番外編.箱庭に住む人のそれぞれ その7


 飲食物に関するお話を少し。

 時間軸は家の増築をした後になります。



・ところてん


「リトジア、ちょっとこっち来れる?」

「はい、大丈夫ですよ」


 キッチンで作業中、私はリトジアを手招きした。キースくんの見守りをヒューさんに引き継いだ彼女は、ぺたぺたと駆けてくる。


「実は今日のおやつにしようと思ってるのがあるんだけど……リトジア、匂い嗅いでみてくれる?」

「まあ、これは……何です?」


 リトジアが不思議そうな顔になるのも、さもありなん。

 真っ白な平たい皿の上に、薄っすら黄色くも透明な、長方形の物体が何本も載っていた。表面は湿っている。角張った面。

 そう、突かれる前のところてんである。先日思いついた事を、ついに実行する日が来たのだ。まずはリトジアの反応を伺ってみようかなって、呼んでみた。


「ところてんって言うんだけどね。海に生えてる海藻を天日干しして、お湯で煮出して、漉して、型に入れて冷やし固めたやつなの。これを突き出したら完成するんだ」

「海の……藻を、ですか?」


 これが? って顔をされた。信じがたい気持ちはわからんでもない。私も昔はねー、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんがからかってるんだと思ってたよ。実際に作ってるの見たら、マジで海藻だったから目が点だったよね。

 今回は一から作るんじゃなく、カタログブックで取り寄せた。すでに出来上がってるものだけ見てるから、リトジアも困惑してるんだろうね。次の機会があれば、是非とも天草てんぐさからやりたいものです。

 私の背中から触手を伸ばして、ところてんに触ろうとするトーコを撫でる。気になるのはわかるけど、もうちょっと待ってねー。


「コーヒーと同じようなもんだよ。成分を抽出して、美味しくいただこうっていう人の知恵」

「なるほど」

「磯の香りが強いから、嫌だったら教えて欲しくて。未知の匂いじゃない?」

「そう……ですね。初めて感じるものです」


 ふんふん、とリトジアが鼻をならす。私も思わず、同じように嗅いだ……うん、海を思わせる匂いがするね! 私はこれ平気なんだけど、嫌って友達もいたなぁ。

 この匂いが受け入れがたいって人のため、これとは別に棒寒天を煮てタッパに流し込んでおいたので、同じようなものを食べる事は出来る。寒天なら独特の匂いはほとんどないしね。食べやすいんじゃないかなぁと思います。


「不思議な香りですが……嫌悪感はありません。何と言いましょうか……塩気が感じられるというのに、普段使う塩とは違う匂いがします」

「海藻の匂いだね。ちょっと草っぽいというか……海のミネラル感?」


 私も明確に説明は出来ないんだよなぁ。


「このまま食べるものなのですか?」

「ううん。この突き出しっていう道具で麺みたいな形にするんだ。それから好きなタレをかけて食べるの」


 ところてんを押し出す用の板が付いた棒と、筒を見せる。木製の筒の先には賽の目の網がかぶさっていて、そこに押し付ける事でとろこてんがちゅるりと出てくるのだ。

 これがまた楽しいのなんの。皆にあの感覚を味わってもらいたくて用意したまであるよ。


「リトジアは調味料かけると食べられなくなるから、やるとしたら、湧き水につけて食べる事になるのかな」


 水に浸しておくと匂いが薄まると聞いた事あるし、意外と食べやすくなるのかな?


「まあそれは……まるで、コーヒー牛乳の時のようですね。テクト様のように、段階を楽しむ事が出来るとよいのですが」

「ふふっ。結局牛乳パック5本空けたもんね。あんなの真似したら、リトジアのお腹たぷたぷになっちゃうよ」

「それは困ってしまいます」

<おやつの準備、もう始めた方がいいかもね。キースがぐずりだした>


 外でキースくんと駆け回ってるテクトからのテレパスが飛んできた。おおっと、いつもより早いな。今日はお昼ご飯も積極的に食べてなかったし、そういう気分なのかねぇ。

 リトジアに手伝ってもらって、テラスに向かう。少しでも喜んでもらえるように、ところてんを入れる器は、色付きガラスにしようかな。まぁるい形で、底は透明、縁に色が散りばめられた器。喜んでくれるかなぁ。


「ねえちゃ!」

「はーいお姉ちゃんですよー」


 むぎゅうっと腰に抱き着いてきたキースくんの頭を撫でる。こっそりケモ耳の柔らかさを堪能しつつ、手早く。あんましつこくすると嫌がられるからね。長く撫でても怒られない時もあるんだけど、今回は止めておこう。

 テクトだけじゃなくヒューさんもすぐに駆け寄ってきた。キースくんのぐずり具合を遠目で見て、ジョギングを切り上げてきたんだろうなぁ。


「おやちゅ!」

「今日のおやつはねぇ、ところてんだよ」


 見てて、と言ってところてんを1本、突き出しの筒に入れる。ガラスの器に網の方を向け、板付き棒をぐっと押し込むと。

 すー、ちゅるり。抵抗もなく押され、網を通り抜けるごとに均等にカットされたところてんが器に落ちる。綺麗に並んだそれらが日を浴びて艶々と光るのを、キースくんの好奇心旺盛な瞳がまじまじと見ていた。

 やったぜ、釘付けだ!!


「きぃも、やる!!」

「いいよ」


 キースくんに筒を持たせて、2本目のところてんを入れる。

 幼児にあるまじき力で突き出しを持つ事は出来るけど、筒に板付き棒を入れるのが難しいのか、キースくんは何度か筒を逆さにして中身を零しそうになった。それでも諦めず挑戦して、空の器へどうにかこうか、ところてんを押し出した。

 すー、ちゅるり。


「っ! ねえちゃ、できた!!」

「うん、すごい! 上手だねぇ」

「りぃ、りぃ、できた!!」

「ええ、見てましたよ。見事です」

「ん! ねえちゃ、もっと!」

「おーっと、続きをご所望か」


 キースくんが突き出しを使うのは危険度が低くていいんだけど……この調子でやってたら冷やしてたところてんがぬるくなりそうだなぁ。どうしようか。

 アイテム袋にしまっておくのが私的には慣れた手法だ。でもキースくんがせっかく作ったものを片付けたら、たぶん、困惑するだろうなぁ。状態保存だって言っても通じるかどうか。


<バットに氷をたくさん出して、そこに器ごと埋めておこうか? そうすれば見た目的にも涼し気だし、キースにもよく見えるでしょ>

「テクト天才か?」

<そう呼んでくれても構わないよ?>

「よっしゃ天才、その案でいこう!」

<ルイって躊躇ないよね。任せて>


 そういうわけで、えっちらほっちら人数分のところてんを作り終えた。

 幼児ってすごいわ、最後なんて筒をテーブルの端に置いて、板付き棒を入れ始めたからね。片手が駄目なら場所を利用して、両手でやる。発想力がすごい、天才だわ。

 突き出してる間にヒューさんにもところてんの匂いを嗅いでもらったけど、不思議そうに首傾げるだけで、嫌悪感はなさそうだった。

 順応性高いっていうか、未知の食材に対して抵抗感少ないよね皆。私のせいかな? たぶんきっと私のせいだな。反省も後悔もしないけど!


「タレは、酢醤油、三杯酢、めんつゆ、黒蜜きなこを準備したよ。後はお好みで生姜や辛子をつけてね。砂糖もあるよ」

「ルイのお勧めは?」

「私は三杯酢!」


 昔から酢醤油も食べてたけど、甘味があるタレの方が好きなんだなぁ。お酢もそんなに強くないしね。初めて食べるなら、三杯酢か黒蜜きなこかなぁ。

 どの味にしようか、ヒューさんは迷っているようだ。うーん、どれが好きかわからないからって張り切り過ぎたかなぁ。


「ところてんは多めに準備したし、小分けにして少しずつ食べてみる? そうすればお腹いっぱいになる前に色々試せるよ」

「え、いいの?」

「うん。好きな味見つけられたら、嬉しいじゃない」

「そっか……じゃあ、ルイのお勧めから、食べてみていい?」

「喜んで!」


 キースくんも同じようにする? と聞けば、する! と元気な返事が来たので、小鉢にところてんを取って、三杯酢を注ぐ。

 皆に分けて、いざ、実食!

 箸とフォークでそれぞれ口に含み、つるんと食せば。


「さっぱりして、つるっとして……美味しい!」

「んー!」

「清涼感のある喉越し……面白いです!」

<これは、なんとも、癖になりそうな味だね>


 お気に召したようで、何より!!









・初めての食事


 ことことこと。小鍋の中で、カラフルな色が躍る。

 人参、キャベツ、玉ねぎ、しめじ、それから鶏むね肉を少し。サイコロ状に小さく切って、お湯と一緒に煮ていた。出汁は入れていない。

 ぶぅん、と羽音を鳴らして真横にホバリングしたミチが、まじまじと小鍋を覗き込んできた。調理中はあまり近付かないのに、珍しいなぁ。


<ルイ、それは何だ>

「ミチ。これはね、トーコのご飯だよ」


 朝、テクトから<トーコの腹が減り始めた>と聞かされたので、こうして準備を始めたのである。


<茹でた後、潰して、食べやすくするんだ>


 聞き取りやすいようにテレパスに切り替えて、話す。

 ミチが、きっと私の後ろにいるトーコを見たんだろう。耳元で風が舞った。


<ふぅん。ハチ達の蜜みたいなものか>

<そうだねぇ。ミチはどうしたの? 朝ご飯、足りなかった?>


 毎日食卓の皿に補充する蜂蜜は、すべて平らげてあったような気がするなぁ。子育ても進んで忙しいだろうし、もう少し増やすべきなのかなぁ。巣の蜜は子ども達にあげてるって言ってたし。

 たった一匹であんな大きな巣を作って、管理して、蜜を作って、花粉集めて、子ども達の世話をして……暑さや外敵を気にしなくていいとはいえ、何度思い返しても過労で倒れてしまいそうだ。


<蜜は足りてる>


 私の心配をよそに、ミチの返事は簡素だった。

 それぞれの名前も覚えて来たし、ゆっくり話せば人の言葉を理解できるようになったけど、彼女からの言葉はいつも短い。そこがまた、可愛いんだけどね。

 ミチは遠慮するタイプじゃないものなぁ。って事は、蜜以外の興味があるのかな。


<子よ。ふわりと浮いて、流れ、泳ぐ、泡のような子よ>

「ひょるる?」


 んお。あれ、ミチ、トーコに話しかけてる?


<お前の母の飯は美味いらしい。人も獣も、みんな喜ぶ。あたたかいぞ。楽しみにしておけ>

「え」

「ひょるる」

<そのうち、ミチの蜜もやろう。お前も子だ。可愛い子だからな>


 そう言った後、満足したようなミチはふらりと外へ出ていった。

 え、何今の……ミチ、母性爆発しちゃったの? さらっと私のご飯褒めてたし、ときめいちゃったんだが。唐突なクーデレは心身負荷が強いっていうか、心臓ばっくばくですがな。


「何だったんだろうねぇ、トーコ」

「ひょるっ」

「わかんないかー。私もわかんないけど、めちゃくちゃにやけるわー」


 無駄に小鍋の中かき回したりね! しちゃうね!


<落ち着きなよ。火傷する前に、具材をザルに上げた方がいいんじゃない?>

「はーい串刺して確認しまーす!」


 テクトの遠隔ツッコミが鋭い! 的確! タイミングもバッチリ具材にスッと串が通るぅー!

 野菜や鶏肉から出た出汁を捨てるのはもったいないので、ボウルを重ねたザルにあける。ほかほかと湯気が上り、肩に置いてあった触手が引っ込んだのを感じた。

 水気を切った具材をすり鉢に入れ、足で抱えるために畳の方へ。すり鉢越しに火傷しないよう足にタオルを当て、温かいうちにすりこぎ棒で潰していく。ぐ、ぐ、ぐ、と押して、さらに細かくなるようにゴリゴリと溝にすりつける。ちょっと鶏肉が潰しづらいかな。次は魚にしてみよう。

 何となく、だけど。鶏肉にしちゃった。テクトと初めて料理したのも鶏肉だったもの。ちょっと特別視してるのかもね。

 すり鉢の中で色が細かく混ざっていく。繊維質も全部潰して、食べやすいようにしないとだ。ごりごり、すりこぎ棒を動かす。


「ひょる……」


 トーコは身を乗り出しながらそれを見て、小さく声を漏らした。

 お手本になる他の森クラゲがここにはいないから、トーコにとってはこれが普通の事になるんだろう。自然界なら母が噛み、溶かし、程よくなったものを貰うのに。

 キースくんがお風呂に入ったら夕飯だと思うように、トーコもすり鉢を出したらご飯だと思うようになるんだろうか。それもまた、我が家らしいなぁ。

 ペースト状になったらお皿に移して、すり鉢を洗浄する。溝に食材が残ったりするとカビちゃう原因なので、爪楊枝とかでほじる意識を持って。洗浄の泡をぽつぽつ当てれば、すぐに綺麗になる。乾くまでは片付けられないから、キッチンの方に置いておこう。

 さて、すり潰しているうちに人肌くらいまで温度は下がったみたいだ。この状態なら食べさせても大丈夫だろう。トーコ、お腹は空いたかな?


「ひょるる?」


 試しにペーストを掬ったスプーンを傘の真下、口元に寄せるけど、トーコは動かない。たぶん、首を傾げてるのかな。空腹の感覚がわからない可能性もあったりする?

 困ったな……テクトさーん。


<はいはい……ルイが持っているものに興味はあるし、お腹も空いてるけど、それが食べ物だと思ってない、かな>

<おっけー、ありがと。まずは食べて見せればいいのね>

<おそらく>


 ありがとうテクト。本当に助かる!

 スプーンを切り返し、軽く息を吹きかけて、口に入れる。舌触りは滑らかで、きちんとすり潰せたのがわかる。いいねぇ。

 味の方は、うーん、素材そのもの。いつも調味料を足してる私としては、物足りなく感じるかな。野菜本来の甘味は美味しいけどね。鶏肉はもうちょっと足すべきだったかなぁ。存在感がない。

 でも、初めての食事なら上出来なんじゃなかろうか。刺激物のない優しい味わいだもの。


「美味しいなぁ。もぐもぐ」

「ひょるる?」

「トーコもいる? 食べ物だよ」

「ひょるっ」

<……食べたいって言ってるけど、自分の口もわかってないみたいだから、多少無理やりでも押し込んでやって>


 マジか。そっか、まずそこからかぁ。わかった、お母さん頑張ります。


「トーコちょっと体を斜めにするよ」

「ひょるる」


 トーコの傘をめくって、そわそわ動く短めの触手達をかき分ける。手みたいに使っている長い触手に比べて、ここは森だわ。もちもちの森。

 すごいなぁ、これ全部、自由自在に動かせるのか。さすがクラゲ。

 しばらく探していると、ちょうど真ん中あたりに円形の口っぽいのが見つかった。へぇ、結構しっかり口の形してる! 水族館で見たクラゲはもっとほわほわしてたというか、明確にどれってわからなかったけどなぁ。 

 ペーストを掬ったスプーンを口に入れて、閉じそうにないのでそっと指で落とす。そのままペーストを口の中にすりつけると、突然、トーコから大きな声が出た。


「ひょっ」

「トーコ?」

「……るる?」


 びっくりしているような、不思議な声音だ。

 ふと見下ろすと、私の指がトーコの口の中に消えていた。おお、この口、ちゃんと閉じるのか。指先にざらりとした感触がする。これ、舐められてる感じ? え、舌あるの?

 と思ったら指の腹だけじゃなく爪の方までざらりとした。舌、もしや、2つか3つくらいあります??


<……テクトー! テクトさーん!!>

<舌みたいなものだよ。詳しい名前はわからないけど、それを伝って消化器官に行くんだ。害はないから満足すれば離してくれるでしょ。たぶん>

<たぶん!>


 おしゃぶり感覚かなー!

 指をもごもごされながらトーコを見る。そしたらなんと、淡い水色がほのかに色づいていたのである。

 傘の下からじわじわと、オレンジ、緑っぽい色から、白がちょこちょこ。それらが傘の中程まで来ると、トーコはようやく私の指を解放してくれた。

 何だろ、この色。ぐるぐる丸まってるけど……

 興奮した様子のトーコが、ぽこぽこと触手で叩いてくる。食べたいって急かされてるみたいだ。

 優秀な事に1回やって覚えたのか、スプーンを寄せると素直に口を向けてくれる。天才か? 我が子天才だわ。

 今度はスプーンから食べてくれたトーコの体の、色づきが濃くなる。傘全体には及ばないけど、真ん中あたりに集約するそれは、まず間違いなくペーストだろう。色合い的にも合致してるし。

 内蔵、透けてるんだなぁ。こんなにがっしりした口やら触手やらあるのに、消化器官は丸見えというか、無防備というか。

 魚まるごとだったら見知らぬ目玉とこんにちはしそうだけど、ペーストなら一種のイルミネーションじみてるかなぁって。


「すごいねぇ、トーコ。トーコの体はすごいよねぇ」

「ひょるる? ひょる!」

「うんうん。すごいし、ご飯は美味しいねぇ」


 トーコはご飯食べる姿も可愛いという事ですね。うちの子最高。

 ちなみにトーコの食事風景はひっそりと見守られていたらしく。すべてをぺろりと平らげた後、皆が駆け込んできて大喜びしてくれたのでした。

 

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