番外編.あの頃彼女は、
夜明けだ。
暗かった空が白んで、星々が身を潜め、空気がほんのり軽くなる。人々がモンスターに震える夜を乗り越えた先。
本来ならば清々しい雰囲気に包まれるべきなのだが……
手持ち無沙汰に落ちてる枝を取るなりして、言い争いをくり広げている2人へ視線を向ける。もうすぐで終わるかな、という言葉は呑み込んで、むき出しの土に丸を書いた。
潮風が吹き込む森を背景に、一組の男女が剣呑な空気をまとっている、ように見える。客観的には。
「だぁかぁらぁ!! 悪かったっつってんじゃん!!」
「それが反省している者の態度か貴様ぁ!」
「すんませんねぇ! 生まれつきこういう顔してましてー!」
「容姿の話なんぞしとらんわ! 減らず口を叩きおって!」
「口ぃ? この可愛い口ぃ? 八重歯がきらりと光る愛嬌満載の口ですけどぉ? 何かご不満がー?」
「くぬぅうううう……!」
実際には、年若い女性がニヤニヤとからかい、もう片方は泣きそうな表情で頭を抱えているのである。争ってすらいなかった。
2つ目の丸を書き終わる。最初のものよりは歪んでないだろうか。見比べていると、男の方が苦虫を嚙み潰したような顔のまま首を振った。
「貴様はどうしてこう、こう……問題ばかり起こすのだ!!」
「それこそ今更じゃん? あたしが生きてたところとこの世界じゃあ、常識が違うんだし。あたしが普通だと思ってた事が、こっちじゃ非常識だとかあるあるでしょ。それをぎゃあぎゃあ怒られたって、ねぇ?」
「……~~っ! じゃあ、じゃあ聞くがな!! 貴様がいた土地では、唐突に山に穴を空けるのは常識の範疇なのか!?」
「非常識に決まってんでしょ、常識的に考えて」
「言ってる事が違うではないかぁあああああああ!?」
「今回ばっかりは非常識だから、初手に謝ったんでしょーが」
嘆きの深い叫びを聞きながら、空を仰ぐ。ほとんど白んでいた。海からは太陽が半分以上姿を見せている。
崖下の町からは、働き盛りな人達の声が聞こえてきた。もうすでに人々が活動を始める時間だ。なんなら朝日が顔を出すと共に沖へくり出した漁師たちが泡食って帰ってきている頃だろう。
となれば、町はにわかに騒がしくなる。警備隊が調査のために部隊を組んでいる間に、
「(好奇心自体は悪くないと思うけどね、さすがにこれの現行犯と騒がれたくないなぁ)」
山岳に三方を囲まれた町は低地にあるため、山の麓に群生している森は小高い位置にある。反った崖上は、下からは見づらいのだ。
だから町からは森を窺い知ることは出来ないが、遠方の海からならば、よく見えるだろう。
町の真正面、ひときわ高い山のど真ん中に、大きな穴が空いているのが。
砂の山を固めて、中央に円柱を突き出して作ったような……印象的にはまさしくそれだ。長い年月で重なり積もった山の土を、ごそりとえぐり抜いた跡が、朝日に照らされ姿を
明らかに、天変地異だった。砂のように柔らかくはないものを、女性はたった1人、あっけらかんと掘り抜いた。作業の衝撃で岩が転がる事無く、穴から崩壊を始める事無く、それはそれは綺麗な穴が町から外界へ向かっている。
魔法って便利だよねー、と楽しそうに掘削していたが、否定させてほしい。そんな綺麗に破壊工作できる魔法、勇者以外使えない。
ふと振り返り、現実から逃れるように目線をずらした。足元を見たって、結果は何も変わりはしないのだが。
いやあ本当に、しでかしたなあ。
「ああああ……! こ、こんなの自然災害だ! 勇者が土地を破壊してどうする……!!」
「いちおー、森の奴らにゃ、騒がしくするから逃げてくれよーって言っといたし。えぐったの地層だけだし。木の根っことかは避けたし。地中の生き物は避けたし。結界で音漏れ防いだから、たぶん町にはバレてないし……」
そりゃあそうだ。作業中はバレはしないだろう。だがすでに結果が日の元に晒されているのだ。隠しようのない、大穴が。
思わず、ため息が漏れた。それと一緒に呑み込んだはずの笑いも零れる。ああだめだ、無理だ、我慢なんてできるはずもない!
「ふっ……ふふふ……!!」
「あー! ミャルミャル笑ってんじゃん!」
「これが笑わずにいられるかい。ふふ、本当に君は私をいつも笑わせてくれる……今は気付かれてるよ。人々のざわめきが、活気的じゃなくて動揺を含んでるからね」
「マジで? 早起きだなぁ皆。あたしは夜更かしして眠いってのに、こりゃあさっさとトンズラするのが吉かな」
でもこいつらどうしよっか。
呟きながら、そこらへんに転がる男の脇腹をつま先で小突く。苦し気に呻きはするが、起きる気配はない。そんな男達が数十人と重なり倒れていた。
お世辞にも冒険者とは言い難い、人相に悪意が染み出したような男達だった。『丑三つ時に武装して行進する輩どもがまともなわけがあるかよ』と吐き捨てて、たった1人、剣を片手に女性が薙ぎ倒していった。超速だった。
それからしばらく、目を覚ます様子はない。こちらの身内は、悪逆非道に対してとても容赦がないのである。
武器や防具の類いはすべて剥ぎ取って、こちらで回収しているが……ここの町人に対人戦闘は期待できるだろうか。素手でも本気の抵抗は死人を出す。放置するにしても、ある程度束縛するべきか……
「あの武器商人の名前漏らしてたし、戦争バカ野郎関係なのは確定なんだけど……侵略者なんだし、町の人に話しといた方がいいよねぇ」
「でもそうなるとこの穴についても説明しなくちゃならないよ」
「そうなんだよね~」
女性は穴と悪漢どもを見比べて、肩を落とした。
「めんどいな……」
「そう思うなら何故空けたぁ!!」
「ここにトンネルがあれば便利なのになって思ったから。そもそも外と隔てられ過ぎてたからこんなバカどもが湧くわけだし」
なるほど、彼女なりに町の人々を
「山登りは大変だものね。アイテム袋だってまだ万人に普及してないんだし、基本は大荷物を背負っての移動になるから……一直線に抜けれるなら楽だね」
「だよねだよね~」
「きっ、きっぃいい、貴様らはぁああああ!!」
「あまり騒がしくするべきではない。町人が何事かと駆けてくるかもしれんからな」
「……っ! そう、思うなら、ミーヒャル! 君も止めたまえよ!!」
「はっはっは、私が? 何故? カナメの行く末が見たくて同行しているのに、止める必要があるのかい?」
いくつか作った丸を踏み消して、枝を投げ捨てた。まったく、彼の言い分は不思議でならない。
それは相手も同じなのか、心底理解が出来ないと言わんばかりに顔を歪められた。こうも気が合わない者が集まって、よくまあ旅が続けられるものだと思う。それも彼女がいるからだと、自信を持って言えるが。
その話題の中心──カナメが、わかった! と指を1つ立てた
「ダンジョンコアに頼もう!」
「は?」
「ちょっくら行ってくるわ! ミャルミャルはこいつらフン縛っといて!! だいじょぶ、すぐ帰ってくるから!!」
「ほぉ」
何か思いついたらしい彼女は八重歯が特徴的な笑顔を残し、町へと跳んで降りていった。高所から一足飛びに落ちていったというのに、一切の躊躇いがなかった。相変わらず図太い神経をしている。
そして本当にすぐ、男の神経質な貧乏ゆすりが大揺れになる前に戻って来た。太陽が昇り切ってないのだから、間違いなく早い。
ちょうど拘束が終わった所でよかったと、微笑んだ。1人ひとりは数が多すぎるのでやりたくなかったから、まとめて木の根を絡めてやったが……まあ概ね、機能が同じであれば問題ないだろう。
「お、さっすがミャルミャル。仕事が早い!」
「どういたしまして。君の方はお目当てのものを手に入れたのかい?」
「うん、ばっちし!」
ウインク決めて取り出したのは、荷車だった。金属製の、車輪が2つの、荷が落ちぬよう箱型になっているタイプの。
そしてなにより、牛が引くような大型のものだった。それが3台。ずらりと並んでいる。
ああ、ここに穴が空いていてよかった。そうじゃなければ森の木々が邪魔で荷台が出せない所だったな、と思った時点でカナメのペースに流されている事を自覚していた。ふふふ、楽しい。
「こいつらがアイテム袋に入るんなら軽くて楽なんだけどさ~。生きものは入れられないじゃん。だから荷台出してもらった! これなら運べるでしょ! 町の人が来る前に積んで、隣街へ運んじゃお! 戦略的テッタイ!」
「……たった、それ、だけのために、ダンジョンを今、攻略して来たのか……?」
「手っ取り早く願い叶えるならそれしかないじゃん。何言ってんの?」
あっけらかんと返されて、男が喉を引きつらせているのを横目に、うんと頷いた。
自分がけん引するのでなければ、どうとでもなればいいのだ。
「それでさぁ、隣街までバカども連れてったら武器商人ったら腰抜かしてビビリちらしちゃったの! もう笑っちゃったよね! あっちの長老はまともな人っぽかったから、武器商人の悪事全部目の前でバラシて任してきた! しばらくは様子見しようかなって感じ!」
──……何故、それを私に話すのですか。
ダンジョンの最下層にて。
いつもより人気のない内部に人が来たと思いきや、つい先日飛び込んできてオークを秒殺し、荷台を3つ願って駆け抜けていった女性だった。元々謎深い存在だと認識していたが、さらに混迷を極めた。
あたしが空けた穴の調査に皆出払ってたから、ダンジョン誰もおらんくて笑ったわ。そう笑いながら、今日もボスモンスターを瞬殺した。もう彼女を見たらボスモンスターを置かない方がいいのだろうかと、ダンジョンコアらしからぬ思考を持ち始めてしまった。
もはや正常ではないと思う。この冒険者がではない。影響されつつある己が、ダンジョンコアとしての機能を著しく狂わされている。
疑問が湧いては悩み、答えが出ず後回しにし、そしてまた悩みが増える。その間に、この冒険者はただ話すためだけにここに来る。何度も、何度も、ただの世間話をするために。
「何でって……だってあんた、町の人の事、気遣ってんじゃん。だから事の顛末は知りたいかなって」
──……は
言葉が出てこなくなった。ダンジョンが、町人を気遣う? 何を言っているのか、理解が及ばなかった。
それを噛み砕いて呑み込む前に、冒険者が畳みかけてくる。
「自覚なしだとは思ってたけど、無自覚でも愛着は根付くよね。こんだけ町と密接なダンジョンだとさ。町の話すると少し声高くなるし。バカどもがコア狙ってても受け入れるくせに、町に被害出るって聞いた時はちょっとピリッとしたじゃん? なんかこう、魔力の波みたいなもんが。いや、あたしはあんま魔力うんぬんはわからんけどさ。なんかなー、空気がさ。肌がビリビリしたってか。怒ってるじゃんって思った。違う?」
──…………
「あら、黙っちゃった。またせっかちしちゃったか」
──……町の、人は……
「うん」
思考を整えながら、言葉を流すというのは、初めての経験だった。
──ダンジョンとして、恒常的に利用してもらえる、ので……
「ほほう」
──他意はありません。
「ほんとに? あたしが今、ここで、気まぐれに、この町を滅ぼすって言っても、受け入れられる?」
──……人の生き死に、繁栄や衰えにダンジョンは関係ありません。
「即答じゃないね。それが答えじゃん」
──……
己の言葉を否定されると、これほどまでに心をかき乱されるのかと。そう思考するだけで、ただ、次の言葉を失ってしまった。
「たとえあんたが、何も感じない機械的な奴だって言い張ったって、あたしは否定する。だってこのダンジョン、危険が少ないもん」
冒険者の声が、柔らかくなる。先日押し入ってきた男達と相対してた時とは全く違う、角のない言葉。
「町の人がすみずみまで探索してるから、モンスターのレベルの低さはまあ納得なんだけどさ。そもそも罠が少ないんだよね。あってもテレポートくらい。致死罠はゼロ、怪我しそうな罠もそれとなくわかりやすい位置にある。そんな節約運営しててどしたん? 吸い取れる魔力少なくて困窮してるんか? って思ったけど、これだけ町の人が出入りしてりゃあ寧ろ回収分は多そうだし。地域密着型ってやつかね」
──……罠は、あまり、あると……町人が入らなくなる、から……
「そっかー。そう言うなら、ま、そうなんでしょーね!」
あたしは全く! そう思ってませんけども! と言わんばかりの、何故か勝ち誇った顔をされて、ダンジョンコアはますます思考がこんがらがった。
本当に? 否定されたから心が乱されているのか? 万が一でも、冒険者の言う通りに、己が居を据える町へ愛着などが湧いていたのだとしたら……いいや、そんな事が、物である己にあるわけがない。
罠だって、そうだ。いつだったか、誰かが怪我をした後、しばらく入ってこなくなった。この町は、ダンジョンの探索をする人の補充がきかない。だから、罠は止めて……モンスターも、なるべく有益になるようなものを配置するようにして。豊かな毛皮を持つものや、
喜ばれた、から??
「カナメ、そろそろ夕暮れだ。腹が減らんか?」
「あ、もうそんなん? じゃ、今日は帰るかー」
部屋の外から覗き込む冒険者の仲間らしい人が呼び、彼女が立ち上がる。ああ、行くのか。ならば聞かねばならない。ダンジョンコアなのだから。
だから思考を放り投げた。役目を果たすために。
──……あなたの、願い、は……
「ああ。そっか、今日も言ってなかったっけか。律儀だねぇ……魔獣が欲しい。人の事を相棒だと思ってくれそうな、かっこいい魔獣」
──わかりました。その願い、叶えましょう。
人と身近にいられる魔獣とは、どんな生き物なのだろう。
ダンジョンコアは人が願うものを魔力で形にするだけで、願い自体の想像をした事はない。今までずっと、叶って助かったと笑う人の顔しか見てなくて、願いそのものを観察した事はあまりない。ダンジョン内の設置物とは違い、思考を必要としないから。
でも今は。どんな生き物なのかと、心にぷかりと湧き上がった。思考が戻って来た。冒険者が受け取ったものへ、視線を向ける。
球体だ。叩けばコツリと音がしそうな殻に覆われた、徐々に先が尖るように緩く細まっている。昔、鶏卵が欲しいと言った町人がいた。そうだ、それに似ている。
「なるほどね、一から育てるタイプか。魔獣の卵っていつまであっためりゃいいんだろ」
「君の旅に連れてくのかい?」
「うーん……いや、どうなるかな……あたしは連れてってもいいんだけどね」
「また問題事を増やすつもりか!? 幼い命を貴様の旅などに連れ回したら、あまりにも過酷すぎる! 考え直せ!」
「ほらもー、文句を言う奴が出てくるぅ。嫌ならついてこなきゃいいじゃん。元々あたしの一人旅なんだしさ」
仲間がまた1人増えた。ダンジョンだから、最下層の部屋の外で待っていたのはわかっていた、が。こうして冒険者が世間話をしに来た時は、黙って待っていたから、会話に混ざってくるとは思っていなかった、が正しい。
気難しそうな顔をした男が、ふんっと鼻息荒く腕を組む。
「貴様を1人にしていたら何をしでかすか……止められはせんでも、正す事は出来よう」
「ええぇー。めっちゃ嫌なんじゃがー? 抗う気満々じゃがー?」
「ふふ。私はもちろん、君と一緒にいるのが楽しいからね。置いてかれても勝手についていくだけさ」
「……まったく、あんたらも物好きだねぇ。あたしの自由気ままな旅についてくるなんてさ」
勝手についてきた? 仲間、ではない?
ダンジョンコアにとって複数人の連れ合いというのは、『仲間』というくくりでしか見た事がなかった。彼女達は、初めての分類だ。
ただその枠組みに、彼女達の在り方に、身を乗り出すような気分にさせられる。
それが興味という感情だと、ダンジョンコアはまだ知りえなかった。だから不思議に思うしかなく、まじまじと3人を眺めていた。
冒険者は卵を撫でて、ダンジョンコアへ振り返える。
「また来るわ。トンネルの進捗も気になるでしょ」
──いいえ。ダンジョンは、外の事象に関わらないので。
「まあまあ。いいじゃん、若いのがなんかぎゃあぎゃあ騒いでんなとでも思って、聞いてよ。時間はまあ、てきとーに稼げたしさ」
どんぐりのように丸い目を、にぃーっと細めて。大きく笑んだ口から愛嬌のある八重歯を覗かせて。健康美の見本とも言われた、そんな冒険者──カナメは。
あの頃彼女は、若かったのである。
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