○ 人形
陽が沈みかけていた。
桃の花びらと共に流れてきたのは、竹で編んだ舟に乗った紙の人形であった。
「『ひとがた』ね。この風習は『流し雛』といって、雛人形のルーツとなったものよ」と歴史研究家が言った。「災いや穢れを人形に託して、子供の成長を祈るの」
人形はあとからあとから流れてくる。茜色に染まった水面を、たくさんの「祈り」が列をなして進んでゆく。
「ペンを貸してもらえますか」と蓮太郎が言った。
「どうぞ」と、歴史研究家がペンを貸してくれた。
蓮太郎はルールブックの白紙のページを開き、次のように書いた。
祈りは届く。
「これでいいかな?」と、蓮太郎はルールブックに尋ねた。
「ええ、結構ですよ。ただ、既に定められた法に矛盾しない範囲で、となりますが」
「うん。それで大丈夫」
「かしこまりました。ご協力ありがとうございました」と言って、ルールブックはふわりと浮かび上がり、光の粒を振りまきながら川下の方へ飛んでいった。
蓮太郎は掌を合わせ、祈った。
ロバとその一行が無事に国元へ帰れますように。
都会人がいつか便利さ以外のよさにも目を向けてくれますように。
オナガドリが尾っぽを切っても誇り高く生きていけますように。
うさぎの用事は何だかよくわからなかったけれどとにかく間に合いますように。
鬼が人間と和解できますように。
クルーザーの人に素敵な出会いがありますように。
ヤドカリが生を全うできますように。
刑事が正義の為に働いてくれますように。
ブリがブリ以上の何かになれますように。
ゴドーが待ち人のもとに辿り着けますように。
アブ役の人の舞台で子供たちの心が傷つきませんように。
宇宙人たちがこの星での旅をいい思い出にしてくれますように。
地主が少しは痩せますように。
キドさんとかつての仲間たちがどうか不幸になりませんように。
大工と歴史研究家がいつまでも二人らしくいてくれますように。
「彼のことも祈ってあげたの?」と、歴史研究家が家の中を示しながら言った。
「はい」
「お人よしね」
「ところで、僕のルーツ、何かわかりました?」
「さっぱりわからないわ。得体が知れないと言い換えてもいいわね」
蓮太郎は歴史研究家にペンを返した。
「テストでいい点を取るコツを知ってる? わからない問題は後回しにするの。最後にもう一度その問題に挑戦すればいいのよ」
歴史研究家が手を差し出して言った。「また会いましょう」
蓮太郎はその手を握って「はい」と言った。
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