみる。すると、



「はァ?」



 なんと、特に何も起こってはいなかった。


 天使の左目は変わらずに朧げな光を湛えているが、いくら待てども哀れな家電には何の現象も起こらない。びっくりするぐらい何も起こらなかった。


「テメェ……」


「あれっ、なぜだ。なんかおかしいぞ」


 新品同然に復活するのを期待していたというのに、我が家のお掃除ロボットは相変わらず見るも無残なぶっ壊れっぷりを晒している。

 あれだけ壮大な演出でその気にさせておいて、期待外れもいいところであった。


「オイ、今更カラコン電波少女でしたーじゃすまねぇからな――――……ッ!!」


 半ば苛立ち気に天使の肩を引っ張ったその瞬間、樋田はそこでようやく彼女の身――――いや、その目に起きた異変に気付く。


 彼女の左の瞳に灯っていたはずの歪んだ光、確か『燭陰の瞳』とか言っただろうか。何とその輝きが段々と薄くなっていっているのである。


 深くどころか全く以って少女の事情を知らない樋田でも、それがマズい事態だということは、彼女の様子からなんとなく予想がついた。


「お、お前……」


 そしてそんな樋田の想像通り、先程まで余裕の笑みを湛えていた天使の顔は瞬く間に歪に歪んでいく。

 絶望と焦燥が入り混じったような何とも言えない暗い表情。されど樋田にはその中でも驚愕の色が一段と強いように見えた。


 何と声をかければいいのかと樋田が一瞬反応に迷った次の瞬間、天使は乱暴に彼の手を引き、どこかへと連れて行こうとする。


「ちょっ、いきなり何しやがるッ!!」


 必死の抗議も無視され、樋田はなされるがままになるしかない。そして彼女はそのまま黙って少年を洗面所まで連行すると、その体を力任せに鏡の前へと突き飛ばした。

 危うく無様に転びかけるところだったが、なんとかギリギリのところで洗面台にしがみつくことに成功する。


「ってーな、畜生。いきなりなんだってん……」


「いいから見てみろォッ!!」


 空気が震えるほどの天使の大喝に、樋田は思わずたじろんでしまう。

 先程まで割とフレンドリーだった彼女が、いきなり激怒し始めた理由はわからない。されどその大きな瞳に滲んでいる黒い感情は、先ほど少年殺めた時よりも明らかに濃く、そしてあからさまに禍々しいモノであった。


 ――――クソッ、情緒不安定も大概にしてくれよ。


 とにかくこれ以上この少女を怒らせては本当にもう一度串刺しにされるかもしれない。今は黙って言うことを聞いておいた方が得策だろうと、樋田は彼女に言われるがまま目の前の鏡の中を覗き、



「は?」



 そんな間抜けな声を一つ上げたきり、情けなく洗面台の上と崩れ落ちてしまう。


 何故だ、何が起きているとただひたすらに脳が暴れる。

 確かにあり得ないことばかり起きている本日だが、これほどまでにあり得ないことが他にあるだろうか。


「なんだよ、これッ……!!」


 鏡の中に映る樋田の左目。

 その黒目に対して白眼の割合が極端に多い瞳が、何故だかひどく見覚えのある神秘的な色と光を纏っているのである。

 クリームというかベージュというか、どこか不純物の混ざった白に限りなく近い別の色。

 間違いない、それは天使が言っていた『時を支配する力』――――『燭陰の瞳』そのものであった。



「オイオイ、これってもしかして……」



 天使の瞳からは完全に光が消え去り、その代わりとばかりに燦然と輝く樋田の左目。つまりは彼女の左目に宿っていた『燭陰の瞳』が、樋田の方へと移動した――――例の如く理由は分からないが、きっとそう考えるのが一番自然であろう。


 彼女は先程この力は『世界からの贈り物』なのだと言っていた。その言葉が具体的に何を意味するかは不明だが、少なくともとてつもなく大切で重要なモノなのだということは確かだろう。


 ――――あっ、これ絶対マズいヤツだ。


 途端に背中から嫌な汗がドッと噴き出す。

 当然のことだ。樋田はそんな大切なモノを、いくら故意ではないとはいえ、彼女から奪ってしまったということになるのだから。


「返せ……」

「は、はぁ?」


 傍らからの今にも泣き出しそうな声に、樋田はハッと我に返る。思い出したように天使の方を振り返ってみると、彼女は樋田の服の裾をギュッと掴んだまま、その手を離そうとしない。


 その瞬間、樋田可成は己の第六感が危険信号を発しているのを確かに感じていた。

 具体的に言うならば「次の瞬間必ず酷い目にあうぞ」と、本能がそんな悲しい未来を先に予知したのである。


「返せ」


「いやちょっと待てよ。俺も俺でなにがなんだが……」


「うるさいっ、返せ返せ返せええええッ!! 早く返せよワタシの『燭陰』!! わあああぁぁああッーーバカバカバーカッ!! ヒダカス死ねええええええええええええええええええええッ!!」


 果たして世の中とは嫌な予想ほどよく当たるもの。最早キャラ崩壊としか思えない少女の傍若無人な叫び声と共に、樋田の顔面目掛けて理不尽な一撃が放たれる。


「――――ゥヴブッ」


 拳の直撃と同時に顔面がひしゃげ、冗談抜きに脳が揺れる。猫パンチと言うにはあまりに凶悪な威力の鉄拳が頬に食い込み、樋田の体は冗談のように軽く数メートルは吹っ飛ばされた。

 そのまま傍の箪笥へ顔面から衝突し、あまりの激痛の前に暫く悶絶。鼻からドバドバと粘着質の液体を滴らせながら、樋田は己が身に降りかかる理不尽を嘆く。


「オイちょっと待てやボケェ!! 今は全力肯定系チョロインが全盛の時代だぜ……テメェみてぇな理不尽暴力系はもうお呼びじゃねぇんだよッ!!」


「うるさいうるさいうるさいッ、日本男子やまとおのこなら責任取って切腹しろおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 しかしそこまでしても天使の怒りは晴れず、動揺も全くもって収まらない。次は金的で、その次は腹パン。続いて第四第五の一撃が、途切れることなく少年に向かって雨霰と降り注ぐ。

 嗚呼この腐った世界は何と無情なことか。住民のほとんどが寝静まったマンションの一室で、しばらくの間ヘタレチンピラの悲鳴だけが虚しく響きわたり続けた。


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