○ メンバーの人

 家のドアが少しだけ開き、「ちょっと訊いてもいいかい?」とキドさんの声がした。

 蓮太郎は「はい」と応じた。

「どうしてあの旗がここに……」

 家ができた時、旗だけ先に運び込んであったのである。

「滝から落ちてきました」

「ああ、そうだよね。それしかないよね。でも、そうか……こんな皮肉が……いや、運命というべきか……」

「あの旗はあなたのものだったの?」

「かつてはね。今は違う。もう誰のものでもない。革命を起こす意味は完全に失われた。だからその旗は君たちが好きにしてくれて構わない」

 彼は少し自分に酔っているところがあるように見えた。

「あなたは少し自分に酔っているところがあるわ」と、歴史研究家が言った。

「キドさん!」と叫んだのは、ヘルメットをかぶり、さらにヘルメットの上に「必勝」のハチマキを巻いた男だった。いつの間にか落ちてきていたのだ。

 キドさんは慌ててドアを閉めた。

 男はばーんとドアに張り付いて叫んだ。「開けてください!」

「帰ってくれ」と中からキドさんの声がした。

「帰ってきてほしいのはこっちです! キドさん! ドアを開けてください!」

 蓮太郎は男の声に聞き憶えがあった。ラジオだ。ギザギザの屋根から降りて、キドさんを連れ戻しに来たのだ。

「警察なんか恐れることはありません。キドさんは僕たちが全力で守ります」

「僕は警察から逃げてるわけじゃない」

「だったら!」

「僕は君から逃げてるんだ。君たちから」

「どういうことですか?」

「サノさんとはどうなんだ」

「え?」と、男・蓮太郎・歴史研究家が口を揃えた。

「付き合ってるんだろ?」

 どんな美しい花もたちまち枯れ落ちそうな嫌な沈黙が流れた。こんな時ロバがいたらタイミングよく「んひんひ」と鳴いてくれたのだが。

「キドさん、まさか、サノさんのことを」

「気づいたんだ。仮に革命が成功して戦争のない世界が実現しても、彼女と共に生きていけないのなら何の意味もない」

 男が吼えた。「あなたにとっての革命はそんな程度のものだったんですか! ずっとついてきた俺たちが馬鹿みたいじゃないですか!」

 謝らなかったのが偉い、と蓮太郎は思った。

「大体、キドさん、サノさんのこと好きそうな素振り全然見せなかったのに」

「もしそんな素振りを見せていたら、君は身を引いたのかい?」

「それは、わかりませんけど」

「君はきっと身を引かなかった。僕だってそんなことをしてもらっても嬉しくないしね。嬉しくない。死ね。いや、失礼、今のは言葉の綾だ。生きて彼女を幸せにしてやってくれ」

 歴史研究家が「『若さ』は『虚しさ』とも言い換えられるのね」と言った。

「僕はもうこの世界の行く末に興味がない。知りたくもない。さぁ、もう帰るんだ」

「わかりました」と言って男はドアから離れ、「どうもお騒がせしました」と蓮太郎たちに頭を下げた。

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